1世紀以上の時を経て長崎へ ガラス乾板「どんな道たどったのか」 バークガフニさん感慨深げ 

晩年のグラバーが写った写真のガラス乾板を光に透かして観察するバークガフニさん=長崎市、グラバー園

 明治維新の功労者の一人で日本の近代化に貢献した長崎ゆかりのトーマス・グラバー。東京で過ごした晩年の表情を伝える古写真が、1世紀以上の時を経て遠くカナダの地で見つかり、長崎へ戻った。グラバー研究者として知られ、今回の寄贈に一役買った長崎総合科学大特任教授のブライアン・バークガフニさん(グラバー園名誉園長)は、ガラス乾板の実物を目にして「(この乾板は)どんな道をたどって、ここまできたのだろう」と深い感慨を語った。
 昨年12月、カナダのロイヤル・ブリティッシュ・コロンビア博物館が長崎市に寄贈した15枚のガラス乾板。同国内で所蔵されていた。バークガフニさんの連絡を受けた同館側は、グラバーの姿が写っていることから「しかるべき場所で収蔵されるべきだ」と判断し、市への寄贈を決めた。

建築中の東京・富士見町(当時)のグラバー私邸を撮影した写真(グラバー園提供)

 15枚のうち14枚にグラバーの姿はないが、1枚は建築途中の東京・富士見町の私邸。13枚には老若男女の外国人の姿が確認できる。身なりの整った男女や婦人らで、きょうだいとみられる男女3人の子どもの姿も。グラバーとの関係などは不明。元の持ち主について、バークガフニさんは「明治期に日本で活動した英国人がその後母国に戻らずカナダに移住した例が複数あり、その中の誰かかもしれない」とみる。

身なりの整った外国人の写真(グラバー園提供)

 グラバー園の松田恵学芸員らの調査では、グラバーと一緒に写真に納まった日本人4人は同時期の三菱本社鉱山部長、営業部副部長ら。一方、東京の私邸の写真は建物全体に足場が設置されている。同じ建築中の写真は長崎歴史文化博物館(長崎市)などに複数所蔵されているが、同様の構図はなく新発見の写真。
 バークガフニさんは「ガラス乾板が割れないで残っていたのは奇跡。こうした資料をグラバー園で整理し生かしていくことは大きな意義がある。収集、保存、公開していく同園の在り方を模索したい」と話した。
 グラバー園(同市南山手町)は9月1日から、ガラス乾板の複製などを旧グラバー住宅で展示する。9月1~30日は長崎市民の入園が無料。


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