【幕末維新 山口れきし散歩】 No.31 「一ノ瀬関門跡」

▲草の花揺れる(山口市仁保上郷)

 1863(文久3)年5月、藩庁が萩から山口に移転した翌月、長州藩では久坂玄瑞らが下関で外国船を砲撃、6月には報復攻撃を受けた。

 その頃、山口では密偵の侵入を防ぐため、他国人の立入りを禁止し、諸口を封鎖することとした。

 その後、吉敷の大峠、小郡の国守・柳井田・林光(りんこう)、陶・鋳銭司から黒川へ抜ける陶峠と鎧峠、切畑と小鯖を結ぶ千切(ちぎり)峠、鯖山峠下の勝坂、仁保の井開田・一ノ瀬に関門が置かれ、宮野には番所が設けられた。

 こうした中で、一ノ瀬関門の守衛を任されたのが国司信濃の親族たちであった。

 また、かつて一ノ瀬地区には、関門という屋号を用いた家があったとも伝えられている。

 防長史談会山口支部長 松前了嗣

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