「世界でトップを獲れたかもしれない人がいた」片山右京さん 憧れの天才レーサー 故・高橋徹さんを語る

40年前、すい星のごとく現れ、散っていった広島出身の天才ドライバー 故・高橋徹さんの企画展示が、広島市内で開催されています。その会場で先日、元F1ドライバーの片山右京さんが講演し、熱い思いを語りました。

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広島市の交通ミュージアムで来月4日まで開かれているレーシングドライバー・高橋徹さんの生涯を振り返る企画展示です。

片山右京さんも会場を訪れ、よみがえった1983年当時のF2のレースカー「マーチ832BMW」のモノコックに見入っていました。

元F1レーサー 片山右京さん
「世界でトップを獲れたかもしれない人がいたってことが事実だし、そういった原動力がお金とかじゃなくて、必死に思える情熱とか、やる気だったんだっていう」

坂上俊次アナウンサーの司会で始まった講演会には、観客およそ70人が集まりました。

片山右京さん
「最初に出会った衝撃的なスターというか、自分の中でのアイドルが徹さんだったんですね」

当時、最高峰のF2デビュー戦で2位に入るなど衝撃的な走りを見せました。

片山右京さん
「ぼくは、セナ、シューマッハ、プロストとか、マンセルと走らせてもらったけど、2・3位争いはたまにして、5位になることができたけど、徹さんだったら勝っていたなと。その時代で先頭を走っていたことは間違いはないですね」

1960年、東広島市で生まれた徹さんは、広島工業在学中にA級ライセンスを取得。資金力が必要なレースの世界にあって、実力だけで当時のトップカテゴリー・F2へと瞬く間に昇りつめます。

ヘルメットのデザインを真似たという片山右京さん。

究極的なスピードにあるF1レーサーの心境をこう語ります。

片山右京さん
「ゾーンに入ると、静かになるんですよね。音が消えるんです。もっと集中してくると、色を落とすんですよね。スローモーションになってくるんですけど、自分の呼吸の音だけが聞こえて」

ゾーンに入った高橋徹さんは、83年のレース中、23歳の若さで亡くなります。

片山右京さん
「誠実に勝る知恵はないから、なるべく正直に生きて、いつ死んでも心筋こうそくが起きても後悔がないように、そういうふうな考えをしようと思い始めました。子どものころ、がんばったことは、必死でやったことは、泣いたことも、例えばふられたことも大学落ちたことも失敗したことはみんな覚えているから。でも、きょう、みんな生きていたり、やっているのは、そこまで戦ってきているから。絶対、がんばるんだとか、よし、やってやるとか、空元気も含めて、みんなでがんばりましょうね」

広島が生んだ天才ドライバー・高橋徹さんの展示会は、来月4日まで広島市内のヌマジ交通ミュージアムで行なわれています。

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