干拓に身命、遺徳しのぶ 人柱観音祭 松浦

干拓工事に身命をささげた先人の遺徳をしのぶ住民=松浦市、人柱観音堂

 江戸時代初め、水田の干拓に身命をささげた先人の遺徳をしのぶ「人柱観音祭」が17日、長崎県松浦市今福町東免の人柱観音堂であった。
 伝承では当時の領主、松浦信貞公が今福地区の干潟を干拓し、新田を造ろうとしたが、堤防が波などで崩れ、工事は難航。工事監督を命じられた家臣の田代近松氏が人柱を提案したが、誰も名乗りでなかった。
 田代氏が「はかまに横ぶせ(横向きに伏せた縦柄の布)を当てている者を人柱に」と言うと、横ぶせを当てていたのは田代氏のみ。田代氏と白い犬が生きたまま埋められ、堤防が築かれたという。
 その後、この地域は「人柱地区」と呼ばれるようになり、住民が33体の観音像を刻んだ供養塔(市指定有形民俗文化財)を建てた。
 観音祭には住民15人が出席。善福寺の村井憲広住職の読経で田代氏と犬を供養した。副島茂区長(65)は「住民の高齢化が進んでいるが、先人の尊い犠牲があって今の今福があることを伝え続けていきたい」と話した。


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