愛子さまはなぜ「愛子さま」と報道されるのか 称号「敬宮さま」は幼少時だけ?

愛子さまの名前が記入された皇統譜=2001年12月、宮内庁の書陵部特別閲覧室(代表撮影)

 天皇、皇后両陛下の長女愛子さまが新聞やテレビなどの報道で「愛子さま」と呼ばれることに疑問を感じる人は、あまり多くないのではないだろうか。ただ、昭和の時代、現在の天皇陛下は「浩宮さま」と「称号」で呼ばれていた。「浩宮さまが登山をされた」といった具合だ。陛下の「名前」は「徳仁」だが、昭和40年代生まれの記者自身は、陛下が決して「徳仁さま」とは呼ばれていなかったと記憶している。
 愛子さまの「名前」は「愛子」だが、「称号」は「敬宮(としのみや)」だ。では、なぜ愛子さまは「敬宮さま」ではなく「愛子さま」と一般的に呼ばれるようになったのだろう。新聞の記録をもとに、その理由を探ってみた。(共同通信=大木賢一)

 ▽称号は「幼少時の呼び名」
 まず、皇族の「名前」と「称号」について整理してみる。「名前」は皇室に属する個人を特定する「本名」であり、皇室の戸籍である「皇統譜」にすべて記されている。天皇陛下の弟、秋篠宮さまは「文仁」、妹の黒田清子さん(2005年に結婚して皇籍を離脱)は「清子」だ。
 

愛子さまの名前が記入された皇統譜に署名する湯浅利夫宮内庁長官=2001年12月、宮内庁の書陵部特別閲覧室(代表撮影)

 これに対して「称号」は、天皇家や皇太子家など「内廷皇族」の子どものみに与えられる「幼少時の呼び名」。先の3人の例で言えば、陛下は「浩宮」、秋篠宮さまは「礼宮(あやのみや)」、黒田清子さんは「紀宮(のりのみや)」が「称号」だった。当然ながら現在の上皇さまにも称号はあり、「継宮明仁(つぐのみやあきひと)」とされた。ちなみに昭和天皇は「迪宮裕仁(みちのみやひろひと)」だった。

 皇太子家の長女として誕生した愛子さまは「敬宮」という称号を持つ。一方、秋篠宮家の子ども3人に称号はなく、「眞子(現在は結婚して小室眞子さん)」「佳子」「悠仁」という「名前」があるだけだ。この3人は「名前」で呼ぶしか方法がなく、1991(平成3)年の眞子さん誕生以来「眞子さま」「佳子さま」「悠仁さま」と、名前に「さま」を付けて報じられるようになったのは当然のことと言える。

 ▽誕生当初は「敬宮愛子さま」の表記も
 しかし、愛子さまの場合は「称号」と「名前」の両方を持つわけで、昭和の例に倣えば「敬宮さま」と呼ぶ選択肢もあった。誕生時の「皇太子の長女」という立場からしても黒田清子さんと全く同じであり、清子さんが「紀宮さま」と呼ばれていたことから考えれば、むしろ「敬宮さま」の方が自然なようにも思える。

 愛子さま誕生当時の報道はどうなっていたのだろうか。まず共同通信の報道を調べてみた。名前と称号が決まったことを伝える2001(平成13)年12月7日夕刊用の記事はこんなふうに書かれていた。

雅子さまに抱かれる愛子さま=2002年、東宮御所談話室(宮内庁提供)

  【見出し】
 お名前は「敬宮愛子さま」
 【記事本文】
 皇太子ご夫妻に1日誕生した長女の名前が「愛子」、幼少時の呼び名である称号が「敬宮」と7日決まった。東京・元赤坂の東宮御所で同日午前行われた「命名の儀」の後、宮内庁が発表した。身の回りの品に付けるお印はゴヨウツツジ。宮内庁病院に入院中の雅子さまと愛子さまは、経過が順調なことから8日にも退院の見通し。

 
 決定を報じる記事なのだから、見出しが「敬宮愛子さま」になっているのは当然だが、2回目以降の記述は「愛子さま」で統一されている。
 愛子さまは誕生当初から「愛子さま」だったということになる。ここまで調べた時点で、私はこう予測した。「昭和の時代は、直接『名前』をお呼びするのは恐れ多いという意識があって『称号』が使われたのではないか。平成になって皇室への親近感が増し、愛子さまという、よりソフトな呼び方が好まれたのかもしれない」

 ▽新聞ごとにばらばらだったという意外な現実
 ところが、朝日、読売、毎日、産経各紙のデータベースや縮刷版をたどってみたところ、意外な事実が浮かび上がった。「敬宮愛子さま」と表記している期間が存在し、それが予想外に長いのだ。実は、産経新聞は今も本文の初出は「敬宮愛子さま」と書いている。2回目以降は「愛子さま」だ。
 調べていて何より驚いたのは、私自身が宮内庁担当として現場で取材した2006(平成18)年10月、学習院幼稚園の運動会の記事だ。運動会では愛子さまが「大玉転がし」をし、勢い余った大玉が偶然皇太子ご夫妻(当時)の方に転がって3人が笑顔で1枚の写真に納まるほほ笑ましい場面があった。この写真は今でも思い出の1枚としてメディアに登場することがしばしばある。

学習院幼稚園の運動会で皇太子ご夫妻が見守る中、「おおたまころがし」をする愛子さま=2006年10月(代表撮影)

