メッツがウィリー・メイズの背番号「24」を永久欠番に 球団7人目

日本時間8月28日、メッツは球団のレジェンドたちが集まる「オールド・タイマーズ・デー」を開催したが、そのなかでウィリー・メイズの背番号「24」を永久欠番とすることを発表した。メッツの永久欠番はケーシー・ステンゲル、ギル・ホッジス、トム・シーバー、マイク・ピアッツァ、ジェリー・クーズマン、キース・ヘルナンデスに続いてメイズが7人目(全球団共通のジャッキー・ロビンソンを除く)。直近2年間だけでもクーズマン、ヘルナンデスに続いて3つ目の永久欠番ということになる。

メイズは通算660本塁打を放つなど、史上有数のオールラウンド・プレーヤーとして活躍した名選手だが、メッツでは現役最後の2年間(1972~73年)しかプレーしていない。しかし、当時のジョアン・ペイソン・オーナーはメイズの背番号をメッツの永久欠番とすることを約束。ところが、ペイソンが1975年に死去したため、永久欠番の約束が果たされないまま、メイズの現役引退から50年近くが経過していた。メイズの背番号「24」を永久欠番とすることは、ブロードキャスターのハウィー・ローズから発表され、セレモニーにはメイズの息子であるマイケルが参加した。

現在91歳のメイズは「この日を実現してくれたスティーブ・コーエンとアレックス・コーエンに感謝したい」との声明を発表。「ニューヨークに戻って忠実なメッツファンのためにプレーすることの感動は決して忘れることができない。1973年のワールドシリーズに出場し、クイーンズでメッツの選手としてキャリアを終えられたことを非常に誇りに思っている。ニューヨークとサンフランシスコという、私が大好きな2つの都市で永久欠番となることができ、非常に光栄だ。ニューヨークは野球をプレーするうえで魔法のような場所だった」とメッツ時代を振り返った。

メイズが述べたように、メイズの背番号「24」はジャイアンツでも永久欠番となっている。メイズは1951年に当時ニューヨークに本拠地を置いていたジャイアンツでメジャーデビューしたが、ジャイアンツは1958年からサンフランシスコに移転。メイズは1972年途中にメッツへ移籍し、メジャーデビューしたニューヨークの地で殿堂入りのキャリアを終えたのだった。

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