【関東大震災99年】「記憶」継承へ「記録」に光 最大被災地で捉え直す試み 研究者らが史料から教訓見いだす

震災犠牲者らの遺骨が納められている東京都慰霊堂=墨田区

 死者・行方不明者が10万5千人余りに上った1923年9月1日の関東大震災を捉え直す試みが、当時最大の被災地だった東京で始まった。間もなく発生から99年を迎え、100年の大きな節目が来年に迫る。体験者が少なくなる中、激震や猛火に襲われたあの日の「記憶」を次代にどう継承していくか。歴史の研究者らが残された「記録」に光を当て、教訓を見つめ直そうとしている。

 「東京で7万人強、神奈川では3万人以上。両方で10万人を超える人的被害が出ていた。火災による犠牲者が9万人もいた」

 27日、東京・日比谷公園内の交流施設。登壇した東京都慰霊協会の小薗崇明調査研究員(43)が震災の被害を概観した。一方で「被害の全体から見ると少ないが、千葉や埼玉、静岡でも犠牲者が出ている。房総半島南部の震度は神奈川と大差なかったとされ、被害が集中した。静岡は津波にも襲われている」と説明し、象徴的な被災地以外にも目を向ける必要性を説いた。

 震災当時、逃げ込んだ約3万8千人が猛火に取り囲まれて亡くなった陸軍被服廠(しょう)跡(現東京都墨田区)には今、犠牲者を悼む慰霊堂と展示施設の復興記念館が立つ。写真や文献、絵画など多様な震災関連の史料を所蔵しており、小薗氏は来年の100年に向け、それらの整理や分析を続けている。

© 株式会社神奈川新聞社