 意外なことに、この時、朝日新聞は「敬宮さまは腕を振って入場行進」と書いている。共同通信の配信記事は「皇太子ご夫妻の長女愛子さま」と「愛子さま表記」を貫いている。だが、私には「各新聞社で表記基準に違いがある」と認識していた記憶がない。この前後の時期に宮内庁を担当した記者仲間にも軒並み聞いてみたが、「全く覚えていない。今から思えばみんな最初から愛子さまだったような気がする」と苦笑する人ばかりだった。ちなみにこの時、毎日新聞と産経新聞も初出では「敬宮愛子さま」と書いているが、2回目以降は「愛子さま」。読売新聞は共同通信と同じで初出から「愛子さま」だった。

皇太子ご夫妻と共に学習院女子高等科の入学式に臨む愛子さま=2017年4月、東京都新宿区の学習院戸山キャンパス(代表撮影)

 「敬宮表記」は意外に長く残っていた。また、記事を書いていた記者たちに、そうした基準に関する認識が抜け落ちていたことも分かった。認識がないということは、やはり、ある時点で新聞全体がはっきり基準を決めたわけではなく、各新聞の判断で時間をかけて徐々に変化していったのだろう。

 ▽「敬宮さま」でなければ不敬?
 いつの間にか当たり前になってしまった「愛子さま表記」だが、皇室に関するネット上の書き込みを見ていると、愛子さまを愛子さまと呼ぶことを「不敬だ」とする声もある。「天皇家の長女なのだから、正式に敬宮さまとお呼びすべきだ。宮家の皇族と一緒にすべきではない」といった具合だ。
 しかし、すでに見てきたように、幼少のころの愛子さまを「敬宮さま」と表記するメディアは実際に存在した。称号は「幼少時の呼び名」なのだから、成人した現在の愛子さまを「敬宮さま」と呼ぶのは無理があるような気もする。
 

 

20歳の誕生日を迎えられた天皇、皇后両陛下の長女愛子さま。右は飼い犬の「由莉」=2021年11月、皇居・御所(宮内庁提供)

 そこで浮かぶのは「敬宮」の称号は成人後の今でも生きているのか、という疑問だ。
 この点を宮内庁報道室に質問してみた。「称号が幼少時の呼び名であることはその通りですが、成人によって消滅したわけではありません」というのが回答だった。驚いたことに「浩宮」という称号もいまだに「存在する」という解釈だという。確かに天皇陛下は成人後も、皇太子となるまでは「浩宮さま」と呼ばれ続けていた。
 宮内庁によると、ホームページなどに記載する愛子さまの正式な呼称は、一貫して「愛子内親王殿下」であり、「敬宮」は付けないのが基準とのことだった。このことに関連し、識者の中には「称号は本名に対する『別名』であり、『ニックネーム』のようなもの」と指摘する人もいる。
 しかしその一方で愛子さま本人が、学校の作文で自ら「敬宮愛子」と書いていたりするので話はややこしい。ご本人にとって「敬宮」は一般の人の「名字」のような感覚で、愛着もひときわ強いのかもしれない。作文に署名するのに「愛子」だけでは寂しすぎるような気もする。

 ▽「正式な呼称」専門家はどうみる?
 愛子さまの「正式な呼称」が何なのかは結局よく分からないままだが、今回の結果について、皇室制度を研究する専門家たちはどう考えるのか。
 国学院大学講師で神道学者の高森明勅氏は「興味深いですね。新聞でもともと使われていたという『敬宮愛子さま』というのは間違いではないですが、個人的には少し違和感を覚えます」とのこと。敬宮という称号での報道に、身分の尊い方の本名を避ける意味合いがあったのだとすれば、「敬宮」と「愛子」を併記してしまっては意味がない、との立場だ。その点から言えば、「大玉転がし」の時に使われた「敬宮さま」こそが正解、ということにもなる。
 一方、名古屋大学大学院准教授の河西秀哉氏は「新聞協会や宮内記者会が話し合って取り決めたものとばかり思っていたので、ばらつきがあったものが次第に変遷したという事実には驚きました」と語る。
 その上で河西氏が着目するのは、社会一般と皇室との“距離感”だ。「平成の皇室においては、国民に近しいことが良いこととされてきました。その点、天皇・皇太子の子どもにしかない『称号』には、どこか堅苦しすぎる感じも漂います」
 「すでに眞子さまと佳子さまが誕生されていた影響も大きいでしょうが、『敬宮』という読みにくい称号よりも『愛』というかわいらしく親しみやすい名前が好まれたのではないでしょうか。私たち国民が同じように持っている『名前』で呼ぶことで、愛子さまや皇室をより身近な存在に認識させようとする意図が働いたように感じます」

 ▽新聞4紙とも「愛子さま」に
 

成年に当たり、初めて記者会見される天皇、皇后両陛下の長女愛子さま=2022年3月、皇居・御所「大広間」(代表撮影)

 今年3月、愛子さまの成人に当たって開かれた記者会見の記事では、新聞4紙の見出しはすべて「愛子さま」だった。本文の初出は産経だけが「敬宮愛子さま」だが、2回目以降はすべての新聞が「愛子さま」を使っている。
 今となっては「敬宮」という称号自体を知らない読者もかなりいるのではないだろうか。新聞各社の判断の経緯はそれぞれだろうが、新聞は社会の機運を映す“鏡”でもある。その機運に合わせるように「愛子さま」が定着していったことは間違いなさそうだ。

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