BAR TAKEMOTO(バータケモト)に訪れて最初に目に留まるのは、バーカウンターを埋め尽くす数えきれないほどの酒瓶。
ほの暗い明かりの下に並ぶ酒瓶からは、大人の酒場という雰囲気が漂ってきます。
倉敷市水島にあるBAR TAKEMOTOのバーテンダーは竹本明生(たけもと あきお)さん。
竹本さんが取りそろえた約700種類のお酒がバーカウンターに隙間なく並んでいます。
圧倒される数の酒瓶が、どのようにしてBAR TAKEMOTOに置かれることになったのかを竹本さんに聞いてきました。
水島にある大人の酒場 BAR TAKEMOTOの歴史を紹介します。
BAR TAKEMOTOの紹介
BAR TAKEMOTOは、倉敷市水島にあるオーセンティックバーです。
BAR TAKEMOTOが、どのようなお店なのかを紹介していきます。
BAR TAKEMOTOとは?
BAR TAKEMOTOは、水島臨海鉄道 栄駅から徒歩およそ5分のところにあるビルの2階あります。
時代の移り変わりを感じさせる階段を登り、踊り場にある丸いのぞき窓がついた木製の扉がBAR TAKEMOTOの入り口。
扉を開けて店舗に足を踏み入れると、落ち着いた雰囲気の照明のなかに、ずらりと並んだ酒瓶が目に留まります。
スコッチウイスキーを中心に、約700種類のお酒を取り揃えているのがBAR TAKEMOTOの特徴です。
バーテンダー 竹本明生さん
BAR TAKEMOTOのバーテンダーは竹本明生さん。
生まれは大阪で、竹本さんが10歳のときに父親の事業の関係で水島に移り住みました。
母親が始めた喫茶店の手伝いがきっかけで飲食業に興味を持ち、1984年に竹本さんも水島でバーを始めます。
1988年に現在の店舗に移り、これまでBAR TAKEMOTOでお酒を提供してきました。
母親の喫茶店で働いていたときに、バーテンダーとしての技術や知識を身につけるために、日本バーテンダー協会に入会。
1997年には、全国のバーテンダー仲間とともに、ウイスキーの聖地であるスコットランドのアイラ島に足を運び、アイラ島にあるすべての蒸溜所を訪れています。
また、アイラ島にあるボウモア蒸留所の所長からアンバサダー・オブ・アイラに任命されて、アイラ島のウイスキーの素晴らしさを日本に伝える活動をしてきました。
北海道から九州まで、日本各地のバーテンダーと親しくしており、2018年から2020年には、日本バーテンダー協会の理事も務めています。
BAR TAKEMOTOの店内
バーと聞くと格式高い印象を持つ人もいるかと思いますが、BAR TAKEMOTOは気軽に足を運べるお店です。
バーテンダーの竹本さんの大らかな人柄もあり、落ち着いた雰囲気のある居心地の良い空間となっています。
店内の座席はカウンターが10席と、テーブルが2つ。
カウンター席に座り竹本さんと話してもいいし、たまたま居合わせた常連のお客さんと他愛ない話題で盛り上がれます。
バーに集う人たちと一緒にお酒を飲みながら、ゆっくりと過ごせる酒場です。
水島にある酒場BAR TAKEMOTOには、どのようにして無数の酒瓶が置かれていったのでしょうか?
バーテンダーの竹本明生さんに、BAR TAKEMOTOの歴史について聞いてきました。
バーテンダー 竹本明生さんにインタビュー
バーテンダーの竹本明生さんに、BAR TAKEMOTOの歴史について聞いてきました。
水島の老舗バーに数えきれないほどの酒瓶が並んでいる背景を紹介します。
BAR TAKEMOTOが創業するまで
──水島にバーを構えた理由は?
竹本(敬称略)──
父親の事業の関係で、10歳のときに大阪から水島に引っ越してきました。
そのとき母親が始めた喫茶店が繁盛し、人手が足りないことから私もお店を手伝っていたんです。
しばらくして、私もお店を出そうという話が出てきて、せっかく店舗を持つならやりたいことをやろうと思い、18歳のときに日本バーテンダー協会に入会し、興味があったカクテルの勉強を始めます。
そこから、日本バーテンダー協会が開催する講習会や大会などで、バーテンダーに必要な技術や知識を身につけ、1984年に水島の今とは別の場所に店舗を構えました。
1988年に現在の店舗を前のオーナーから引継ぎ、それ以来、BAR TAKEMOTOとしてお酒を提供してきました。
──バーテンダーになろうと思った理由は?
