文豪ら歴史的著名人の直筆約2千通!「宝の山」が、なぜ新宿区の図書館に? ひっそり保管されていた「点字」への温かな思い

日本点字図書館に保管されていた日本の文学史に名を刻む作家らから届いた手紙=東京都新宿区

 古びた葉書の束を1枚1枚めくるたびに、「こんな大物の手紙まで…」と胸が高鳴った。差出人は川端康成、司馬遼太郎、三島由紀夫、江戸川乱歩、山崎豊子をはじめ、日本の文学史に名を刻む作家ら。それだけではない。プロ野球ソフトバンクの王貞治球団会長(82)、松下電器産業(現パナソニックホールディングス)創業者の松下幸之助といった各界の“レジェンド”たちもいる。多士済々の1046人から届いた肉筆の手紙計1958通がひっそりと保管されていたのは、視覚障害者向け図書館として国内最大の日本点字図書館(東京都新宿区)だ。なぜこの場所に、こんな貴重な手紙が眠っていたのか。どんなことが書かれているのか。歴史をひもとくと、視覚障害者の読む権利を確保しようと奮闘してきた人たちの努力と、それに応えようとする作家らの思いが浮かび上がってきた。(共同通信=小田智博)

 動画はこちら:https://youtu.be/lBmCJ7mj4k4

 ▽そうそうたる顔ぶれ

 

松下幸之助から届いた手紙(文中の住所をモザイク加工しています)

 日本点字図書館は視覚障害者の読書用に、点字で書かれた本「点字図書」や、本の朗読を録音した「録音図書」を作成している。その際、許可を得るため作家らに手紙を出していた時期がある。現在残る作家らの手紙のほとんどは、その返信だ。文面などから、多くは本人の直筆とみている。
 

井上ひさしから届いた手紙

 1046人から届いた手紙の消印年は1955~1978年。例えば、「吉里吉里人」など数々の著作を残した作家で、「ひょっこりひょうたん島」の台本を書いたことでも知られる井上ひさしの手紙はこんな内容だ。「どうぞ、お使い下さい。これからも盲人の方たちのお力になってあげてください」。また、「兎の眼」などの作品がある児童文学作家の灰谷健次郎は「重いものはわけあって背おって欲しいという福井達雨さんのことばを折にふれかみしめています」と柔らかな筆致でつづった。どちらも、視覚障害者への温かな思いがにじむ。
 

灰谷健次郎から届いた手紙

 自身も全盲である図書館の長岡英司理事長は「日本を代表する作家らの手紙が一カ所に保管されているのは極めて珍しいのでは。依頼に快く応じ、励ましの言葉を寄せていたことがうれしい。筆跡や文面から作家の個性も伝わる、貴重な文化的遺産だ」と話す。

1958通の手紙を前に並ぶ日本点字図書館の長岡英司理事長(右から2人目)、立花明彦館長(同3人目)ら=8月17日、東京都新宿区

 長岡理事長が言うとおり、手紙からは作家の個性や息づかいが感じられる。
 

三浦綾子から届いた手紙

 三浦綾子は「『氷点』を録音下さる由、少しでも多くの方に読まれますことは作者として、ほんとうにうれしく存じます」と感謝し、武者小路実篤は「喜んで承知」と簡潔に返信。安部公房は特徴的な筆跡で「『砂の女』お申し入れの件、了承いたしました」と記した。
 

石原慎太郎から届いた手紙(住所をモザイク加工しています)

 当時の状況が浮かび上がってくるような文面もある。今年2月に死去した石原慎太郎の手紙は1969年の消印。前年に参院議員に初当選しており「国会多忙中のため御返事遅れて申し分けございませんでした」とわびた。川端康成の1通には「あれの版権はストックホルムのノーベル・財団にあります。財団の承認を得て下さると幸いです」と記載されている。ノーベル賞受賞記念講演をまとめた著書「美しい日本の私」を巡るやりとりとみられる。
 

沢村貞子から届いた手紙

 俳優、エッセイストの沢村貞子は手紙の中で、視覚障害者のために録音のボランティアをした経験があると明かした。著書「貝のうた」の録音許可について「自分で録音させて載きたいとかねて思っておりました。ただあまりに忙しいので、なかなか出来ませんで困っておりました。どなたかがおやり下されば早く、ご希望にそえることになりましょう」と歓迎した。
 有吉佐和子は録音を了承した上で「『非色』のテープは、是非一本頒けて頂き度く、テープ代お支拂いします」と頼んだ。星新一は「あの狂おしい→もの狂おしい」というように、初版本の誤植の訂正箇所を丁寧に伝えている。
 

 

 

 志賀直哉は「お手紙拝見 点字のこと承知致しました」と記し、次のように続けた。「『ある男、その姉の死』よりもう少し面白い短篇を二つか三つ選ばれる方がいいと思ひます」。作品の出来栄えに物足りなさを感じていたのだろうか。想像が膨らんでくる。

日本点字図書館に届いた(左から)有吉佐和子、安部公房、志賀直哉からの手紙。日本の文学史に名を刻む作家らから届いた肉筆の手紙計1958通が保管されていた=東京都新宿区

