「京都サンガ生みの親」稲盛和夫さん、チーム支え続け 「J1で優勝争いできるチームに」最後まで夢描く

2003年元日の天皇杯決勝で鹿島を破って初優勝し、サンガの選手から胴上げされる稲盛名誉会長(国立競技場)

 亡くなった京セラ名誉会長の稲盛和夫さんは、Jリーグ京都サンガFC(当初は京都パープルサンガ)の設立や運営に尽力してきた。

 京都にJリーグクラブを願う京都市民の署名活動などを受け、1994年に稲盛さんが会長となって運営会社を発足させた。京セラを中心に京都の企業が出資金を負担し「市民の熱意を思い、地元企業として貢献することがあるべき姿と考えた」と当時語っている。チームは95年のジャパンフットボールリーグ(JFL)で2位となり、Jリーグ昇格を果たした。

 京セラはクラブのメインスポンサーを務め、元日本代表選手を獲得するなど強化を支えてきた。稲盛さん自身も、ホームスタジアムの西京極陸上競技場(京都市右京区)や練習に足を運び、選手らを直接激励することもあった。

 2003年元日に天皇杯で優勝した時には、会場で選手に胴上げされた。「弱小集団が若武者集団となって栄冠をつかんでくれた。チーム全員の苦労がむくわれる思いです」と感慨深げだった。現在までクラブの名誉会長を務めたが、近年はスタジアムに来場することは少なくなっていた。

 J2との昇降格を繰り返してきたクラブは、今季から再びJ1に戻った。復帰が決まった際には「今後はJ1で優勝争いができるようなチームとなり、より一層、地元京都の活性化につなげていければと思います」とコメントを寄せ、サンガと京都の未来に夢を描いていた。

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