民家を描いて2,000点…向井潤吉はなぜ日本の民家を描き続けたのか、片桐仁が迫る

TOKYO MX(地上波9ch)のアート番組「わたしの芸術劇場」(毎週金曜日 21:25~)。この番組は多摩美術大学卒で芸術家としても活躍する俳優・片桐仁が美術館を“アートを体験できる劇場”と捉え、独自の視点から作品の楽しみ方を紹介します。5月27日(金)の放送では、「向井潤吉アトリエ館」で洋画家・向井潤吉の生き様に迫りました。

◆日本の原風景を描き続けた"民家の向井”

今回の舞台は、東京都・世田谷区にある世田谷美術館分館 向井潤吉アトリエ館。ここは洋画家・向井潤吉が亡くなるまで過ごしたアトリエ兼住居で、向井が生前に美術館に改装した上で世田谷区に作品とともに寄贈。1993年に世田谷美術館の分館として開館しました。向井の80年近くに渡る画業をさまざまな視点から探り、年に2回ほどの企画展を開催しています。

向井潤吉は1901年に京都の宮大工の家系に生まれ、関西美術院で油絵を学び、画家として生きることを決意。単身フランスに渡り、技術や画材について学びました。そして、「民家の向井」と言われるほど日本の民家を描いた作品で知られ、その数は約2,000点。なぜそれほどまでに民家を愛したのか。今回は日本の原風景を作品に閉じ込めた向井の熱意とこだわりに迫ります。

館内を案内してくれるのは、主任学芸員の池尻豪介さん。片桐は「(向井が)本当に住んでいたというところで作品を見られるのがかなり贅沢」と期待に胸を膨らませ、まずは彼の代表的な作品から鑑賞。

片桐が「大きいですね……」と思わず声が出たのは「層雲」(1964年)。急に雲が立ち込めてきたのか、あるいは曇っていたところに晴れ間が差し込んだのか、どちらとも言える作品ですが、片桐は「映画の一場面のよう」と吐露。さらには「近くで見るとそんなに細かく描かれていないんですね。不思議」と首を傾げていましたが、片桐の言う通り、近くで見るとタッチが荒々しいものの、離れて見ると写実的で「うまいな~」と唸り声も。

向井が民家を描き始めたのは戦後。終戦間際に防空壕に持ち込んだ「民家図集」によって伝統的な民家の美しさに気づき、失われていく家々を描き残したいという思いを強くしていったそうで、1945年、疎開先の新潟県で描いた作品を皮切りに全国各地の民家を描き始めます。

続いては晩年の大作のひとつ、雪山が描かれた「宿雪の峡」(1983年)。向井は油絵の具という西洋の画材や技術を用い、日本独特の風土を描いていましたが、当時は油絵と日本の風景が合わずに苦戦した画家も多数。そんななか、日本の風景を油絵でしか表現できない描き方で描き上げたのは、向井のひとつの到達点と言えます。

本作は山が雪を抱いているような作品となっており、向井はこうした自然の雄大さや、そこに抱かれる民家をイメージし、ひとつの理想化された世界として作品に表現。片桐も「自然に生かしてもらっている感じというか、こういう大自然に比べたら人間なんてちっぽけみたいな。そういう感じがありますよね」と感服し、その壮大な作品に見入ります。

また、長野県・白馬村の風景を描いた「遅れる春の丘より」(1986年)は、最終的にアトリエで描いていますが、展示はされていないものの現地で描かれた絵もあるそうで、片桐は今回、特別にそれを鑑賞。

見比べてみるといろいろと違いがあり、現地で描いたものは民家がフォーカスされ、後にアトリエで描いたものは、より周辺の風景が描かれています。また、手前に道があるなど地形も異なり、アトリエで描いたもののほうがより土地に抱かれたような表現に。

その他にも、アトリエで描いたほうは民家の屋根と木の梢が対角線で結ばれていたり、現場制作にはない赤色の洗濯物が足され、差し色になっていたりなど絵画としての構成がしっかりと考えられていることがわかり、片桐も「人の目線を誘導したり、細部まで考えているんですね」と感心しきり。

◆向井こだわりのアトリエには当時の面影が

フランスから帰国後、向井は世田谷区にアトリエ兼住居を構え、亡くなるまで過ごしましたが、そのアトリエとなったのは岩手県の一関市から移築した土蔵。向井は処分されそうになった土蔵を惜しみ、1970年にアトリエとして再生。彼が敬愛する画家、ジャン=バティスト・カミーユ・コローにちなんで「胡老軒」と名付けられました。

そんなアトリエに足を踏み入れると、そこには1枚の西洋画が。それは「コローを模して」(1933年)という作品で、向井が30代前半の頃、友人が喫茶店を開くということでそこにかける絵を頼まれ、コローっぽく描いたもの。それはその後、さまざまな人の手を渡り、30年後に向井の元へ。以降ずっと家に飾られていたそうで、向井が初心を忘れないようにと飾っていたのではないかと言われています。

