「タンデム自転車」の利用が広がりつつある。通常の1人乗り用とは違ってサドルとペダルが前後に二つ以上付いており、複数人で協力してこぐ自転車で、1人では自転車を楽しむことが難しい障害者や高齢者らの「自転車を楽しみたい」という願いをかなえている。生きがいがほしい、夢をかなえたい、夫婦で一緒に出かけたい―。さまざまな思いを乗せた注目の乗り物を、サイクリングの聖地・愛媛で取材した。(共同通信=伊藤愛莉)
▽目指せ2万キロ。ひきこもり生活から一転、「世界が広がった」
愛媛県八幡浜市で鍼灸師として働く高田忠明さん(66)は20代半ばで視力をほとんど失ってから、自宅に引きこもりがちの日々だった。趣味だったバイクにも乗れず、出かける範囲は家からせいぜい数百メートル。そんな中、タンデム自転車と出会い、風を切って走る楽しさを思い出した。
5年前のこと。知人の紹介で訪れたイベントで、タンデム自転車に初めて乗った。タイヤを通して全身に伝わる心地よい路面の響き、自分の力でペダルをこいで前に進む爽快感。日ごろの悩みや鬱屈した気持ちが消えていった。「生きててよかった」と自然に口からこぼれたという。帰宅後、すぐにタンデム自転車を購入した。
今では弟の宗典さん(59)と2人、日曜日は時間を忘れてタンデム自転車でのサイクリングに熱中している。「行動範囲が広がったし、日曜が楽しみになった」と笑う。それまでは行くことのなかった県内各地の道の駅を訪れ、走った距離はもうすぐ8千キロに達する。
自転車を始める前は、用事が無いと会うことがなかった弟との会話も楽しみのひとつ。宗典さんに周囲の状況を“中継”してもらうことで、「こんなところにトンネルがあったのか」など新たな発見も多いという。
昨年6月に引っ越した家にはトレーニング部屋を併設。自転車型トレーニング器具(エアロバイク)をこいだり、ダンベルを持ち上げたり、トレーニングに励んでいる。「目標は2万キロ走ること。もっと早く走れるようになりたい」と爽やかに笑う。
▽大切な息子へ「君から幸せをたくさんもらっています」
知的障害を伴う脳性まひがある久保大翔さん(15)は小学校低学年から自転車に乗れる日を夢見てきた。だが、手足の力を入れるのが難しいためペダルを回せず諦めていた。5年生のころのタンデム自転車との出会いが夢への一歩となる。約2カ月間トレーニングを続け、足を軽くけいれんさせながらもペダルを回せるようになった時、大翔さんは涙を浮かべて笑った。「声を出して泣かない大翔が珍しく声を出して泣いた」と母親の美紀さん(50)は振り返る。
そうして臨んだ昨年のサイクリング大会で、大翔さんは「コパイロット」としてタンデム自転車の後ろの座席に乗り、前に座る「パイロット」と一緒にしまなみ海道を走破した。サドルからお尻がずり落ちそうになるのを、体勢を直しながら、坂道も休むことなく走り抜いた。
その様子を見つめていた父親の隆史さん(58)の目には、大翔さんが「まぎれもなくアスリートに見えた」という。無事走り終え、長年の夢をかなえた時、大翔さんはうつむきながら大粒の涙を流し、家族で達成感を分かち合った。
美紀さんはかつて小児科の医師から、歩ける可能性は「1パーセントもありません」と目も合わせずに伝えられたことを覚えている。それだけに「障害があってもここまでできることを知ってほしい」と声を弾ませる。わが子の挑戦が、障害がある子の希望になることを望んでいた。
隆史さんも「できんやろうと思っていたけど、できた。ここから先も無限の可能性がある」と笑う。息子の挑戦に対する思いを文章に残し、タンデム自転車に関する冊子に寄せた。その最後には「障害があろうがなかろうが、父さんの大切な息子であり、君から幸せをたくさんもらっています」「できないこともたくさんあると思いますが、時間がかかっても一つ一つ家族で歩いていこうね」とつづった。
▽趣味に競技に。日本で広がるタンデム自転車
「タンデム自転車」は、座席やペダルが二つ以上付いており、複数人が前後に並んで乗ることができる自転車だ。一般的には2人乗り用を指す。重たいため速度が出やすく、小回りが利きにくいなどの特性がある。
