消えた「国家安全保障会議」 ――日本の安全保障体制を崩壊させる岸田首相|山口敬之【WEB連載第15回】 ナンシー・ペロシの訪台に激怒した中国は8月4日、いっぺんに11発もの弾道ミサイルを日本の周辺海域に着弾させた。このうち5発は与那国島の西側上空を飛び越えて日本のEEZ内に着弾。ところが、岸田首相はこの中国による露骨な恫喝に対して、国家安全保障会議を開催しなかった――。

岸田政権と北朝鮮の弾道ミサイル

正月気分の抜け切らない今年1月11日早朝、北朝鮮が1発の弾道ミサイルを日本海に向けて発射した。

防衛省の当初の発表では、「7時25分頃、北朝鮮の内陸部から弾道ミサイルの可能性があるものを東方向に1発発射。約700km未満飛翔して、我が国の排他的経済水域(EEZ)の外に着弾した」という。

[防衛省発表のミサイル飛翔ルート]

この「1発の」弾道ミサイルが「EEZの外に」着弾したことについて岸田文雄首相は、即日、国家安全保障会議を招集した。

国家安全保障会議とは、我が国の安全保障に関する重要事項を審議する機関として設置されている、政府の最高レベルの会議で、議長を務めるのは内閣総理大臣だ。通常は月2回程度開催され、国防の基本方針や防衛計画の大綱といった「平時の備え」について議論し、首相に進言する。

しかしひとたび武力攻撃事態や存立危機事態を始め、我が国の安全保障上重大な懸念が発生した場合、首相が緊急に招集する。緊急の国家安全保障会議は、その内容はもちろん、「重大な事案だと受け止めている」という政権の意志を内外に示す意味でも重要である。

例えばウクライナ戦争を巡っては2月14日、2月24日、2月25日、3月4日と、ロシアの侵攻の前後に立て続けに4回、緊急4大臣会合が招集され、アメリカ・バイデン政権に従って対ロシア超強硬路線を取るという基本方針が繰り返し確認された。

北朝鮮の弾道ミサイル発射を巡っては、岸田首相は冒頭に紹介した1月11日に加えて、1月30日、3月24日と今年だけで3回の緊急4大臣会合を招集している。

1月30日、北朝鮮は射程5000km程度の中距離弾道ミサイル「火星12」を1発、日本のEEZの外に着弾させた。この時、北朝鮮は弾頭に設置したカメラの映像を発表するなど、ミサイル技術の飛躍的進歩を誇示した。

(画像は朝鮮中央通信)

岸田政権の国家安全保障会議の開催実績

3月24日、北朝鮮は大型の弾道ミサイルを空高く打ち上げた。最高高度は6000km以上で、飛翔距離は約1100kmで、日本のEEZ内に着弾した。

北朝鮮は射程15000kmを超える「火星17」という大型のICBM(大陸間弾道ミサイル)を発射したと発表した。

[火星17]
[3月25日に北朝鮮が発表した映像](朝鮮中央通信)

この際、政府は「何らの事前の通報もなくわが国EEZ内に着弾させたことは、航空機や船舶の安全確保の観点からも極めて問題のある危険な行為であり、強く非難をする」というコメントを発表している。

これまでの岸田政権の国家安全保障会議の開催実績と、その際に発表される官房長官や防衛省などの政府コメントを見れば、岸田首相は、
・日本や米国を射程に収める弾道ミサイルはたとえ1発でも安全保障上の重大問題であり、
・なかでもEEZ内に着弾した場合には強い抗議をする
という方針であったことがわかる。

なぜ中国の弾道ミサイル発射に沈黙するのか

ところが安倍晋三元首相の暗殺後、岸田首相の方針は180度転換した。

8月初頭のアメリカ下院議長ナンシー・ペロシの訪台に激怒した中国は8月4日、いっぺんに11発もの弾道ミサイルを日本の周辺海域に着弾させた。

防衛省の当初の発表では、自衛隊が確認した弾道ミサイルは9発。そのうち7発が日本の与那国島方向に発射されていた。

[防衛省発表]
[毎日新聞作成]

しかも7発のうち5発は与那国島の西側上空を飛び越えて日本のEEZ内に着弾した。

これまで岸田首相は、北朝鮮の弾道ミサイルが日本や米国を射程に入れるようなものであれば、1発だけでも即日、国家安全保障会議を招集していた。ましてやEEZ内に着弾して会議を開かなかったことはない。

中国の弾道ミサイル発射は11発で日本近海に7発。このうち5発がEEZ内に着弾したのだから、岸田政権のこれまでの基準なら無条件で国家安全保障会議の緊急大臣会合を招集する重大事態だ。

ところが、岸田首相はこの中国による露骨な恫喝に対して、国家安全保障会議を開催しなかった。官邸のホームページには、国家安全保障会議のセクションがあり、そこにはこれまでに開催された全ての国家安全保障会議が列挙されている。

