ミャンマー国軍が30年以上例がない死刑を不意打ち執行、人気歌手の遺志継ぐ潜伏妻「戦い抜く」 挙式1カ月前に逮捕、日本の国軍留学生受け入れを批判

 クーデター後の混乱が続くミャンマーで7月23日、民主活動家ら4人の死刑が執行された。ミャンマーで死刑は30年以上執行例がなく、国際社会の制止を無視し、国軍が強行した。ピョーゼヤートー元下院議員(41)は4人のうちの1人だ。人気ヒップホップ歌手から政治家に転身し、民主化指導者アウンサンスーチー氏(収監中)の側近だった。国軍を非難する声が世界で広がる中、妻タジンニュンアウンさん(39)が潜伏先からオンラインインタビューに応じた。

 国軍はピョーゼヤートーさんの遺骨や遺灰を返還していない。タジンニュンアウンさんは「国軍に逆らえばどうなるか分からせるため」の見せしめだと憤る。それでも夫の遺志を継ぎ「国軍打倒まで戦い抜く」と決意は固い。ミャンマーを巡る日本政府の対応について尋ねると、防衛省が国軍からの留学生を受け入れ続けていることを批判した。(共同通信=大西利尚)

ミャンマー・ネピドーの議会に到着するピョーゼヤートー氏=2015年8月(AP=共同)

 ▽音楽活動再開もクーデターで暗転

 ピョーゼヤートーさんはミャンマーのヒットチャートで1位を獲得したこともあり、政治的メッセージに富んだ歌詞で人気を呼んだ。2012年の補選でアウンサンスーチー氏の国民民主連盟(NLD)から出馬して下院議員に初当選した。

 

ミャンマーのピョーゼヤートー元議員(右)と妻タジンニュンアウンさん(タジンニュンアウンさん提供・共同)

タジンニュンアウンさんもヒップホップ歌手だ。2人は2019年に交際を始め、1年後に結婚したものの、忙しくて結婚式は挙げなかった。「夫はこの国を良くしたいという気持ちにあふれていた」。タジンニュンアウンさんにとりピョーゼヤートーさんは尊敬の対象であり、音楽を通じてミャンマーに民主主義を定着させようと取り組む同志でもあった。

 ピョーゼヤートーさんは2020年の総選挙には立候補せず政界を引退し、音楽活動を再開する予定だった。しかし2021年2月1日、国軍がクーデターを起こし、全てが暗転した。

 ▽逮捕され、かなわなかった結婚式

 2人は当初クーデターに反対する路上デモに参加していたが、国軍は武力弾圧に乗り出し、各地で死傷者が増えていった。タジンニュンアウンさんは「自分の命を犠牲にしなければいけなくなるかもしれない」と覚悟した。ピョーゼヤートーさんは身を隠し、武装蜂起した民主派でつくる「国民防衛隊」を支援するようになった。

 2人は潜伏生活を続けた。そうした中、先延ばしになっていた結婚式をひそかに挙げる予定にしていた。だが、かなわなかった。2021年11月18日、ピョーゼヤートーさんは最大都市ヤンゴンのアパートで警察に逮捕された。挙式予定の1カ月前だった。

 タジンニュンアウンさんも当時同じアパートにいた。階下が騒がしいと不安になってのぞくと、警官ら300人近くが集まり、ピョーゼヤートーさんを連行するところだった。タジンニュンアウンさんは安全な場所にすぐ移り、辛うじて逮捕を逃れた。

ミャンマー国軍のクーデターに抗議するデモに参加するタジンニュンアウンさんとピョーゼヤートーさん(タジンニュンアウンさん提供、共同)

 ピョーゼヤートーさんは2022年1月21日、民主派のために武器や資金を調達した「テロ行為」に関与したと断定され、軍事法廷で死刑を言い渡された。

 ▽残った方が革命を続ける

 ミャンマーでは1976年以来、政治犯の死刑執行はなく、それ以外でも30年以上執行例がない。国際社会も国軍に思いとどまるように繰り返し要請した。カンボジアのフン・セン首相は国軍トップのミンアウンフライン総司令官を説得するため書簡を送った。カンボジアはミャンマーも加盟する東南アジア諸国連合(ASEAN)の今年の議長国。国軍も考慮せざるを得ないとの見方もあった。 だが、タジンニュンアウンさんは7月25日付の国営紙で、死刑が執行されたことを知った。執行前日の22日にはピョーゼヤートーさんの母親がオンラインで面会していた。ピョーゼヤートーさんは辞書と眼鏡を差し入れるよう要望したという。死刑執行は多くの人にとって不意打ちだった。

 タジンニュンアウンさんは「死刑執行を知った時の感情は言い表せない」と語った。一方でこうも言った。「私たち夫婦はどちらかが死んでも、残った方が国軍打倒の革命を遂行すると暗黙のうちに了解していた」

 死刑執行から6日後、タジンニュンアウンさんは誕生日を迎えた。その際、右腕に星形のタトゥーを四つ入れた。星の上には「勝利」の文字も彫った。夫を含め絞首刑に処された4人は星になり、国軍打倒という勝利に向け旅立ったことを表している。

タジンニュンアウンさんが自分の誕生日に彫ったタトゥー。四つの星は死刑執行されたピョーゼヤートーさんらを表し、上のぎざぎざの丸の中には「勝利」と書いてある(本人提供、共同)

 ▽日本は弾圧の一端を担うのか

 アウンサンスーチー氏は非暴力を掲げ民主化運動を主導し、1991年にノーベル平和賞を授与された。しかし民主派は今、国軍打倒のため武装蜂起し、地方を中心にゲリラ戦を仕掛けている。スーチー氏の理念とは矛盾する。

 タジンニュンアウンさんに尋ねると、逆に質問された。「頭上に刀を振りかざし、殺そうとしてくる人にどう対応すればいいのか。何もされず殺されればいいのか」。言葉にはいらだちが少し交じっていた。

 

ミャンマーのピョーゼヤートー元議員(中央)と妻タジンニュンアウンさん(右)(タジンニュンアウンさん提供・共同)

インタビューでは、日本政府のミャンマー政策にも話が及んだ。日本は米欧の制裁には加わらず、国軍との対話も模索する。タジンニュンアウンさんはそれを否定しなかった。ただ一つだけ疑問を呈した。日本の防衛省がクーデター後も国軍からの留学生を受け入れていることだ。「罪のない市民が毎日殺されている。国軍への支援は絶対にあってはならない」と語気を強めた。

 国軍の幹部候補生の日本留学は2015年から始まった。今年4月26日の衆院安全保障委員会での政府側答弁によると、2015~21年度の留学生向け給付金は計約6800万円。岸信夫防衛相(当時)はその狙いを「民主主義や文民統制について正しい認識を持った人材として成長するという効果がある」と説明した。クーデターが起きても中断されず、2022年度には新たに4人の受け入れが決まっている。

 タジンニュンアウンさんはこう訴えた。「不当に死刑執行された遺族の一人として、日本政府にお願いしたい。軍政が長引くような支援はやめて」。国軍は今も市民に銃口を向け続けている。日本から戻った幹部候補生がその先頭に立つことはないのか。タジンニュンアウンさんは、日本が弾圧の一端を担う結果になりかねないと強く警告した。

 ミャンマーの人権団体「政治犯支援協会」によると、クーデター後の国軍の弾圧による死者は2200人を超えている。

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