伊能忠敬 測量手伝いの史料発見 新見 人数や宿泊費、協力実態記録

妻の実家で見つけた史料を読み込む橋本さん

 江戸時代に初の実測日本地図を作った測量家・伊能忠敬(1745~1818年)が、現在の新見市内を測量した際、各村から手伝いに出た住民の人数や測量隊の宿泊費などを記録した2種類の史料が、同市内の民家で発見された。

 「法曽」「金谷」といった同市の地名のほか、測量隊の滞在期間なども記されている。伊能忠敬記念館(千葉県香取市)は、村人が伊能の測量を手伝ったことをうかがわせる史料は他県で数点しか見つかっておらず、「測量という国の一大事業に新見の人々がどう協力したかが分かり、貴重だ」と評価する。

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 伊能忠敬が当時の新見に滞在し、村人が測量を手伝った様子を伝える史料は、文化財保護活動に取り組む橋本惣司さん(80)=津山市=が2019年、新見市の妻の実家で見つけた。

 二つの史料のうち、一つは「御測量方御通行 御伝馬人馬并(ならびに)測量人足仕出し帳」と書かれ、表紙に文化8(1811)年の年号が記入されている。和紙(縦38センチ、横29センチ)6枚で、「法曽」「下唐松」「金谷」といった現在の新見の地名に通じる村名と、距離を測るために使用していたさお状の「梵天(ぼんてん)」や荷物を持つ係、案内役といった村人の役割や人数が記されている。

 もう一つは和紙8枚。測量隊をもてなした庄屋らが村の宿場に払った代金や日付、宿泊した地名、「2泊1休」や「6泊6休」といった宿泊期間を記載する。史料はいずれも地元の有力者が記録したとみられる。

 橋本さんは、妻の実家で捨てようとしたふすまを剥がした際、下張りに使われた和紙に気付き、内容を読み込んでいた。昔はふすま屋に使わなくなった紙を売ることが多く、下張りに紛れたと推測。「伊能が新見で測量したことは知られていたが、関連史料は少ない。全てのページが出てきたわけではなく、まだ眠っているかもしれない」と話している。

 伊能の研究に取り組む伊能忠敬記念館の紺野浩幸学芸員(59)は「三重県などで村から手伝いに出た人数などの記録が数点見つかっているが、民家のふすまから出てくることはまれ」と指摘している。橋本さんは史料を調査した後、同記念館へ寄贈するという。

新見市内で見つかった伊能忠敬の測量に関する史料

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