海外ではヨーロッパを中心に趣味や移動手段として普及してきたが、日本では公道での走行が原則禁止され、ほとんどの自治体で乗ることができなかった。しかし2015年ごろから、観光需要や障害者団体からの要望もあり、各地で公道走行が解禁され始めた。現在は東京と神奈川を除く45道府県で、全ての公道を走ることができる。東京でも一部の公道で走行が可能になった。
ただし歩道を走行できないなど、普通の自転車とは異なる交通規則がある。運転感覚も異なるため、タンデム自転車の普及を目指す「大阪でタンデム自転車を楽しむ会」は「公園で慣れてから道路に出るなど安全に配慮して楽しんでほしい」と呼びかけている。
タンデム自転車は競技にも活用されている。実は1908年のロンドン五輪から正式種目だった。72年に廃止されたものの、今度はパラリンピックで日の目を見ることになった。96年のアトランタ大会から正式採用され、昨年の東京大会でも視覚障害のクラスで利用された。
▽認知症を食い止めろ 夫婦で楽しむサイクリング
障害者を中心に認知度が高まっているタンデム自転車だが、障害者の乗りものというわけではなく、高齢者や障害がない人にとっても“恩恵”が大きいようだ。
「コイが寄ってきた」「餌がもらえると思っているんじゃない」。松山市の中矢一成さん(74)と妻由紀子さん(72)は週に2~3回、こんなやりとりをしながら自宅近くの川沿いやサイクリングロードで約2時間のツーリングを楽しんでいる。タンデム自転車の魅力は「2人で話しながら乗れること」という。
約8年前、由紀子さんが1人乗りの自転車で転倒し、定年後に2人で続けていたサイクリングができなくなった。その約3年後、由紀子さんは認知症と診断された。一成さんが家を空けた際に由紀子さんが徘徊して帰らず、翌朝、警察に保護されたこともあった。
そこで、一成さんは町で見かけたタンデム自転車に目を付けた。由紀子さんがぼんやりすることが多い昼過ぎに一緒に出かけ、徘徊を防ごうと思ったという。足腰の運動にもなり、さまざまな景色を見ることで認知症の進行を遅らせる狙いもあった。
始めて約2年。外出の機会が増えた。ウ(鵜)が集まっている様子を見ながら「鵜飼いじゃなくて『鵜会』だね」なんて冗談を言いつつ、いつものルートを走らせる。2人乗りの自転車が珍しいのか、寄ってくる子どもたちにあいさつしたり、桜や新緑など季節の移ろいを感じたり。
由紀子さんが「一緒に走ると楽ちん。私はあんまり力にはなれないけど」と目を細める横で、一成さんは「できるだけ長く2人で出かけたい」と笑顔で話す。
▽夫の夢とともに生きていく 愛媛のタンデム自転車普及の立役者
障害者や高齢者の願いをかなえているのがNPO法人「タンデム自転車NONちゃん倶楽部」だ。代表津賀薫さん(71)はタンデム自転車27台に加え、手を使ってこぐハンドサイクルなども保有し、それらを用いて定期的にサイクリングイベントを開催している。「イベントのたびに(参加者の)喜びを目の当たりにします」と話し、活動を通して出会ってきた人たちのことを思い返す。
夫の故・徳行さんは、薬害による視覚障害があり、タンデム自転車に乗りたいとしきりに言っていた。一方の津賀さんは股関節が弱く長距離を歩けなかった。徳行さんはよく「おまえが俺の眼になり、俺がおまえの脚になるから」と言っていた。しかし、愛媛県は当時、2人乗りのタンデム自転車で公道を走ることは禁止されており、挑戦はかなわなかった。
徳行さんの死から約1年後の2010年8月、愛媛県は全面的にタンデム自転車の公道走行を解禁した。津賀さんは「主人の夢とともに生きていこう」と購入し、イベントを開催し始めた。
当初は、前の座席に座る「パイロット」を担うボランティアの確保に苦戦した。自転車の輸送費なども持ち出しで、「いつまで続けられるだろう」との不安もあったが、地元企業から協賛を得たり、県のサイクリングチームとつながったりしながら、地道に活動の輪を広げていった。
なぜ12年も続けてこられたのだろうか。津賀さんもふとそんなことを考えるというが、「タンデム自転車に乗った人が喜んでくれ、前向きに変わっていく姿やドラマを見て感激する。また喜んでもらいたいと続ける。それの繰り返しでしょうね。でないとやってられない」と笑った。夫が夢見た光景は着々と広がり続けているようだ。