高齢ボランティアらがアフガン女性に伝えた日本の温もり、専門家も注目する信頼関係 「日本のお父さん、お母さん」と「子や孫のような存在」

アフガン女性に日本語を教える姫野あつ子さん(右)=5月31日午前、千葉県四街道市

 ウクライナ人やミャンマー人など、母国にいられない事情を抱え、日本で暮らす外国人の姿を、よく目にするようになった。ただ、言葉や文化の違いは大きく、日本社会になじむのに苦労し、不安定な環境下にいる人は多い。そんな中、多くの在日アフガニスタン人が住む千葉県四街道市では、日本語教室で講師役を担うボランティアの高齢者らが率先してアフガン女性に日々寄り添い、地域への定着を支えている。日本語を教えるだけでなく、行政手続きや子育てなど、生活面もサポート。「子や孫のような存在」とかわいがり、女性たちも「日本のお母さん、お父さん」と慕う。専門家は「存在が見えにくい在日外国人と、日本社会との接点になっている」と、その活動に注目している。(共同通信=井沼睦)

 ▽若返るような気持ち
 「これは手、これは足―」。7月、任意団体の四街道市国際交流協会(ヨッカ)が市内で開いた日本語教室で、10人ほどのアフガン女性が日本語を学んでいた。教えるのは50代~80代のボランティアの住民ら。市内に住む千葉光幸さん(68)は、定年まで会社員として東京都内の会社へ通勤する毎日だった。「時間ができたので、誰かのお役に立ちたいなと。みなさん熱心なので、私も頑張って勉強しないといけない。若返るような気持ちです」と目を細めた。

アフガン女性に日本語を教える千葉光幸さん=7月19日午前、千葉県四街道市

 あるアフガン女性(24)は、日本で働く夫と暮らすため4月に来日した。昨年8月に復権したタリバンに、親族を殺されたという。「安全な日本にずっといたい。日本語をマスターして仕事を見つけることが目標。先生は優しくて、毎日でも教室に来たい」と笑顔を見せた。

 ▽タリバンの標的にされた人々
 政府統計によると、千葉県に住むアフガン人は1584人。日本に住むアフガン人の4割を占める。千葉に多いのは、自動車解体や部品の輸出に携わるアフガン人が家族を呼ぶなどしたため。中でも四街道市が最も多い886人(7月末時点)。増加傾向だったが、タリバン復権以降、前年比の増加率の4倍以上に急増している。
 市の担当者は「アフガンの方は日本人の支援者と一緒に役所に来るので、手続きがスムーズで助かっている」と話す。この日本語教室にも、これまでに約65人のアフガン人が通った。全員がイスラム教シーア派の少数派民族ハザラ人。母国で長く差別を受け、タリバンから標的にされる人々だ。生徒は、家事育児の合間に通う女性が中心だという。
 2016年からボランティアを務める姫野あつ子さん(72)は、女性たちの一番の相談相手。4年前に来日した女性(40)は「日本のお母さん。姫野先生がいなかったら、生活は難しい」と話す。
 8月22日には、千葉市内の自動車教習所で、涙目のこの女性を慰める姫野さんの姿があった。昨年末から11回目の挑戦となる運転免許の実技試験に落ちたという。4人の子どもと夫のために大量の食料を買って運ぶには運転免許が必要。姫野さんの送迎で練習場に通い、万全の準備で挑んだはずだった。「私はダメ」と落ち込む女性の肩を、姫野さんは「次、頑張ろう」と叩いた。

自動車教習所でザルミナさん(右)と話す姫野あつ子さん=8月22日午前、千葉市

 子どもたちが通う学校から届く書類の説明、家族全員分の新型コロナウイルスのワクチン接種予約の手助け、出産の立ち会い…。姫野さんの手帳を見せてもらうと、教室外でも毎日のように女性たちの元へ駆けつけ、手助けをした記録が残る。
 教室の後も勉強がしたいという女性たちに付き合ううちに、一緒に出かけたり、悩み事を聞いたりするようになったという。忙しい日々を送るが、姫野さんは「皆、娘や孫みたいなもの。アフガンの男性は土日も休みなく働いていて、家庭のことは女性に全て任されているから、やることがたくさんあるのよ」と楽しそうに語った。

