近年のサッカー界でエース番号とされてきた「背番号10」。
ここでは、10番を背負うことをやめたスター選手たちを取り上げてみる。
リオネル・メッシ
バルセロナで10番を背負い、世界最強に登りつめた天才レフティ。
PSGではネイマールからの10番譲渡を断り、プロデビュー時に背負った30番を選択した。当時のリーグアンでは30番はGKがつける番号だったが、特例で着用が認められた。
今季限りでPSGを退団したアンヘル・ディマリアは11番をネイマール、10番をメッシがつけるべきと提案していたが、今季も30番を背負う。
なお、アルゼンチン代表では今でも10番をつけている。
デイヴィッド・ベッカム
マンチェスター・ユナイテッドで伝統の7番を背負ったイケメンMF。7が代名詞となったが、ユナイテッドでは10番もつけていた。
1997年に加入したテディ・シェリンガムに10番を譲ると、7番に変更。それ以降、ベッカムが10番をつけることはなかった。
テディ・シェリンガム
「オールド・トラッフォードにいた頃、ユナイテッドの10番を誰がつけるかという話があった。それはベッカムと私の間で争われた。
サー・アレックス・ファーガソンに尋ねた。『10番をつけてる若者は誰?』とね。
彼は『あの子はデイヴィッド・ベッカムという子だ』と答えた。
私はサー・アレックスに『私が彼の10番を手に入れるチャンスはあるか』とお願いしたんだ。
彼がベックスに聞くと、『問題ない』という答えだった。
私は人生で7番だったことは一度もなかったし、マンチェスター育ちでもなかった。
だから、ユナイテッドの7番を背負うのがどれほど名誉なことなのかに気付かなかったのさ」
ルート・ファンニステルローイ
シェリンガムの後にユナイテッドの10番を背負ったオランダ代表FW。
9番も空いていたが、10番をつけて、エースとして大暴れした。
その後、レアル・マドリーでは17番、ハンブルガーSVでは22番、マラガでは9番を着用。10番をつけることはなかった。
なお、彼の退団後にユナイテッドの10番をつけたのはウェイン・ルーニー。
ロナウド
かつて世界最強ストライカーに君臨したブラジル人FW。
1997年にバルセロナから移籍したインテルで10番をつけた。
翌年に加入したロベルト・バッジョにその番号を譲ると9番に変更。それ以降、彼が10番をつけることはなかった。
ロナウドが番号を変更したことで、9番だったイバン・サモラーノは18番に変更。1+8(=9)にしたことは世界的な話題になった。
ズラタン・イブラヒモヴィッチ
195cmという長身ながら、アクロバティックなプレーを得意とする唯一無二のFW。
PSG時代の途中から10番を背負うと、マンチェスター・ユナイテッド、そして、スウェーデン代表でも着用した。ただ、近年はこの番号を背負っていない。
ミランでは11番が自分の番号と述べているほか、復帰した代表でもエミル・フォシュベリからの10番譲渡を断り、11番を選んだ。
ヘンリフ・ムヒタリャン
香川真司ともプレーしたアルメニア人MF。
ドルトムントでは10番をつけて活躍したが、マンチェスター・ユナイテッドでは愛着ある22番を着用。
今年移籍したインテルでも22番を選んでおり、10番を背負ったのはドルトムント時代のみ。代表でも18番が多く、10番へのこだわりはないようだ。
本田圭佑
ワールドカップ3大会でゴールを決めた日本が誇るレジェンド。
VVVフェンロ、そして、ミランで10番をつけた。だが、その後は2、4、33、3と一風変わった背番号を着用しており、10番は背負っていない。
オスカル
若くして中国移籍を決断した元ブラジル代表MF。
2013年のコンフェデレーションズカップで背番号10をネイマールに譲ると、その代わりに11番を引き受けた。
当時のオスカルは「何の意味もない。自分は7番と10番でプレーしてきた。セレソンの10番は歴史的なものだけど、11番も同じさ」とコメント。
一方、ネイマールはつけたかったのは、実は10ではなく7番。その理由は、サントスで憧れていたロビーニョがつけていたから。
当初、ネイマールはコンフェデで尊敬するロビーニョに7番を譲り、11番を選択。ただ、ダニ・アウヴェスから「10番をつけろ」と半ば強制的に変更させられたと明かしている。
エディン・ジェコ
ヴォルフスブルクで長谷部誠とともにプレーしたボスニア・ヘルツェゴビナ代表ストライカー。
万能タイプの“9番”だが、マンチェスター・シティではエマニュエル・アデバヨールがその番号をつけていたこともあり、空いていた10番をつけた。
その後、ローマとインテルでも背負ったのは9番で、10番をつけたのはシティ時代のみ。ちなみに、代表では11番をつける。
中村俊輔
かつて日本代表の10番に君臨した天才レフティ。
横浜F・マリノス、ジュビロ磐田、横浜FCでは10番もつけたが、セルティック時代から25番に愛着を持っている。横浜FCでは46番から10番になったものの、今年から再び25番に変更。
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「10番でベンチはダメ」という思いから若手にそれを譲り、原点回帰の意味でも25番に戻したそう。