世界一危険な普天間と、米軍が世界一手放したくない嘉手納 研究者と歩いて実感した「沖縄の不条理」

米軍普天間飛行場が一望できる嘉数高台公園で基地問題について話す野添文彬さん=5月31日、沖縄県宜野湾市

 日本に復帰してから50年がたった沖縄には、今もなお米軍基地が集中している。基地建設の始まりは、77年前の沖縄戦までさかのぼる。歴史を振り返り、基地問題の今と、これからを考えたい。そんな思いから、沖縄国際大准教授(国際政治学)の野添文彬さん(38)とともに島を歩いた。(共同通信=岡田圭司)

 ▽町並みを破壊して造られた普天間飛行場
 沖縄県宜野湾市の丘陵地にある嘉数高台公園。展望台からは米軍普天間飛行場を一望できる。
 私たちが訪れた今年5月31日は梅雨の雲に覆われていた。湿気を含んだ空気を感じながら、公園の階段を120段ほど上る。展望台に立つと、普天間飛行場が市街地の中心に開いた穴のように見えた。
 手前から奥へ滑走路が延び、駐機場には10機以上の輸送機オスプレイが整然と並ぶ。基地の外は沖縄特有のコンクリート造りの住宅、マンション、学校がひしめく。「世界一危険な米軍基地」と言われるゆえんだ。 

 

フェンス越しに米軍普天間飛行場を見つめる野添文彬さん=5月31日、沖縄県宜野湾市

 野添さんは普天間飛行場に隣接する沖縄国際大に勤め、そこから約1キロ離れた自宅で、妻と1歳児の長女と3人で暮らしている。その日常をこう表現した。「米軍機の騒音で朝に目覚めたり、夜寝かしつけたばかりの子どもが起きたりするんです」
 生活を脅かすのは、米軍機の騒音だけではない。普天間飛行場周辺の川や湧水からは、有害な有機フッ素化合物「PFOS」などが高濃度で検出され、問題となっている。
 野添さんは以前、自宅で水道水を飲んでいたが、長女が生まれるのに合わせ、ウオーターサーバーを利用するようになった。「体にどんな影響が出るか分からず、恐怖を覚えます」と切実だ。
 展望台から普天間飛行場を見つめ「当たり前のように基地が広がっていますが、そうではないんです」と説明した。この地にはもともと、役場や学校、郵便局、病院、旅館、雑貨店がそろう町並みがあった。
 しかし1945年の沖縄戦で状況が一変。沖縄本島に上陸した米軍は、民間地を奪って家々を壊し、滑走路を造った。住民は戦後、基地の周りに住まざるを得なかった。
 一方、普天間飛行場を離着陸する米軍機は、墜落や不時着、部品の落下といった事故を繰り返した。市街地のど真ん中を占める基地は、かねて危険性を指摘されてきた。
 そんな中、沖縄本島で1995年9月、米兵3人が女子小学生を暴行する事件が起きた。後を絶たない米兵らの犯罪と、日米地位協定を盾に日本側への容疑者引き渡しを拒む米軍に、県民の怒りが沸騰した。抗議の県民総決起大会には約8万5千人(主催者発表)が集い、拳を振り上げた。
 

2004年の米軍ヘリ墜落事故で焼け焦げたアカギの木=5月31日、沖縄県宜野湾市

 沖縄の声に押されるように日米両政府は1996年、普天間飛行場の返還合意に至った。だが、その条件として基地を県内に移設することとされた。四半世紀を経ても返還は実現していない。 

 沖縄国際大の敷地には、焼け焦げたアカギの木が残されている。2004年8月に米軍の大型輸送ヘリコプターが校舎に激突、炎上した際のモニュメントだ。乗員の米兵3人が負傷し、飛散した部品が周辺の住宅を損壊。大学が夏休み中だったため、奇跡的に民間人の負傷者はいなかった。
 2017年12月にも、普天間飛行場の北側に接する普天間第二小学校の運動場に、大型輸送ヘリの窓が枠ごと落下した。運動場にいたのは体育の授業中だった児童54人。重さ約7・7キロ、約90センチ四方の窓が子どもたちの十数メートル先に落ちてきたのだ。こうした事故は、いつまた起きてもおかしくない。
 沖縄国際大の講義は、上空をオスプレイが飛び、機体が発する重低音でたびたび遮られる。それでも学生の一人は「少し我慢すれば収まるから平気」と慣れた様子だ。
 野添さんは、学生たちが基地の存在や被害を当然のように受け止めていると感じる。「これは当たり前ではなく不条理。現実を直視しなければいけないよ」と諭している。

「道の駅かでな」の上空を爆音を響かせて飛ぶ米軍機=6月1日、沖縄県嘉手納町

 ▽「安保の最前線」の嘉手納基地
 普天間飛行場を訪れた翌日の6月1日、沖縄本島には梅雨の晴れ間がのぞいた。記者が向かったのは、米軍嘉手納基地(沖縄県沖縄市、嘉手納町、北谷町)。約3700メートルの巨大滑走路を2本備える東アジア最大の米空軍基地だ。
 基地の目の前にある「道の駅かでな」の展望台からは、滑走路を見渡せる。到着して間もなく、耳をつんざくような金属音が響いた。真っ青な空を切り裂くように、灰色の戦闘機が次々と飛来した。確認すると、約1時間のうちにF16戦闘機計10機が着陸していた。
 展望台に設置された騒音測定器を見ると、赤字で「103デシベル」と表示された。電車が走行するガード下並みの騒音レベル。風が吹くとオイルのような臭いも漂ってきた。

