国内最大級の鉄道模型イベント、21回目の「国際鉄道模型コンベンション(JAM)」が2022年8月19日から3日間、東京都江東区の東京ビッグサイトで開かれました。2022年ならではのテーマは「鉄道150年」です。
JAMに参加したのは模型愛好家約60団体と、模型メーカーなどおよそ60社。愛好家は自慢の模型列車を走らせ、メーカーは会場で新製品を発表します。トークショーなど充実したステージイベントも注目の的。本コラムは、「鉄道150年、鉄道趣味は何年?」「〝鉄ちゃん政治家〟大いに語る」「会場で愛好家に聞いてみた」の3項目について、盛況だったJAMをレポートします。
3年ぶりの実開催
JAMは実行委員会方式のイベントで、実質の主催者は東京都品川区の模型メーカー・井門コーポレーション。2020年と2021年はコロナで中止。3年ぶりの実開催を待ちかねたファンも多かったはずです。
日本の家屋事情では鉄道模型をフル編成で走らせるのは難しく、愛好家は自分の車両を広い会場で思い切り走らせたいと願います。メーカーは市場調査を兼ねて自社製品を売り込み、愛好家との交流を図ります。
鉄道趣味の発祥はいつ頃?
JAMの売り物の一つがステージイベント。最終日の対談「鉄道趣味の150年」を聴講しました。
ファン目線で語り合ったのは、アマチュア鉄道写真家で著書も多い宮澤孝一さんと、月刊誌「鉄道模型趣味(TMS)」の名取紀之編集長。日本の鉄道の始まりは1872年の新橋―横浜間開業ですが、個人的記録を除く出発物の形で鉄道趣味を最初に確認できるのは50年ほど経過した大正年間です。
当時、現在も発行される月刊誌「子供の科学」にライブスチーム(蒸気機関で走るSL)が紹介され、東京の百貨店で催しが開かれるなど大反響を呼びました。
時代が昭和に入ると「鐵道」や「鐵道趣味」といった実物誌が創刊されますが、戦時体制で休刊。駅でメモを取っていたファンが、スパイの疑いで当局に拘束される〝事件〟も発生しました。
終戦翌年に創刊された「TMS」
戦後は終戦翌年の1946年に早くも「TMS」が創刊。最初の3号はGHQの検閲を受けなかったため、翌1947年を正式な創刊とします。
高度成長期、鉄道ネットワークは全国に広がり、鉄道誌も「鉄道ファン」「鉄道ジャーナル」「鉄道ダイヤ情報(当初はSLダイヤ情報)」「とれいん」などが相次いで発刊されました。
1953年に「鉄道友の会」が誕生
鉄道愛好家の団体は、東京鉄道同好会と交通科学研究会が統合されて1953年、現在につながる「鉄道友の会」が誕生します。友の会を主導したのは国鉄。当時は広報セクションがなく、ファンを組織化して新しい列車のPRなどに活用しようと考えました。
鉄道趣味は、1970年代のSLブームから1980年代のブルートレインブーム、さらには国鉄の終えんからJR誕生へと続きます。
初期の鉄道趣味は、関東派と関西派のせめぎ合いなどあれこれあったようです。宮澤さんは、「歴史の中にしまっておいたほうがいいこともある」と、含蓄ある言葉で対談を終えました。
石破、前原両氏、談論風発
続くはJAMのハイライト「令和鉄道放談」。鉄道ファンとして知られる石破茂、前原誠司の両衆議院議員が、鉄道へのこだわりを披露しました(政府や党の要職を歴任されたお二人ですが、本コラムはフラットに「さん付け」で紹介します)。
石破さんは、山陰特急「出雲」の乗車回数1000回以上。電車特急「サンライズ出雲」になる前のブルトレ時代です。きちんと数えたわけでなく、地元・鳥取県と東京の間を多い時は週4で往復していたので、「そのくらいは乗っているはず」という数字です。
