<南風>心と出合う

 私は、幼い頃から「女の子の気持ちがよく分からない」と感じていた。では、男の子の気持ちは分かっていたのかといえば、答えはもちろん「ノー」である。何だか違うなと思いながら時々自分の世界に逃げ込んでいた。女の子たちは集団に招き入れてくれるので、その期待に応えようと、見よう見まねで合わせようと努力していたように思う。

 しかし小学生の頃は本当に理解して行動しているわけではないので、間違えることがとても多かった。周りのお友達に合わせているつもりでやりすぎたり、そもそも理解しているつもりのルールが思い違いだったり。そんなこんなで、誤解されることも多く、分からないなりの努力は、ほとんど実を結ばないので、対人関係に疲れていた。

 自分の外の世界を捉えるのが苦手だった私は、走って1、2分のわが家への帰り道が果てしなく遠く感じ、お友達と一緒でない時は途中で座り込むこともあった。毎日、確実なことがなく、曖昧な人の気持ちを読んで暮らす日々は、小学生には大変だった。

 はやりの歌にも、アイドルにも全く無知なので、よくドギマギしていた。繰り返すが、いかなる努力も、予定と違う方向に働き、時に誰かを傷つけることにもつながってしまうのだ。

 しかし幸い登校渋りはなかった。それは、丁寧に送り出してくれる母のおかげであり、帰宅すれば楽しく過ごせるきょうだいのおかげであり、何より私自身が人を求めていたからだと思う。子どもは時に残酷だが、子ども時代の共感はそれ以降には得がたい喜びに満ちている。その瞬間を多く手に入れようと七転八倒していたのだと思う。

 あの頃の私に伝えたいことは、相手の意図を想像し、分からないことは質問する。「私はどうしたいか」を自分に問う。それは「今ここ」にも当てはまる。

(金武育子、沖縄発達支援研究センター代表)

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