歌手・山口百恵という人格を形成した阿木燿子と宇崎竜童の黄金コンビ  44年前の今日 ― 1978年8月21日 シングル「絶体絶命」、42年前の今日 ― 1980年8月21日 ラストソング「さよならの向こう側」がリリース

8月21日は山口百恵のドラマチック記念日?

8月21日。この日は1980年10月のファイナルコンサート(日本武道館)で最後に歌われた「さよならの向う側」のリリース日である。そして1978年、歌で演じる “百恵劇場” の貫禄を見せた「絶体絶命」がリリースされたのもやはりこの日。作詞・作曲も同じく阿木燿子、宇崎竜童の黄金コンビだ。なんとも粋な山口百恵のドラマチック記念日!

なにごとも貫禄(完成)の前には革命がある。その火ぶたが切って落とされたのが「横須賀ストーリー」(1976年)とすれば、爆発は間違いなく1978年5月1日に発表された山口百恵の22thシングル「プレイバックpart2」。「バカにしないでよ!」と視聴者(カメラ)にガンを飛ばし、音楽が一瞬止まる。そして「それは昨夜の……」と回想のターンに入る――。テレビドラマの構成をそのまま歌に持ってきたようなこの楽曲は、アイドル歌謡の枠をぶち破り、世間に大きな衝撃を与えた。

だからこそ次の曲はハードルが上がるもの。「さて、どんな手でびっくりさせてくれるのだろう?」と期待が高くなるのは当然。作る方もプレッシャーで大変だ!

1978年8月21日リリース「絶体絶命」

そしていざ3か月後、8月21日に発売されたのが「絶体絶命」。作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童というコンビにしか描けない、女のケンカから始まるこの曲が私は大・大・大好きである。

主人公は、強気でクールな女性。テーブルの真ん中には薔薇の一輪挿し。その向こうで対峙するのは、レースの白いハンカチを持つような清楚系女子。ただ、泣いているのを見られたくなくて、一輪挿しを移動して顔を隠すような、なかなかの負けず嫌いである。

カフェで繰り広げられる三角関係を、セリフ、ナレーション、ト書きまで見えてくる歌詞はもはや脚本。そして、その修羅場のシーンを右、左とセリフごとに向きを変え、二人の女性を演じ分ける百恵の表現力は、独り芝居のような凄味がある。

ところが、その二人が取り合う男性の情けないことよ。遅れてやってきてオロオロし、挙句の果ては絶対NGなこの一言を言ってしまうのだ。

「二人共愛している」

コイツのどこが良かったのよ、二人とも……。そりゃ「やってられないわ」! 私の勝手な想像ではあるが、この男性はきっとまた同じことを繰り返す。そしてレースのハンカチの彼女はこう思うだろう。「あのとき彼から手を引いたあの人が正解だったわ」と!

ここまで妄想を膨らませるパワーがありながら、演奏時間はたったの2分50秒。まさに歌は “3分間のドラマ”!

山口百恵が確立した “精神的におとな”

山口百恵の魅力は、“物事を俯瞰で見ている佇まい” である。これを超えると非現実的になるけど、ぎりぎりでリアルゾーンにある、理想的なカッコ良さ… といおうか。

60~70年代の歌謡曲は、清純とセクシー、陰キャラと陽キャラがはっきりしていた。暗い曲は社会から逸脱してしまうレベルの孤独、薄幸が歌われ、セクシーは肉体的な成熟をアピールするような歌と振り付けがなされていた。そのどちらでもない “普通の子に見えて精神的におとな” という、彼女のキャラクターはとても新鮮だった。

その内面からジワジワ湧くような独特なきらめきを、「青い果実」「ひと夏の経験」などで背伸びさせ、魅力を引き出したのが千家和也&都倉俊一だった。

さらに思春期と大人の狭間の17才にきて、百恵は自ら阿木燿子、宇崎竜童に打診。“捧げる女の子” から “すっくと自分の足で立ち上がる” イメージを作り上げたのである。彼女のプロデューサーである川瀬泰雄氏も、

「アルバム『17才のテーマ』で阿木燿子さんと宇崎竜童氏の曲を歌ったときに、歌手・百恵という人格が出来上がったと思います」
(学研プラス公式ブログインタビュー)

… と語っている。

ラストソング「さよならの向こう側」に込められた宇崎竜童の思い

「絶体絶命」「プレイバックPart2」「ロックンロール・ウィドウ」で “いいかげんな男”をピシリと叱り、「愛の嵐」で嫉妬心を燃やす自分自身に哀しみ、かと思えば「乙女座宮」や「美・サイレント」などしっとりとした喜びや切なさも見せる。

芸能活動は14歳から21歳。その若さと短期間で、愛し愛される喜怒哀楽をしなやかに歌った感性はまさに唯一無二だ。

そんな彼女がファイナルコンサートで最後に歌った「さよならの向う側」。男と女のドラマを歌で演じ続けた山口百恵のラストソングは、宇崎竜童が、

「僕らが彼女の気持ちになって作ろうと思った」

… と語る通り、彼女そのものが前に出た作品となった。

この曲を歌い終わり、マイクを舞台に置いて去り、それ以来一切表舞台に出ない。

7年間の歌手人生が、一つのコンサートのような―― そんな素晴らしく美しい伝説である。

カタリベ: 田中稲

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