8月29日はマイケル・ジャクソンの誕生日 -「バッド」こそ史上最大のポップアルバム!  大衆音楽の流れを的確に読んだキング・オブ・ポップ!

マイケルの3大アルバム「オフ・ザ・ウォール」「スリラー」「バッド」

1980年代最大のスーパースター、それはマイケル・ジャクソンで異論をはさむ余地はない。マドンナやプリンスをしのぐ人気っぷりは、「凄まじい」の一言だったといえよう。

彼がスーパースターの地位に君臨することになった基盤、それはもちろん1曲1曲が計算し尽くされた粒立ち鮮やかな数々のヒットソングたちにある。

1980年代、ヒットチャートを常に賑わせていたマイケルのヒットソングたちは、大衆音楽史上に大きな爪痕を残した3大アルバムから生まれていた。モータウンからエピック(当時、現ソニー)に移籍してから最初の3枚のソロアルバム、すなわち『オフ・ザ・ウォール』(1979年)、『スリラー』(1982年)、そして『バッド』(1987年)だ。

今年2022年は、『スリラー』発売40周年、『バッド』発売35周年を迎える。

大衆音楽の流れを的確にとらえたトレンドセッター

さて、この3枚のアルバムをあらためて順番に耳にすれば… マイケル・ジャクソンが大衆音楽の大きな流れを的確に捉えながら、コンテンポラリーシンガーのトレンドセッターであったことが、あらためて認識できるだろう。

1980年前後から大衆音楽の中核を形成していたブラックコンテンポラリー(以下ブラコン)、AOR、フュージョン、(ポストディスコ期)ブギーファンク、デジファンク、果てはハードロックブームといった新たな潮流を、高い次元で自己昇華していたのだ。中でも1980年代を通してR&B / ポップシーンの真ん中にあり続けた(大きな意味での)ブラコンの流れをシンガーとしてけん引する役割を果たしていたことは、ここであらためて指摘しておくべきかもしれない。

モータウンからデビューした若きソウルシンガーが、“キング・オブ・ポップ” への階段を登りだしたのが『オフ・ザ・ウォール』、その名を決定的にしたのが『スリラー』を経てからの『バッド』だったのだ。

そう『バッド』はマイケル・ジャクソン史上最大の “ポップアルバム” なのだ。

R&B / ポップシーンのメインストリームになった80年代の新しい “ソウル歌唱”

1980年代を通してR&B / ポップシーンの大きな潮流を形作ったブラコンの台頭…(打ち込み感の強い)ブギーやデジファンクともリンクするアーバンでスタイリッシュなサウンドを伴いながら、その最大の特徴は “歌唱” の変化だ。

ソウルミュージックの誕生からおよそ20年、1970年代までの “ソウル歌唱” といえば、ほとばしる汗、飛び交う唾、魂のシャウト(咆哮)―― といったイメージのもので、熱く濃厚なソウルマナーはこのあたりから植え付けられたものだ。

1970年代後半になるころ、そういったイメージを感じさせない新たな “ソウル歌唱” がメインストリームを席巻しだす。70年代でいえばビリー・プレストン、バリー・ホワイト、そしてロバータ・フラックといったシンガーを経て、ジョージ・ベンソン(シンガーとして)、レイ・パーカー Jr.、そしてブギーファンク系の(匿名性高い)シンガーたちの台頭・存在が、その傾向に拍車をかけた。

1980年代に入ってルーサー・ヴァンドロスの出現(1981年にソロデビュー)が決定打となり、AOR / デジファンク等とリンクしながら1980年代を通して、従来のソウル歌唱から逸脱した新たな “ソウル歌唱” はR&B / ポップシーンのメインストリームになったのだ。大きな意味ではプリンスやホイットニー・ヒューストンのスター化は、そういった傾向が少なからず影響を及ぼしていたといえるだろう。

『オフ・ザ・ウォール』がリリースされたのは1979年。ブラコンの波がジワリと来ている中、クインシー・ジョーンズはマイケルのソウル歌唱を若干抑え気味にしている。それはモータウン時代のソロ、ジャクソン5作品と聴き比べれば明らかだが、さすがに従来のソウル歌唱が垣間見られる(聴かれる)場面はまだまだ多々あったりするのも確か。

それが1982年リリースの『スリラー』になると “ブラコン化” に拍車がかかっており、前年のルーサーデビューという背景を踏まえつつ、クインシーの時代を読みとる慧眼に感服するしかない。『スリラー』は80年代屈指のブラコンアルバムだったのだ。

キング・オブ・ポップを象徴するアルバム「バッド」

そして1987年リリースの『バッド』。ルーサーデビュー後 “ブラコン歌唱” はR&B / ポップシーンにおいてメインストリームとなり、ハッシュ・プロダクションを中心とするアーバン/808ソウルがピークというご時世(要はサウンド面からみてのブラコン最盛期)、果てはボン・ジョヴィを中心とする “ハードロックブーム” がますます増大するという時流までをも念頭に置いていたのか、クインシーは脱 “ソウル歌唱” を究極にまで押し進めた。

アルバム全体を覆うマイケルの歌声は、ブラコン感が充満する世界、曲によってはロッキッシュなアプローチまでをも感じさせ、これぞ “キング・オブ・ポップ” を高々と宣言するような作品集となったのだ。

この振り切り具合はある意味冒険でもあったのかもしれないが、アルバム毎に段階を経たこれら3アルバムを舞台にした一大絵巻は「天晴れ」としか言いようがない。『スリラー』でも成しえなかった5曲連続ナンバーワンを含むカットされたシングル7枚が立て続けに大ヒット。我が世の春を『オフ・ザ・ウォール』から常に継続し、80年代を見事に締めくくった。 “キング・オブ・ポップ” の称号は、これら『バッド』からの一連メガヒットを経て囁かれだしたわけで、それはもう自然かつ当然のことなのだ。

1990年代以降のマイケルは、ニュー・ジャック・スウィングへのアプローチ(アルバム『デンジャラス』プロデューサーはテディー・ライリー 1991年)をキックオフとして、従来のソウル歌唱と脱ソウル歌唱の狭間を揺れ動いていたようだ。

マイケルが残した作品を今あらためて俯瞰視すれば、『オフ・ザ・ウォール』、『スリラー』、『バッド』こそが、セールスやトレンドセッター的見地から生涯3大アルバムと断言していいだろう。

セールスでは『スリラー』(およそ1億枚超)が断トツだが、上記経緯を鑑みてマイケル・ジャクソン史上最もキング・オブ・ポップを象徴したアルバムだったのは『バッド』で間違いない。

カタリベ: KARL南澤

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