竹本──
母が喫茶店を始めた1970年代は、水島に工場が建ち並んでから約10年が経過した時代で、日本の経済成長とともに水島も賑わっていました。
そのため、喫茶店を訪れるお客さんの多くは、出張や転勤の多い大企業に勤める人たち。
接客を通じて耳にする大人の会話は、私の知らない世界のことばかりで、会話の内容に魅力を感じていました。
また、母親は大阪の喫茶店で働いていた経験があり、レモンスカッシュなどをシェイキングしてお客さんに提供していたんです。
飲み物を通じてお客さんが喜ぶようすを、子どもながら興味を持って見ていました。
喫茶店での接客を通じて、人の話を聞くこと、そして飲み物で人を喜ばすことが面白いと感じていたのでしょう。
この経験がバーテンダーを志した理由だと思っています。
バーテンダーとしてのこだわり
──バーテンダーとして、どのように勉強してきたのでしょうか?
竹本──
18歳で日本バーテンダー協会に入会した理由の一つは、当時、水島で活躍していたバーテンダーが開く勉強会でカクテルの作り方を学ぶためです。
20歳を過ぎて、お金が貯まったときには、大阪や神戸のバーにまで足を運んで勉強していました。
勉強というよりも、ただバーに行って飲むだけですが、カクテルの作り方を見て学び、バーテンダーとの会話を通じて人柄を学んでいたんです。
歳を重ねてからは、日本バーテンダー協会のつながりで全国各地に出向く機会が増えて、出先にあるバーを訪ねたり、バーテンダー仲間とカクテルの作り方について語り合ったりして、勉強を続けています。
──カクテルを作るうえで大切なことは何でしょうか?
竹本──
「なぜ、そういう作り方をしたのか」という理由が大切なんです。
たとえば、炭酸が抜けないように炭酸水はグラスと氷の間に注ぐ、というような理由に意識を向けるようにしています。
どんなカクテルにも基本の作り方があり、「型」を身に付けることが大切。
その後に、「型」からどのように工夫していくかがカクテルを美味しくするための秘訣なんです。
それぞれのバーテンダーが、作り方の一つひとつに考えを持っています。
根掘り葉掘り聞くことはありませんが、若いころは作り方の理由を考えながら見て盗んでいました。
──バーテンダーとして心掛けていることはありますか?
竹本──
新しいことを積極的に学ぶ姿勢です。
年配のかたであっても、もっとよいお酒を提供できないか、もっとお客さまに喜んでもらえないかを常に追求しているバーテンダーたちがいます。
新しいことを取り入れるといっても、単に流行っている商品を作るのではありません。
どうやったら美味しいお酒ができるかを試行錯誤することが大切で、工夫を続けるものは残っていきます。
流行っているから作るという姿勢では、廃れていくでしょう。
お酒を作る「型」は明確にありながら、新しい作り方や素材を取り入れて、より良いものを提供していくという姿勢を大切にしています。
無数にある酒瓶の理由
──お酒が増えていった理由は?
竹本──
水島でバーを始めたころの店舗には、東京を行き来する企業勤めのお客さんが多くいました。
東京のバーにも詳しいお客さんもいて、「あのお酒を入れたほうがいい」と勉強させてもらっていたんです。
お客さんから東京のバーを紹介してもらうこともあって、仲良くなった人とは東京で一緒に飲みにいくこともありました。
そうするとバーテンダーとのつながりもできて、さらに情報も入ってくるようになります。
お客さんに教えてもらうことで、増えていったお酒です。
──バーテンダーとのつながりが増えたきっかけは?
竹本──
1993年に、オーストリア、ウィーンで開催されたカクテルの世界大会に友人の応援で訪ねたとき、酒類を専門とするジャーナリストに出会いました。
その人に声をかけてもらい東京で再会し、バーテンダーのなかでも大先輩と呼ばれるような人たちのお店を案内されたんです。
それぞれのお店で大先輩のバーテンダーたちが奮ってくれたマティーニを飲み歩き、私のことを紹介してもらいました。
今でも懇意にしているバーテンダーと出会った出来事です。
そこで親しくなった人を通じて、さらに北海道から九州まで全国各地のバーテンダーとつながっていきます。
お酒を通じて自分の世界が広がり、お酒にますます魅了されていきました。
ウイスキーの聖地アイラ島へ
──アイラ島を訪ねた理由は?
