裏付けがない面白さ 長崎・日吉地区「地蔵まつりの飾りそうめん」

飯香浦の飾りそうめんは一対の鎧兜とお地蔵様の前に下がったカーテンのような幔幕=長崎市飯香浦町、成尾地蔵堂

 長崎市立日吉小中の子どもたちに「地域の自慢は?」と尋ねたことがあった。「飾りそうめん!」。毎年7月23~24日にある「地蔵まつり」で生そうめんを編んでお供えするらしい。しかし、まつりの由来などは分からないことだらけ。これは行ってみないと。校区内の成尾地蔵堂(飯香浦町)と丸尾地蔵堂(太田尾町)にお邪魔した。

 23日午前9時、成尾地蔵堂では、ゴザの上で住民が車座になり竹を削っていた。小さなお団子を刺す串にするという。「盛りもん台」と呼ばれる塔型の台に並べるのは、カラフルな落雁(らくがん)や桃まんじゅう。ビニールひもでも粘着テープでもなく、昔ながらの元結と呼ばれる紙ひもで固定する。
 成尾地蔵尊が祭られたのは1533年。正式な記録はないが、念仏に使うかねに刻まれた「享保3年」(1718年)にはまつりがあったと考えられる。同じ素材とやり方で、300年以上積み重ねてきたのだろう。飯香浦地蔵まつり保存会の峰富士雄会長(75)によると、特注の生麺などを作る業者が減り、存続に向け心配の種だそうだ。
 飯香浦の飾りそうめんに使う生麺は、直径2ミリ、長さ7尺(約212センチ)。お地蔵様を守る鎧兜(よろいかぶと)2体とカーテンのような幔幕(まんまく)を数人で手分けし、3時間ほどで編む。すべらかな触り心地で、太めだが引っ張れば切れてしまう繊細さ。たくさんの結び目が作り出す真っ白な文様が美しい。

手早く、絶妙なあんばいでそうめんを編む。整然とした編み目が美しい

 学生を連れ毎年訪れる活水女子大国際文化学部の細井浩志教授(日本史学)は、このまつりの面白さを「由来や経緯をあれこれ想像するけど、裏付けがない」ことと説明。「団子は豊作などを願う繭玉という日本の習俗を表し、念仏も唱える。いろんな信仰が重なっている」と教えてくれた。
 飯香浦も太田尾も、当番地区の男性たちがかねをたたいて念仏を唱えるのは同じ。口伝で何年もかけ覚える。冒頭は一人ずつ順番に。それぞれの節回しが個性的で心に響いてくる。緩急のあるかねの音とのアンサンブルも合わせて30分ほどたつと、堂内は熱気で満ちていた。

お供え物の準備は住民総出で。こちらはお団子作りチーム

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 24日午後3時半、丸尾地蔵堂では前日の「お上り」に続き、供え物を担いで公民館まで移動する「お下り」が始まった。近づいてくるかねの音。家の前に出てきた住民が手を合わせる。やがて行列が見えなくなると、急に寂しさが漂った。
 まつりは終わった。お供え物を分け、飾りそうめんを解き御利益にあずかる。帰宅後、五島うどんのようにもっちりした麺を、お線香の香りと共にありがたく平らげた。授かったお札はお金が増えるようお財布に。また来年、新しいお札と取り換えに行かなくちゃ。

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