【元阪神・横田慎太郎の「くじけない」⑧】引退1年後、予期せぬ転移。抗がん剤と放射線治療で吐き気が襲い、全身の毛は抜けた。「治療やめたい」。付き添いの母に弱音を吐いた

脊髄に腫瘍が見つかり、大阪の病院で治療を受ける横田慎太郎さん=2020年11月23日

 引退して1年ほどたった2020年9月。思ってもいなかったことが起きました。

 数カ月前から、足腰に痛みを感じていました。ひざ下や太ももに強い電気が走るような、今までに経験したことのない痛みだったため、鹿児島の整形外科を受診し、MRI検査を受けました。

 その結果、病院の先生から「脊髄(せきずい)に腫瘍(しゅよう)がある」と告げられました。想像もしていなかった転移。あぜんとして言葉も出ず、頭が真っ白になりました。

 すぐに大阪のかかりつけの病院に入院。現実を受け入れる時間もないまま、治療が始まりました。

 前回の入院時と違い、病院は厳しい新型コロナウイルス感染対策が取られていました。家族の面会も禁止でしたが、母は「病院から一歩も出ませんから」と病院と交渉し、病室に泊まり込む付き添いをどうにか認めてもらいました。

 今回は手術はせず、抗がん剤と放射線を中心に治療をすることになりました。5日間、朝から晩まで抗がん剤を点滴します。3週間空けて、また5日間―を繰り返します。脳腫瘍の時はこれを3回やりましたが、今回は5回に増えました。

 治療は本当に、本当につらかったです。突然強い吐き気がこみ上げ、もどしてしまうことも何度かありました。

 食欲もわきませんでしたが、何も食べなければ脱水を起こしてしまいます。ヨーグルトなど口あたりのいいもので何とかしのぎました。脱毛も起こり、髪はもちろん、眉や腕、脚など全身の毛が抜けました。

 前回は「グラウンドに戻る」という大きな目標があり、病に立ち向かうことができました。でも今回は、何を目標にしたら良いのか分かりません。目標を見つけようとすら思えないくらい、体に力が入りませんでした。

 「治療をやめたい」。脳腫瘍の時には決して吐かなかった弱音を、つい母にこぼしました。

 それくらい、先の見えない苦しさに、心も体も追い詰められていました。

【プロフィル】よこた・しんたろうさん 1995年、東京都生まれ。3歳で鹿児島に引っ越し、日置市の湯田小学校3年でソフトボールを始める。東市来中学校、鹿児島実業高校を経て、2013年にドラフト2位で阪神タイガースに入団。3年目は開幕から1軍に昇格した。17年に脳腫瘍と診断され、2度の手術を受けた。19年に現役引退。20年に脊髄腫瘍が見つかり、21年に治療を終えた。現在は鹿児島を拠点に講演、病院訪問、動画サイトの配信など幅広く活動している。父・真之さんも元プロ野球選手。

2度目の入院中、泊まり込みで付き添う母横田まなみさん(左)。つらい治療に耐える慎太郎さんを支えた=2020年11月23日

© 株式会社南日本新聞社