竹本──
私は運が良くて、親しくしていたバーテンダー仲間たちには、日本チャンピオンになった人も、そして世界チャンピオンになった人もいます。
優秀な仲間たちと話をしていたら、みんなでウイスキーの聖地であるアイラ島に行こうということになりました。
そして1997年9月に、10人の仲間とともにアイラ島を訪ねることになったんです。
──アイラ島はどんな場所なのでしょうか?
竹本──
ウイスキーの聖地と呼ばれるスコットランドのアイラ島には、代表的なスコッチウイスキーを製造する9つの蒸留所があります。
アイラ島で製造されるウイスキーの特徴は、スモーキーな香りです。
アイラ島は淡路島ほどの大きさの島で、島全体がピートと呼ばれる野草や水生植物が堆積して炭化した泥炭で覆われています。
ピートの煙で麦芽をいぶすのですが、その香りが麦芽につくことによって、アイラ島で製造されるウイスキー特有のスモーキーな香りが生まれるんです。
──アイラ島での印象的な出来事を教えてください。
竹本──
蒸留所のうちの1つ、ボウモアの蒸留所の当時の所長ジム・マッキュワンさんが、一緒に訪れた私たちの仲間10人を、日本を代表する素晴らしいバーテンダーだと認めてくれました。
その後、アイラ島にある蒸留所の所長会議で承認され、アイラ島の文化を日本に広める親善大使アンバサダー・オブ・アイラが結成しました。
バーテンダーを通じて広がっていった私の世界は、ウイスキーの聖地にも広がっていったんです。
お店にウイスキーが多く並んでいる理由は、アイラ島を訪ねたことで得られた人とのつながりも影響しています。
BAR TAKEMOTOが大切にしていること
──思い描いている理想のバーはありますか?
竹本──
アイラ島では、バーに近所の常連客が犬を連れてやってくるようなこともあり、バーが近所に住む人たちの生活の一部になっていました。
実は、初めてアイラ島を訪れた4年後に同じお店に行ってみたのですが、4年前と同じお客さんと再会したんです。
数年が経過しても変わらずに顔なじみの人たちが集まっていて、近所の酒場という印象。
BAR TAKEMOTOも水島にとっての近所の酒場でありたいと感じました。
──BAR TAKEMOTOが大切にしたいことは?
竹本──
今の場所に店舗を構えようと思ったときに、倉敷や岡山などの人が賑わう場所からの誘いもありました。
でも、私は人のつながり、私にゆかりのある場所を大切にしたかったんです。
それに、大勢の人たちで賑わうきらびやかな街は、私の柄には合いません。
だから、水島でバーを続けることを決めました。
水島でバーをやっていると水島の企業に勤めている常連のお客さんもきてくるのですが、転勤したときは姿を見かけなくなります。
でも、出張などで水島を訪れたときには、また立ち寄ってくれるんです。
今は東京に住んでいる人にとっても、馴染みの酒場になっているのはうれしいですね。
常連のお客さんが入れ替わるのも、大きな企業が建ち並ぶ水島ならではの出来事。
これからも、人のつながりを大切にしながら、水島らしい近所の酒場でお酒を提供していきたいと思います。
BAR TAKEMOTOを訪れて
バーカウンターの上、そしてバーカウンターの向こうの壁に埋め尽くされた酒瓶。
ほの暗い明かりに照らされた無数の酒瓶からは、BAR TAKEMOTOの歴史を感じました。
駆け出しのころにお客さんから教えてもらったお酒、尊敬するバーテンダーとの出会い、ウイスキーの聖地 アイラ島の光景、竹本さんが経験してきたことが、それぞれの酒瓶に詰め込まれているように思います。
竹本さんがどんなお酒を飲んできたのかを、もっと聞きたくなりました。
次にBAR TAKEMOTOを訪れるときは、スモーキーな香りのスコッチウイスキーを味わいながら、バーテンダーの思い出話を聞きたいと思います。