 ほかにも、池波正太郎、井伏鱒二、井上靖、永六輔、開高健、瀬戸内晴美(寂聴)、柴田錬三郎、寺山修司、中勘助、新田次郎、山岡荘八、渡辺淳一など、数え切れないほどの著名な作家が並ぶ。
 

王貞治氏(現プロ野球ソフトバンク球団会長)から届いた手紙

 さらに、出版経験がある各界のレジェンドも返信を寄せていた。王貞治氏は著書「ぼくとホームラン」の録音に、「盲人の方々にお役に立てて倖せでございます」と快諾した。松下幸之助も「盲人の方がたに、何らかのご参考になるでしょうか。ご参考になれば幸甚です」とした。
 ほかにも、ノーベル物理学賞受賞の湯川秀樹や朝永振一郎、皇族の三笠宮、芸術家の岡本太郎、脚本家の橋田寿賀子、俳優の森繁久弥、作曲家の團伊玖磨、政治学者の丸山真男、数学者の森毅、批評家の小林秀雄、日本文学者のドナルド・キーンの手紙もあった。亡くなった本人に代わって親族が返信したものもあり、太宰治の妻の津島美知子、森鴎外の長男於菟、宮沢賢治の弟清六らの手紙が残されていた。

日本点字図書館=8月、東京都新宿区

 

川端康成から届いた手紙

 手紙の存在は、日本点字図書館の一部の職員が以前から把握していた。図書館が録音図書事業に乗り出して60年の節目となる2018年、担当者2人が仕事の合間に手紙の整理を始め、約1年半かけて全容をまとめた。
 手紙の大部分は、日本点字図書館が依頼文を作家らに送った際、同封した返信用の葉書だ。1枚1枚フィルムシートに入れて保護し、消印年などを記載した紙を一緒に挟み込んで検索しやすいようにした。担当者の一人、浜田幸子さんは「どの著書についてのやり取りか、一読しただけでは分からない手紙も多かった。文面から推測したり、国会図書館のデータと照らし合わせたりして、できるだけ特定に努めた」と苦労を語る。 

 そうそうたる顔ぶれが並ぶ手紙だけに、直接見たい人も少なくないのではないか。そう聞くと、長岡理事長は「所蔵するだけではもったいない。世の中に、こういった手紙があることを広く知ってもらいたい」とうなずいた。今後、図書館内で一部を展示することも検討したいという。また、図書館の立花明彦館長は「作家らの研究者にとっても有益な資料となるのではないか」と話す。

 ▽背景に厳しい読書環境
 一方、手紙が残された背景には、日本の著作権法を巡る問題があった。
 

瀬戸内晴美(寂聴)から届いた手紙

 日本点字図書館は、北海道増毛町出身で全盲の本間一夫が1940年に前身となる施設を創立した。初期の蔵書は、点字を一つ一つ手打ちしたものばかり。戦後に社会福祉法人となり、1955年から厚生省(当時)の委託を受けて点字図書を制作し、各地の視覚障害者を対象とした文化施設などへ配る役割も担ってきた。
  点字図書を複製できる資材も提供され、量産が可能となった一方、著作権との兼ね合いが意識されるようになった。視覚障害者向けの書籍の点字化や朗読の録音については当時、著作権法上の明確な規定がなかったためだ。
 図書館は財政的に苦しく、点字化そのものもボランティアが頼りだ。当然、印税を支払う余裕はない。そこで、無償での点字化の許諾を得るために手紙を送るようになった。のちに始まった朗読の録音についても同様の手続きを取った。
 

江戸川乱歩から届いた手紙

 幸い、作家らからの返信は許諾する内容が大半だった。1955年12月、江戸川乱歩から届いた返信には、金銭的負担への配慮が記されていた。「拙作『二銭銅貨』と『心理試験』点字本六十冊ぐらい御出版の件承知しました。無印税で結構です」。
 一方で「録音テープについては協力致しません」などと断った手紙も残る。松本清張は録音を認めた作品がある一方、「昭和史発掘」全13巻の録音については「不許可。理由。厖大な拙著の点字化を求めるのに、一片の機械的な刷りもので依頼されるのはあまりに非常識だからです」と返した。図書館の立花館長は「作家らからの大量の手紙は、当時の視覚障害者の読書環境がいかに不安定であったかを物語る資料とも言える」と指摘する。
 1970年の著作権法改正で、点字化や視覚障害者に貸し出すための録音は自由と明記され、法的には許諾を求める必要はなくなった。しかし録音についてはその後もしばらくの間、作家への周知の意味も込めて許諾を求める手紙を出していたとみられる。

日本点字図書館の書庫に立つ長岡英司理事長(右)と立花明彦館長=東京都新宿区

 読書を含め、視覚障害者が情報を得るための環境は近年、劇的に改善された。例えば、パソコンやスマートフォンの画面に表示された文字を音声で読み上げる機能が普及し、日々のニュースなどに気軽に触れられるようになった。ネットを通じ、各地の点字図書館が保管する点字データや録音図書へのアクセスも容易になった。
 日本点字図書館の蔵書数も、点訳や朗読のボランティアに支えられて増え、今年3月末時点で点字図書は22871タイトル、需要が多い録音図書は24634タイトルに上る。ただ、一般の図書館では何十万冊の蔵書数も珍しくない。目が見える人と同等の読書を楽しめる環境づくりは道半ばだ。

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