<金口木舌>自立への基盤

 沖縄戦の傷跡が残る1955年に産声を上げた沖縄産業開発青年協会(開発青年隊)は、技能を身に付けて沖縄の復興を支える若者を輩出した。南城市にある丸浩重機工業の比嘉俊浩社長もその1人

▼比嘉さんは戦争で祖父を失い、二十歳に満たない父も黄リン弾で背中に大やけどを負った。創業後は青年隊の後輩を積極的に雇用し、自立を応援してきた。糸満市摩文仁の平和祈念こいのぼりまつりに毎年クレーンを無償提供し、平和を願う巨大なこいのぼりを空に泳がせている

▼「戦後沖縄の福祉の母」と呼ばれた故・島マスさんは戦争孤児や母親を職業訓練し、仕事をあっせんした。逆境にある人に共感し、自立に向けた支援を続けた

▼その島マスさんが活動した沖縄市で、生活保護世帯や非課税世帯の人を対象に、開発青年隊で資格を取得する費用を全額補助する事業が始まる。子どもの貧困というが、親世代の生活安定は切り離せない課題だ

▼若者が道を切り開き、自らの安定した家庭生活を築く後押しも必要だ。さまざまなアプローチに挑みたい。

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