【読書亡羊】「全てはプーチンから始まった」民主主義のドミノ倒し ギデオン・ラックマン『強権的指導者の時代』(日本経済新聞出版) その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする週末書評!

ジョージ・ソロスは安倍元首相に何を言ったか

「あなたとトランプ大統領との間に信頼関係があることは、あなたの評判に繋がらない」

安倍元首相に面と向かってこう述べたのは、国際投資家のジョージ・ソロス氏だ。

ソロス氏は莫大な資産と発言力で世界のリベラル化に勤しんでいる。ユダヤ人であることを理由に「ソロスは世界を操ろうとしている」と陰口を叩く陰謀論者も絶えないが、実際は、独善的・独裁者を牽制し、民主化を後押しする慈善活動家である。

安倍元首相はソロス氏の忠告に、こう切り返した。

「トランプ大統領を選んだのは私ではありません。あなたを含めたアメリカ国民が大統領に選んだのです。そして米国は日本にとって唯一の同盟国です。その国の大統領と信頼関係を構築するのは、日本の首相にとっての義務です」(『プレジデント』2021年10月15日号)

ソロスからの返答はなかったとのことだが、理想主義を追求するソロス氏と、リアリストの安倍元首相のスタンスの違いがこのやり取りからもうかがえる。

ソロス氏は、安倍元総理がトランプ前大統領だけでなく、イギリスのジョンソン首相、インドのモディ首相、フィリピンのドゥテルテ大統領らとの関係も良好で、死去後にはロシアのプーチン大統領、中国の習近平国家主席からもその死を偲ぶ弔電が届けられる関係を築いていたことをご存じだったろうか。

今、名を挙げた各国のリーダー全員を「強権的指導者」であるとし、国家の政治体制を問わず「民主主義を脅かしている存在」と解説するのが、今回取り上げるギデオン・ラックマン『強権的指導者の時代』(日本経済新聞出版)だ。

著者は現在、フィナンシャル・タイムズ紙に在籍する、政治報道や解説コメントでの受賞経験もある著名ジャーナリスト。本書では各地での取材や、指導者らとの実際のやり取りを交えながら、いかに現在の国際社会が「強権的指導者」同士の共鳴によって反リベラル的潮流に見舞われているかを描き出している。

強権的指導者、二つの類型

本書によれば、強権的指導者には二種類ある。

一つはプーチンや習近平など、国家そのものが非民主的国家であり、そのトップに君臨しているケース。

もう一つはトランプやモディ、ドゥテルテなど国家は制度として民主主義を採用しているのに、それでも指導者個人の独善性や非寛容さが際立っているケースだ。

しかも二つのケースは別々に「強権化」に向かっているのではなく、前者から後者、つまり非民主的国家の手法が民主国家に「伝染」し、互いを隔てる壁を限りなく曖昧にしつつある。

1999年12月31日、つまり数時間後にはミレニアムの到来に全世界が湧くという時に大統領代行に就任したプーチンが、この20年のうちに〈新世代の権威主義者になりたいものたちにとって重要なシンボルであり、インスピレーションを与える存在〉になった。

結果、ナショナリズムを煽り、大胆で、暴力をも行使する意志、そして「政治的正しさ」を軽視する態度を取り、政党や政府と言った団体ではなく個人崇拝に近い形のプーチンは強権的指導者のモデルケースとなった。

そして〈政治の「個人化」の動きが世界に拡散した結果、権威主義と民主主義の間の線引きがぼやけてきている〉と指摘する。

「ディープステートが悪い」と責任転嫁

確かに、次々と列挙される強権的指導者たちの振る舞いや思想、そのスタンスの「伝染」の様子を読んでいくと、まるでドミノ倒しかオセロのように民主主義国家が非民主的手法に転じていくさまがうかがえる。

ここが本書の面白いところで、単に独裁者の振る舞いを列挙するのではなく、そこに横串を刺し、通底する手法や価値観をあぶり出しているのだ。そのままプーチン的手法を取り入れる者がいれば、そうした強権的手法に立ち向かうために自らも強権的になるリーダーもいる。

驚いたのは、陰謀論者をざわつかせる「ディープステート」の存在を、トランプ、ジョンソン、ブラジルのボルソナロ大統領などが自らほのめかし、「自分の政治がうまくいかないのはディープステートの影響だ」と責任転嫁を図っているという点だ。彼らは嘘をつくこと、都合の悪い報道をフェイクニュースと認定し、無視することをいとわない。

強権的指導者は主として反リベラル的であり、反グローバルを掲げる。これについては、「反リベラル、反グローバルが国民の多くに受け入れられる下地があるのだろう」と理解はできる。グローバル化の恩恵を受けられない、あるいは負の遺産だけを背負わされている層の人たちがいて、彼らが強権的指導者を支持するのだ。

リベラル化に関しては、左派の人たちからすれば足りないだろうが、100年単位で見れば急速に前進しているのは確かだ(例えばギロチンなどの公開処刑がなくなったのはリベラル化の成果だ)。それでも、急進的でついていけないという人、宗教規範との衝突で反発する人がいるのも理解はできる。

だが、嘘はいけない。自らを支持し、「我らのリーダー」と仰ぐ国民を嘘で操作するというのは、どんな政治体制であれ間違っているという点で、政治スタンスを超えて一致できるはずである。グローバル化やリベラリズムを受け入れるか否か以前に、「国民に嘘をついているかどうか」を判断基準にすべきではないだろうか。

光強ければ影もまた濃い

さて、本書には本稿冒頭に登場したソロス氏も「強権的指導者に対抗する存在」として登場する。

反ユダヤ主義と相まって「世界を陰で牛耳っている」との陰謀論の中心的存在に仕立て上げられ、西側全体とロシア、中東に敵を作り、自宅に爆発物を仕掛けられたり、殺害予告を受けたりしながらも、今度は中国にターゲットを定め、「中国は『開かれた社会』という概念を信じる人にとって最も危険な対抗者となる」と懸念を示している。

しかし彼が活動すればするほど、その国でリベラリズムへの反発が起きるのも確かで、本書ではソロスと対照的な、裏表の関係に位置する人物として、トランプ大統領の選挙顧問を務めていたスティーブ・バノンをソロスと同じ章で取り上げている。

光強ければ影もまた濃い。

著者のラックマンは「個人に頼る強権的指導者の時代はそう長くは続かない」としながらも、こう続ける。

〈「強権的指導者の時代」が最終的に歴史になるまでには、多くの混乱と苦しみが待ち受けていることだろう〉

2022年2月末に始まり、半年を超える戦闘を続けているロシアは、まさにこの一文を予言しているかのようだ。

梶原麻衣子 | Hanadaプラス

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