「ダウン症の子どもを誇りに思って」「日本文化への適合が成功の鍵」外国人初2千本安打の〝ラミちゃん〟 プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(7)

 

ラミレスさんと息子の剣侍(けんじ)君=2019年。ラミレスさんは今年4月にインスタグラムで、剣侍君が小学1年生になったと報告した(スペシャル・ビューティー・ジャパン提供)

プロ野球のレジェンドに、現役時代やその後の活動を語ってもらう連続インタビュー「名球会よもやま話」。第7回はヤクルトや巨人などで活躍し、ユーモアあふれる明るい人柄から「ラミちゃん」の愛称で親しまれる南米ベネズエラ出身のアレックス・ラミレスさん。外国出身選手で初めて名球会入りし、引退後にDeNAの監督を5年務めたラミちゃんは、自身の子息のダウン症を公表しており、障害のある子どもを支援する法人の代表理事の顔も併せ持つ。(共同通信=栗林英一郎)

 ▽ダウン症について話すことを恐れないで

 私は「VAMOS TOGETHER」という名の一般社団法人を運営している。(特別な支援が必要な)スペシャルニーズの子どもたちと健常の子どもたちが、一緒になって遊ぶイベントを企画する団体だ。障害のある子が将来独立していく手助けをしている。私の息子、剣侍君がダウン症というのは多くの人に知られているが、ダウン症は社会的な認知のところで、まだまだ弱い。そういう活動をやりたいという思いはユニホームを脱いでから、より強くなった。

ポーズをとるラミレスさん

 2020年でDeNAの監督を退任した大きな理由は、家族ともっと過ごせる時間を持ちたかったからだ。家族がよりつながって、日本だけではなく世界中にダウン症を知ってもらうことが必要だと私たちは考えるようになった。以前の妻はメディアや交流サイト(SNS)に積極的に出ていく方ではなかった。控えめで専業主婦の方だった。だが、経験を基に何かを伝えていけたらと、彼女もブログを始めた。

 われわれは同じ人間で、もちろん学習能力とかは健常の子どもより少し遅かったりするが、その違いがあっても互いを理解し、愛し合うこともできる。そういったメッセージを発信したい。ダウン症の子どもを持つ親御さんたちに伝えたい。子どもをもっと誇りに思ってほしいし、ダウン症について話すことを恐れず、外で遊ばせることを恐れないでほしいと。普段通りの生活を恐れることなくやる、それがわれわれのできること。そうやって社会を変えていけると私は信じている。

 ▽データ分析はメンタルを強くする「栄養」

2020年11月にDeNA監督として最後の試合を終えたラミレスさんはファンに手を振る=横浜

 私を良い野球選手にしたのはメンタルアプローチだ。非常に安定した強い精神力と、そこに至る準備を重要視した。自分自身を信じ、やるべきことの優先順位を理解し、時間をかけて(技術などを)マスターしたら次の目標に向かう。そういうことをしっかりやっていたから精神面が強くなった。

 現役時代、04年から11年にかけて985試合連続出場をマークした。その間にけがや痛み、調子の悪さから打撃のテクニックも変えたりした。だが、なぜ休まずにプレーできたかといえば、心構えとして、この状態でも自分はできるんだというメンタルがあったからこそ、そういう数字を残せた。

 メンタリティーは経験がものをいう。日々アップデートして修正して次のステップに進むという経験を積むことだ。そのために必要なのは分析、学ぶこと。データを調べ、分析することはメンタルを強くする「栄養」になる。それがしっかりできていると、他の選手よりも一歩先に行くことができる。

 ▽名球会入りで自分の任務が完了した

 ヤクルト時代の最後のシーズンに、私は自分の残りの球歴も日本にとどまることを考えた。なぜなら日本で千安打に達していたから。年間で160から170安打のペースを続けていけば、あと5、6年で2千安打に届くという明確な目標を持っていた。

ヤクルトに加入して1年目のラミレスさん=2001年2月撮影

 2千安打を達成した時は自分の任務が完了したと思った。そのためにハードワークをして、外国人選手で初めて名球会入りしたので。振り返ってみれば、タフィー・ローズやアレックス・カブレラもいた。彼らにもチャンスはあった。ローズは私と同じく日本で13年間やったが、2千安打の前にキャリアが終わってしまった。カブレラも同様だ。1500安打もいっていない。

2003年10月の広島戦で40号本塁打を放つラミレスさん。このシーズンは本塁打王と打点王に輝いた=神宮

 名球会メンバーだということに価値はつけられない。私のキャリアの「刻印」のようなもので、それだけは誰も私から奪えないから。王貞治さんら皆が知っている偉大な選手たちと同じクラブにいる。それは素晴らしい気持ちだ。米メジャーと日本球界の安打を合算して2千本でもすごいと言う人がいたが、日本だけで達成するのが完璧だ。

 ▽ユーモアの感覚も文化の一つ

 来日する外国人選手にアドバイスするなら、日本の文化に適応するよう伝えたい。それが一番大切な点だ。スカウトが見て、この選手ならできると判断して招いたのだから能力は問題ない。加えて文化への順応。この二つがマッチすれば活躍する可能性が非常に高くなる。

 私は来日して、ずっとここにいたいと思った。そのために、日本の野球について教わったり指導されたりした時に「なぜ」とは問わなかった。それが日本のカルチャーだから。早いイニングからバントを使うといった野球文化がある。なぜこんなことをやるんだと言うのではなく、受け入れて、それをより生かすために必要なことをした。

 

ベンチ前でマスコットとパフォーマンスを披露する巨人時代のラミレスさん=2008年10月、東京ドーム

ベネズエラ、米国、日本と、それぞれ笑いのつぼ、冗談のセンスも全然違う。私はユーモアの感覚も文化の一つだと思って積極的に取り入れた。選手同士の距離感が近くなり、日本の文化、野球についても分かるようになってくる。そういうのも非常に重要だ。

 本塁打を打った後のパフォーマンスは私の選手人生の中でも大きなインパクトがあった。みんなが笑顔になってくれる。ヤクルトや巨人のファンだけでなく、みんなが「ラミちゃん」のパフォーマンスを楽しんでくれる。それが私自身にも喜びをもたらしてくれた。

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 2013年4月、外国人選手初の通算2千安打を達成したDeNAのアレックス・ラミレス氏=東京・神宮球場

アレックス・ラミレス氏 米大リーグのインディアンス(現ガーディアンズ)などを経て2001年にヤクルト加入。巨人へ移籍した08年から2年連続でセ・リーグ最優秀選手に輝き、09年は首位打者。本塁打王2度、打点王4度。13年4月に外国出身選手で初めて通算2千安打に到達した。引退後、16年からDeNA監督を5年務めた。19年に日本国籍取得。74年10月3日生まれの47歳。ベネズエラ出身。

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