晩年のトーマス・グラバー「写真」発見 東京での生活を物語る

晩年のグラバー(右から2人目)と三菱関係の日本人4人が写った写真(ガラス乾板を基にしたデジタル画像、グラバー園提供)

 幕末から明治にかけて長崎などで活動したスコットランド人貿易商トーマス・グラバー(1838~1911年)の晩年の姿が映った古写真が新たに見つかったことが、グラバー園(長崎市南山手町)などへの取材で27日までに分かった。昨年12月、カナダの博物館が同市に寄贈した15枚のガラス乾板のうちの1枚。その後の調査によると、東京・富士見町(現在の港区元麻布)の私邸で当時の三菱幹部らと一緒に撮った写真という。東京で余生を送った時期のグラバーの交友、暮らしぶりを物語る新資料として注目されそうだ。

 グラバーは江戸末期の1859年に長崎へ来航し、貿易商社グラバー商会を設立。63年に南山手の自邸(現在の旧グラバー住宅)を建設、武器弾薬の販売などを手がけた。維新後も日本にとどまり三菱財閥の相談役などを歴任。晩年は1904年に移住した東京・富士見町の私邸で暮らした。
 ガラス乾板は日本で明治中期ごろから普及。市に寄贈された15枚は縦約12センチ、横約16センチで、いずれもネガ(白黒反転)の画像が良好な状態で残っている。
 グラバー園の松田恵学芸員らの調査によると、グラバーらの写真は私邸の玄関で撮影。同時期の他の現存写真などと照合した結果、一緒に写った4人はいずれも同時期の三菱本社や関連会社・組織の幹部だった。うち一人はグラバーの私邸にあった狛(こま)犬にまたがり、全員の表情からもリラックスした様子がうかがえる。
 乾板の元の持ち主は、当時日本で暮らした後にカナダへ移住した欧州人の子孫の可能性がある。匿名で寄贈を受けた同国ビクトリア市のロイヤル・ブリティッシュ・コロンビア博物館が昨年夏ごろ、グラバーが写った写真の画像をネットで公開し情報を募っていた。同国出身でグラバーの生涯に詳しいブライアン・バークガフニ長崎総合科学大特任教授(グラバー園名誉園長)がこれを知り、同館に連絡。市への寄贈につながった。
 松田学芸員は「写真から晩年のグラバーと三菱関係者との親しい間柄や、友人と穏やかに過ごす様子が見て取れる」と話す。


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