「何かをやり遂げる強い心が足りないのではないか」
下地和也さん(44)は17歳の時、そんな自分を変えたいと、木下サーカスの門を思い切ってたたいた。
運動などの経験はなく、自信があったわけではない。それでも今では、空中ブランコや鉄製の球体の中を走るオートバイショーといった花形の演技に加え、足の裏に載せた梯子(はしご)に人が立って演技する伝統芸・一丁梯子の土台を担当。オールラウンドプレーヤーの一人として活躍する。
沖縄県石垣市で生まれ、小学1年から親の転勤先の名古屋市で暮らし始めた。高校を2年で中退。鉄工所に就職したが、1カ月で辞めた。やりたいことが見つからず、思い悩んでいた時に地元で公演中の木下サーカスに出合った。
「地元を離れ、頼れる人がいない所で自分を鍛え直そう」。他の多くの団員のように舞台に憧れたわけではなかった。
入団後は人一倍努力した。空中ブランコに出演するため、3回しかできなかった懸垂を15回以上できるよう筋力を鍛えた。一丁梯子に出ようと、寝転んだ状態で重さ90キロの砂袋を足裏に載せて上げ下げする練習を歩けなくなるほど繰り返した。オートバイショーでは自転車で球体の中をハイスピードで走り、バランス感覚を養うと同時に転倒や衝突への恐怖を克服した。
難しい演技を次々とマスターし、舞台デビュー。「一つ一つ何かを習得していく達成感を木下サーカスに入って初めて味わうことができた。練習が楽しくて仕方なかった」と振り返る。
だからこそ、度重なるけがにもめげなかった。20歳の時、空中ブランコの本番中に右の股関節を脱臼。3年後、負担がかかりすぎていたのか右膝の半月板を損傷した。さらにその3年後、オートバイショーでタイヤがスリップし、一緒に走行していた他のオートバイとクラッシュ、再び右の股関節を脱臼した。
いずれも1~2カ月間の入院を余儀なくされたが、一度もやめようとは思わなかった。退院するたびに衰えた筋肉を鍛え直し、舞台に返り咲いた。
「舞台に出ることは日常生活の一部。休んでいると落ち着かなくなる」。自分の新たな可能性を引き出してくれたサーカスに感謝し、生涯をささげるつもりだ。
=Part2おわり