前原さんはご存じの方も多いと思いますが、「SLを形式でなく番号で語る男」。例えば、C57なら「C57 160」を追い続けます。鉄道趣味は〝撮り鉄〟(ほかに鉄道模型も少々)。小学生時代、1週間にわたって九州のSLを撮り鉄した話には、ファンも目を丸くして聞き入りました。
「出雲」の食堂車で武勇伝
お二人からは興味深い話がたくさん飛び出したのですが、ここではワンポイントずつご報告します。石破さんは、ブルトレ「出雲」での武勇伝。乗車していると呼び出しが掛かります、「食堂車で◯◯団体の方がお待ちです」。地元関係者との情報交換も政治家の大切な仕事。ただ「泥酔し過ぎで、財布をなくしてしまったことも」と苦笑していました。
新宮でEF58、DF50を撮る
1975年に国鉄が無煙化されると、前原さんの興味はSLからEF58とDF50に移りました。「両方の機関車が撮れる撮れる駅って分かります?」。正解は紀勢線新宮駅です。
地元・京都からの移動にはもっぱら夜行「はやたま」を利用しましたが、車内ではなかなか熟睡できません。「列車の乗客の多くは釣り愛好家。途中駅で起こされるんです」。
「乗りたくなるサービス」「鉄道の残し方を話し合う」
令和放談からもう少々。鉄道150年の今年ですが、鉄道業界から聞こえてくるのは明るい話ばかりでありません。
石破さんは、「列車旅で楽しいのは①食事、②景色、③ローカルな雰囲気――の3つ。ある鉄道会社は豪華観光列車で事前に乗客の希望を聞き、可能な限りリクエストされた地点でゆっくり走るようにしているそう。鉄道会社の経営は厳しいが、創意工夫の余地はあるはず。乗ってみたくなるサービスで、鉄道が社会的な存在価値を高めるように期待している」と発言しました。
国土交通大臣のキャリアも持つ前原さん、「今のJRローカル線の経営状況は、ひょっとしたら国鉄末期より厳しいかもしれない。鉄道会社と地元の話し合いでは、お互いが知恵を出し合い『鉄道の残し方』、『地域公共交通の確保の仕方』を見つけ出してほしい。ファンの皆さんも関心を持ってもらいたい」と期待を託しました。
令和鉄道放談は、多くの立ち見が出る人気。鉄道ファンの視点を持ったお二人の発信力に、今後も期待したいところです。
JAMで情報や仲間を得る
最後は模型愛好家目線のJAM。会場で何人かに話を聞きました。
「hitrack(八王子車両センター)」名で参加したのは、東京都八王子市のファン。本職は鉄道と無縁の会社員で、実物の8.4分の1、全長2.4メートルの大型ディーゼル機関車の模型を会場に持ち込みました。
「大型模型は、SLのライブスチームなら参考資料もあるのですが、DLやELの製作は自己流です。JAMへの参加は、仲間同士で情報交換するのが目的です」。
フル編成のHOゲージ模型を走らせていた参加者にもインタビューしました。「横須賀鉄道模型同好会」は1980年に結成され、会員数15人。JAMには2011年から参加します。
「一番の参加理由は、フル編成の列車を走らせること。もう一つは、新しいメンバーの募集」。話を聞かせてくれた方は横浜市在住で、JAMで同好会を知ったそうです。
JAMは鉄道ファンの「夏フェス」
2022年のJAMは、ほかにも女子鉄アイドル・伊藤桃さんのトークショー「鉄道150年を探して」、名門メーカー天賞堂の歴代製品を紹介する特別展示「天賞堂の世界」など見どころ・聞きどころいっぱい。
帰路に思ったのは、「JAMは鉄道ファン・鉄道模型ファンの夏フェス」。2023年以降も、夏休みの祭典として長く続くことを願いたいと思います。
記事:上里夏生
(写真は全て筆者撮影)