「村が焼き討ちに遭い、家族が目の前で殺された──」 2017年8月、ミャンマー国軍による武力弾圧を受け、隣国バングラデシュに逃れた70万人以上のロヒンギャの人びと。以前から逃れていた人を含め、いま、100万人近いロヒンギャ難民がバングラデシュ南部のコックスバザール県で避難生活を送る。 国境なき医師団(MSF)は、現地での医療・人道援助を続け、人びとの声に耳を傾けてきた。過酷な暮らしが5年以上続き、肉体的にも精神的にも追いつめられるロヒンギャの人びとが、いまが思うこととは。キャンプからの声を伝える。
この目で見た、ロヒンギャ難民キャンプのいま──「忘れられた危機」にしないために
バングラデシュ南東部、コックスバザール。観光地としても知られるこの場所で、100万人近いロヒンギャ難民が過酷な状況の中で暮らしている。国境なき医師団(MSF)日本の事務局長、村田慎二郎が“世界最大の難民キャンプ”を訪れ、感じたこととは──。
「今年は、ミャンマー軍によるロヒンギャの人びとに対する大規模な掃討作戦から5年。ロヒンギャの市民権がはく奪されてから40年。そして国軍による政権の誕生でロヒンギャへの抑圧が強まってから60年が経ちます。
なぜ、いまバングラデシュに訪問することを決めたか? それは、これほど長い間迫害されているにも関わらず、国際社会の関心が低く、MSF日本として危機感を抱いているからです。
2017年の危機から5年が経ち、国際社会の注目がウクライナに向かう中で、ロヒンギャを含む他の人道危機に対する関心が低くなっていることも、その理由なのかもしれません。 でも、だからこそ想像してほしい──。いま、私たちが暮らす同じアジアに、世界最大の難民キャンプがあり、そこで生きる人びとがいます。日本からとても近い場所に、何十年も迫害され続け、どこにも居場所がない人びとが100万人いるのです。
『ロヒンギャ』という言葉の背景にある、人びとが置かれた現実を、一人一人のストーリーを、『忘れられた危機』にしてはいけません」
ロヒンギャ迫害 知ってほしい7つのこと
ロヒンギャは、ミャンマー西部ラカイン州に居住するイスラム教徒で無国籍の少数民族。何世紀もの間、多数派を占める仏教徒と共にこの地で暮らしてきた。しかし1962年に国軍が政権を掌握して以来、ロヒンギャへの迫害と人権侵害が繰り返されるようになった。
なぜロヒンギャの人びとは国籍を奪われ、難民となったのだろうか。
健康教育活動でロヒンギャ女性の命を守る
竹と防水シートで作られた簡素な住宅が密集する難民キャンプ。衛生状態も悪く、地域によっては医療へのアクセスもままならない中、特に弱い立場におかれているのがロヒンギャの女性たちだ。
MSFの病院を訪れる患者の多くが女性であることからも、長引くキャンプ生活による精神的、身体的負担への影響が非常に大きいことがわかる。高血圧や糖尿病などの慢性疾患、皮膚病の疥癬(かいせん)やC型肝炎のような感染症など、難民キャンプではさまざまな健康リスクがある中、特に妊娠や出産に関しては、自宅出産が一般的なこともあり、命の危険が伴うことも多い。 MSFは女性たちを対象に、産前産後ケアや家族計画の相談といった、性と生殖に関する健康(SRH)プロジェクトを展開。病院で医療を提供するだけではなく、キャンプ内の家々を訪ね、必要な情報を届けている。
情報を届けて 病院で安全な出産を
「MSFの病院では、一人一人に健康手帳をお渡ししています」 「病院までの道のりは坂道が多いので注意して来てください」 「妊娠をしたら食生活にも気をつけましょう」 狭い室内に響く助産師の声に、女性たちがじっと耳を傾ける。コックスバザール、ジャムトリ難民キャンプ内のMSFの病院から歩いて15分ほどの区画にある仮設住宅の一室。ここでMSFはロヒンギャの女性たちを対象に、定期的な健康教育活動を行っている。助産師と伝統的産婆(TBA)で編成されたチームがコミュニティに赴き、近隣に住む女性たちを一つの家に呼び集めて開催する。
セッションでは、主に産前産後ケアや家族計画について説明。妊娠中の危険な症状や病院で出産するメリットにも触れ、専門家のサポートが受けられる医療施設での出産を促している。「多くのロヒンギャの女性は自宅で出産しています。伝統的な慣習や医療従事者への不信感、ミャンマーで医療を受けられなかった経験などが重なり、自宅出産を助長しているのです」と、健康推進活動を担当するMSF助産師のスチトラは話す。
いまも多い自宅出産 意識の変化は少しずつ
女性たちの中には心臓病や糖尿病、C型肝炎などを患う人もおり、妊娠すると合併症を引き起こす可能性もある。そのような妊婦にとって、医療設備の整わない環境での出産は特に危険性が高い。しかし、MSFの分娩介助件数は年間約4600件にとどまり、性と生殖に関する健康(SRH)に関する相談件数9万6000件と比較しても、病院で出産する人の数は圧倒的に少ない。 それでもこのような取り組みは、女性たちの意識に少しずつ変化をもたらしているようだ。この日、義理の娘と参加したファテマさんは次のように話した。
「実の娘は過去に自宅出産で合併症を引きおこし、死産しました」この日、義理の娘と参加したファテマさんはそう話した。 「悔やんでも悔やみきれず、それ以来ここにいる義理の娘たちにも病院に通うよう勧めています。過去にも今日のようなセッションに参加して、出産のために病院へ行くことの大切さを学ぶことができ、感謝しています。他の女性にも病院に行くことを勧めたいと思っています」
バングラデシュにおけるMSFの活動概要
国境なき医師団(MSF)は1992年よりバングラデシュの難民キャンプで活動を開始。現在、コックスバザールの難民キャンプやダッカのスラム街で医療・人道援助活動を展開している。 コックスバザールでは8の施設で、増え続ける患者の健康ニーズに対応するため、基礎医療をはじめ、疥癬(かいせん)やC型肝炎、デング熱などの感染症、高血圧や糖尿病などの慢性疾患、心のケアなどの医療を提供。また、女性たちに向けて産前産後ケアや家族計画、性暴力の被害者のためのサポートも行っている。
MSFの活動実績 (2021年)
・外来診療件数 71万6600件 ・入院患者数 2万1400人 ・個人に対する心のケアの相談件数 3万2800件 ・分娩介助件数 4580件 ・性と生殖に関する健康(SRH)の相談件数 9万6000件 ・家族計画の定期相談件数 約2万5000人
2017年のミャンマー国軍による武力弾圧を受け、ロヒンギャの人びとが隣国バングラデシュに逃れてから5年。MSFはコックスバザールの難民キャンプで、ロヒンギャ難民に医療・人道援助活動を提供してきた。今後も継続して援助活動を行っていく。