「道の駅かでな」の展望台に設置された騒音測定器=6月1日、沖縄県嘉手納町

 飛来した10機は、嘉手納基地に常駐する約100機とは異なり、別の基地に所属している。こうした外来機は、5月末ごろから頻繁に現れたという。近くに住む高木直子さん(70)は「離着陸の回数が2割ぐらい増えたように思います。騒音がひどい」と訴えた。
 野添さんは「北朝鮮の核実験に向けた動きや、中国軍の台湾周辺での活動を警戒し、威嚇や抑止をしようとしているのではないか」とみる。

 嘉手納基地は1944年に旧日本軍が開設した飛行場で、沖縄戦時に米軍が占領した。滑走路は大型爆撃機が離着陸できるよう拡張が重ねられた。沖縄が日本に復帰する前の朝鮮戦争やベトナム戦争では、米軍機の出撃拠点となった。
 

「道の駅かでな」の展示室で、米軍嘉手納基地周辺のジオラマを説明する野添文彬さん(左)=5月31日、沖縄県嘉手納町

 嘉手納基地の近くでは多数の死傷者を出した航空機事故が発生した。1959年6月、嘉手納基地を離陸したジェット戦闘機が石川市(現うるま市)の宮森小学校に墜落し、児童や住民ら17人が死亡、200人以上が負傷した。戦後の沖縄で米軍が起こした最大の墜落事故とされる。
 1968年11月にも、核兵器搭載可能とされるB52戦略爆撃機が嘉手納基地内で墜落した。こうした事故は、反基地感情や日本復帰を求める声の高まりにつながった。
 沖縄の日本復帰後も、嘉手納基地は湾岸戦争やイラク戦争で物資輸送の足場として使用された。近年は北朝鮮の核・ミサイル開発といった動きを監視する偵察機が飛来。米軍だけでなくオーストラリアやカナダなども航空機を派遣している。
 野添さんは嘉手納基地について「安全保障の最前線で、抑止力の中核」と解説する。普天間飛行場のように返還対象となる見通しは立たない。「米軍が世界で最も手放したくない基地の一つでしょう」。野添さんは厳しい表情を浮かべた。

 ▽沖縄県民の声に反して埋め立てが進む辺野古沿岸部
 嘉手納基地に続いて記者が訪れたのは、太平洋に面した沖縄県名護市辺野古。日本政府は、米軍キャンプ・シュワブ沿岸部の海域約152ヘクタールを埋め立て、普天間飛行場の移設先とする計画だ。
 サトウキビが風になびく小高い丘からは、目の覚めるような青色の海と、その一角にできた茶色い埋め立て地が見えた。

米軍キャンプ・シュワブのゲート近くに設置されている、辺野古移設反対派の座り込みの日数が書かれた看板=5月30日、沖縄県名護市

 米軍キャンプ・シュワブのゲート前では、辺野古移設に反対する市民団体のメンバーらが座り込みの抗議をしていた。大きな石を積んだダンプカーがゲートを通る度に、「オール沖縄会議」共同代表の高里鈴代さん(82)ら20人ほどが「新基地は造らせないぞ」とシュプレヒコールを上げた。

 辺野古移設に対し、沖縄県民は「基地負担のたらい回しだ」と強く反対してきた。根底には戦後長らく基地を置かれ、米軍による事件や事故、環境汚染に脅かされてきた苦難の歴史がある。
 辺野古移設の是非が最大の争点となった2014年と2018年の沖縄県知事選では、反対派が勝利。2019年2月にあった辺野古埋め立ての賛否を問う県民投票では、反対が有効票の7割超を占めた。今年9月の知事選でも、改めて辺野古移設が問われる。
 一方、埋め立て予定地の一部に軟弱地盤があることが発覚した。改良工事のため工期は大幅に延び、普天間飛行場の返還は2030年代以降にずれこむ見通しとなった。

沖縄県名護市辺野古の海岸を歩く野添文彬さん。奥では普天間飛行場の移設先として埋め立て工事が進められている=5月31日

 さらに有用性も疑問視される。辺野古の滑走路は約1800メートルで、普天間飛行場の約2800メートルより短く、機能が低下するためだ。
 それでも日本政府は、普天間飛行場の危険性を取り除くには「辺野古移設が唯一の解決策」(岸田文雄首相)との立場を崩さず、土砂の投入を続ける。高里さんは「政府の狙いは米国との関係強化で、沖縄の負担軽減は見せかけ」と批判した。
 野添さんが辺野古を訪れるのは1年ぶりだった。移設計画は「今からでも見直されるべきだ」と強調する。埋め立て予定地の護岸は以前よりも高く、長くなったという。じっと護岸を見つめながら「切ない気持ちになりますね」と漏らした。
 沖縄の過重な基地負担は、日本復帰から50年たっても解消されていない。それにもかかわらず、辺野古に新たな基地が造られようとしている。
 野添さんは、沖縄に米軍基地が集中することは不条理で、その上に成り立つ日本の安全保障は「異常だ」と言い切る。「沖縄への依存状態を解消するため、多くの人が沖縄の今につながる歴史を知ってほしい。そして日米安保や国の在り方について考えてほしい」。野添さんはそう願っている。

米軍基地問題について語る沖縄国際大准教授の野添文彬さん=5月31日、沖縄県名護市

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