 ▽「後悔」から定年後、ボランティアに
 姫野さんがこれほど尽くすのは、「後悔」があるからだという。夫とともに四街道市内でコンビニを経営していた1990年代のこと。日雇いの道路工事で働く20代のパキスタン人の青年から「バナナを買いたい」と言われた。当時、店にバナナがなく、姫野さんが近くのスーパーに買いに走った。それがきっかけで常連客となり、人なつっこくて誠実な人柄に惚れ込んで、やがてアルバイトとして雇った。「店のおでんを上手に作って、お客さんには『お箸は苦手だから自分で取ってねー』と冗談を言って笑わせて、人気者だった」と姫野さんは振り返る。
 青年は、食事をいつも安い牛丼で済ませて節約し、母国の家族に仕送りをしていた。しかし、姫野さん夫婦が正社員にしようとした矢先、下宿先のアパートで心筋梗塞のため亡くなった。「異国の日本で頑張る若い人のために、もっと何かしてあげればよかった」。定年となり、店を閉めた後、教室のボランティアに応募した。
 タリバン復権後は、無力感も抱いた。アフガンから脱出しようと空港を飛び立つ米軍の輸送機にしがみつき、落下する人々の映像に衝撃を受けた。ちょうどその頃、日本語が上手で教室の運営を手伝ってくれていたアフガンの若者が、精神的に不安定になった。聞くと、両親が首都カブールに帰省中で、出国できない状況が続いていた。

カブールの空港周辺に集まった群衆を前にゲート閉鎖を示す看板を掲げる米兵=2021年8月26日(AP=共同)

 現地に住む別の生徒の妹からは「タリバンが各家を回って女性が何人いるか調べている。日本へ逃げたい」と助けを求める電話もかかってきた。
しかし、姫野さんにできることはない。「私はただの普通のおばさん。大きなことはできない。でも、生活面で助けられることはしたい」
 国外退避の支援をしている大学教授らに相談した。姫野さん自身は、母国に帰れなくなり難民認定を受けたアフガン人らの困り事を聞き、家探しや住民票取得などに走り回った。

 ▽女性の自立
 大変なことも多いが、その分、喜びも大きいという。アフガンの女性たちの自宅へ行けば、食べきれないほどのお菓子やフルーツをお土産に手渡される。アパートに住むある女性は、夜の暗い階段で姫野さんが転ばないよう、荷物を持ち、灯りを照らしながら誘導してくれた。
 「皆優しくて、まるで『(NHK連続テレビ小説の)おしん』みたいに忍耐強い。女性たちの出産、子育て、と毎日がドラマ。人生の生き直しをさせてもらっているみたい」
 アフガンでは「妻子は夫に従うもの」という考えが強く、アフガン男性の中には、妻が日本語教室で男性の先生に教わることや、働くことに反対する人もいるという。それでも、女性たちが日本語を覚え、運転免許を取り、一人でもできることが増えていくと、女性からは「私ばかりが忙しい」「私も働きたい」などと、夫への愚痴を聞くことも増えてきた。
 姫野さんは「自立に向けた、いい変化なんじゃないかな」と笑う。
 ただ、女性の自立は日本でも簡単ではない。「アルバイトをしたい」と言うアフガン人の高校生らのために、姫野さんが市内のコンビニやファーストフード店に雇ってもらえないか尋ねて回ったところ、男性は採用されたが、女性は断られた。理由は、髪を覆うスカーフ「ヒジャブ」が店の制服に適さないためという。「女の子は結局、学校を卒業すると家に閉じこもって家事手伝いをするか、結婚するかの選択肢に限られてしまう。日本社会の側でも受け入れてくれる職場が増えるといいのに」

 ▽日本社会との接点
 こうしたヨッカのボランティアの活動を、千葉大大学院の小川玲子教授(移民研究)は評価している。「移民政策を行わない日本では、在日外国人はまるでパラレルワールドのように日本社会と関わりを持たないまま生活している場合もある。その中で、ヨッカは在日アフガン人と日本社会の接点になっている」

千葉大大学院の小川玲子教授

 小川教授によると、四街道市の在日アフガン人は親族経営で仕事をしている人が多く、たとえ同じ民族同士でもビジネス上のライバルに当たるため、関わり合うことが少ない。だから助け合いのコミュニティはなかなか育まれず、研究者にとっても「バラバラで、見えにくい存在」だった。
 しかし、ヨッカが1人1人のアフガン人と信頼関係を築いてきたおかげで、彼らの実態が見えてきた。小川教授が昨年8月~今年3月、在日アフガン人に対して医療と教育のニーズを探るためのアンケート調査をした際、ヨッカのボランティアたちは、教室に通っていない人にも質問用紙を配ってくれたという。
 小川教授は行政書士らとともにアフガン人の国外退避支援にも関わっているが、支援したアフガン人の生活相談は姫野さんらに頼んでいる。
 小川教授は、ロシア軍の侵攻を受け、たびたびメディアに取り上げられるウクライナと比べ、アフガンの現状は知る機会が少ないと指摘する。「ウクライナ人は、実名で顔を出してインタビューに答えることができる。惨状を知って助けたいと思う日本人も多い。しかし、アフガン人は取材に顔を出して実名で応じると、母国にいる親族がタリバンに狙われる危険があるため、表に出ることは難しい。『分からない』存在に対して人々は不安を感じることがある」
 だからこそ、ヨッカのように偏見なく、隣人として対等にアフガン人に接する場は重要だ。「母国が戦禍にある中で、誰にも認められず、忘れられるのはつらい。温かく気にかけてもらうことが、アフガンの人々の精神的な支えになっている」と強調した。

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