2階に行ってみると、足元には絵の具の跡が。

片桐は「ここで向井さんは描いていたんですね」と思いを巡らせ、さらには屋外で描くためのイーゼルや絵の具箱などを発見。「最初は現地に行って実物を見ながら描く、それを必ずやっていたんですね」と感慨深そうに語ります。

また、徹底して現場主義を貫いた向井の性格が窺える写真も多数残存。現場では必ず記録写真を撮っていたそうで、その数2万枚超。それらは90冊のアルバムに閉じられており、片桐は「几帳面ですね~」と驚きの声を上げます。

さらには、旅のお供に欠かせない地図。そして、行った先々で訪れたと思われるお店の箸袋までスクラップされており、これには片桐も苦笑い。ただ、「これも貴重な資料。こういうお店が全部残っていることはないでしょうからね」とじっくり眺めます。

そして、「アトリエで作業している日数と旅している日数、時に旅をしているほうが多かったときもあったでしょうね。そうなってくると、ただの上手い絵じゃないですね。生き様が乗ってきますから」と思いを馳せます。

◆日本各地を旅し、向井がこだわったのは"現役の家”

向井の作品は、基本的に人物が大きく描かれることはあまりありませんが、よく見ると人々の暮らしの気配が色濃く漂っていることに気づきます。

「聚落」(1966年)の舞台となっているのは雪深い山形県・田麦俣で、そこは向井が非常に気に入り、何年にもわたって通い詰め、民家が減っていくことをとても悔やんでいたそう。

そんな本作にも暮らしの気配は多分に感じられ、そのひとつが「洗濯物」。さらにはよく見ると人もおり「何かを背負っていますよね。近くで見るとそうは見えないけど、遠くから見ると写真のように見える」と片桐。廃墟ではなく、向井はあくまで人が住んでいる民家を好んで描き、人物を大きく描かずとも人の気配を感じさせる工夫がいくつも施されています。

「これも生活感がありますね……」と片桐が評していたのはタイトル不詳の作品「不詳(民家)」(制作年不詳)。

その軒先には干した大根が並び、さらにはシャツも。撮られた写真を見てみると、ポリバケツやコンクリートの電柱、アスファルトも舗装されていますが、向井はコンクリートではなく木の電柱、アスファルトではなく草にして自身の世界観を表現しています。

続いては「奥多摩の秋」(1975年)を鑑賞。池尻さんによると、向井は立派な家や保存されたような家よりも人が住んでいる"現役の家”を描くのもこだわりのひとつだったそう。

明治から激動の時代を生き抜き、戦争や高度経済成長で失われていく民家や風景を惜しんだ向井。その作品が立ち並ぶ向井潤吉アトリエ館は、まさに彼の生き様が伝わる空間。片桐は過去、この近くに稽古場があり、何度も同館の前を通っていたものの、中に入ったことはなかったと言います。今回、初の向井潤吉アトリエ館を体験し「自宅兼アトリエ、そしてご存命の時にここを美術館として開放された、その向井潤吉さんの息遣いを感じますよね」と感想を語ります。

そして、「日本各地の民家、現地に足を運んで現場で油絵を描いて、それを元にしてここで大作を(アトリエで)描くという、芸術作品ではあるんだけど、やっぱり向井潤吉さんその人が見えてくる場所であり、作品であるんだなってことに気付かされました」と言い、「人生をかけて日本各地を旅し、民家のある風景を描き、後世に残してくれた向井潤吉、素晴らしい!」と称賛。心安らかな日常を描いた芸術家に拍手を贈っていました。

◆今日のアンコールは、「与板にて」

向井潤吉アトリエ館の展示作品のなかで、今回のストーリーに入らなかったもののなかから学芸員の池尻さんがぜひ見てほしい作品を紹介する「今日のアンコール」。池尻さんが選んだのは「与板にて」(1945~1960年)です。

今回紹介した作品は油彩が続いたため、池尻さんはあえて水彩画を選んだと、理由を明かします。これは新潟県・与板という街を描いたもの。「古民家というよりは、わりと新しめですよね」と片桐が言うように、さほど古くはない建物ですが、画中には2人の子どもが。とてもかわいらしい様子が描かれており、池尻さんは「とても素朴で生活感漂うところが、好感が持てる」と本作の魅力を語っていました。

最後はミュージアムショップへ。そこには作品集をはじめ、チケットファイルやまるで騙し絵のような趣向が凝らされたクリアファイルが。

また、向井潤吉アトリエ館が立体的に飛び出すメッセージカードもあり、それがまた上部の葉が切り抜かれた手の込んだ仕様に。片桐は「これはすごくないですか! 350円で売っていいんですか!」と驚いていました。

※開館状況は、向井潤吉アトリエ館の公式サイトでご確認ください。

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<番組概要>
番組名:わたしの芸術劇場
放送日時:毎週金曜 21:25~21:54、毎週日曜 12:00~12:25<TOKYO MX1>、毎週日曜 8:00~8:25<TOKYO MX2>
「エムキャス」でも同時配信
出演者:片桐仁
番組Webサイト:https://s.mxtv.jp/variety/geijutsu_gekijou/

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