官邸のホームページには、国家安全保障会議のセクションがあり、そこにはこれまでに開催された全ての国家安全保障会議が列挙されている。

今年の開催リストを見ると、7月25日に定例の会議を開催して以降、内閣改造後の8月12日まで2週間以上会議が開催されていないことがわかる。

この間、ペロシ議長の訪台を巡って米中関係が極端に悪化しており、普通に考えれば緊急会合が何回も招集されてもおかしくない状況だった。

8月4日には中国が7発の弾道ミサイルによって日本の国土と領海、そしてそこで生活し漁業を営む多くの日本人の安全を直接的に脅かしたにもかかわらず、岸田首相は国家安全保障会議を招集しなかったのだ。

中国こそ日本の最大の脅威

北朝鮮の保有する核弾頭は20〜45発程度と見られているのに対して、中国は200〜350発と10倍の規模だ。さらにアメリカの国防総省は、中国が2030年までに1000発まで増やすという報告書を昨年秋にまとめている。

弾道ミサイルについては、北朝鮮の日本をターゲットとした弾道ミサイルの配備数は320基程度と見られているのに対して、中国は中距離弾道ミサイル約300発、短距離弾道ミサイル約1150発、巡航ミサイル3000発程度を保有していて、このうち少なくとも1300基以上が日本を射程に収めるものと見られている。

また、中国は日本を専門に狙うミサイル基地を少なくとも3か所に完成している。

北村淳 著『尖閣を守れない自衛隊』 (宝島社新書)より

なかでも日本を攻撃するために1970年代に開発された「東風21」は1991年から実戦配備が始まり、現在では1000基がいつでも日本を攻撃できる体制になっていると言われている。

そしてその発展系である「東風21D」は日米の空母やイージス艦を破壊する「空母キラー」として、日米の安全保障環境を著しく悪化させている。

[東風21D]

中国の核ミサイルの脅威は、北朝鮮の比ではないのだ。

その中国が1度に11発もの弾道ミサイルを発射したのに岸田首相はなぜ国家安全保障会議を招集しなかったのか。何か中国に弱みでも握られているのだろうか。

中国の「覚えめでたい」岸田首相

お盆休みに新型コロナウイルスに感染した岸田首相に対して中国の習近平国家主席は8月22日、「感染を知り、心からお見舞い申し上げる。早期回復を祈っている」とお見舞いのメッセージを発出。日中国交正常化50年を今年迎えることに触れ、「新時代の要求に合う中日関係の構築を共に推進したい」と強調した。

そして翌23日には、中国政府は新型コロナウイルスの感染拡大を受けておよそ2年半前から停止していた日本人留学生の受け入れを再開した。

中国は新型コロナウイルスの世界的な感染拡大を受けて昨年までは厳しい水際対策を取っていたが、今年に入ってからはビジネス目的などの来訪者の受け入れを徐々に再開させていた。

中国の一連の対日宥和姿勢は、何に起因するものなのか。8月4日に弾道ミサイルを大量に打ち込んだ挙句「日本の主張するEEZは無効」などと主張した8月上旬までは、日本に対する激しい怒りを余す所なく表現していたのだ。

中国がわずか2週間で態度を豹変させたのは、弾道ミサイルの連射など中国の激しい軍事的恫喝に対して岸田首相が毅然とした対応をせず、まるで属国や植民地のように沈黙を守ったためだという見方が急速に広がっている。

日中両政府の間では今、9月29日の日中国交正常化記念式典の際に何らかの形で習主席と岸田首相の首脳会談が模索されているという。岸田首相が中国の顔色をうかがう目的で会議の招集を見送ったのだとすればそれは絶対に許されない判断だ。

岸田首相は、目先の記念式典や首脳会談のために、与那国島の漁民のみならず、日本人の生命と日本の国土を危険に晒したのだ。

安倍元首相の遺志を踏み躙る岸田首相

国家安全保障会議は、暗殺された安倍晋三元首相が第一次政権の頃から温めていたもので、第二次政権下の2014年に正式に発足した。

アメリカ・大統領府(ホワイトハウス)のNSC(国家安全保障会議)に対応する機能が与えられた国家安全保障会議は、日米同盟を最高レベルで維持強化する機能も果たしてきた。そして、弾道ミサイル発射や中東情勢、ウクライナ戦争など世界の安全保障環境の変化に対する日本政府の姿勢を内外にいち早く示すという意味でも重要な機能を果たしていたのである。

しかし、今回11発中5発の弾道ミサイルをEEZ内に打ち込まれても会議を開かなかった以上、今後は会議を開催するハードルが極端に高くなってしまった。今後はどんなミサイルがどこに何発打ち込まれたら、国家安全保障会議を開催するのか。

岸田首相の媚中姿勢は、林芳正外相の続投で明らかになった。そして安倍元首相の肝煎りで発足した安全保障の最高レベルの司令塔である国家安全保障会議を骨抜きにした。

これでもまだ、岸田政権を評価する評論家がいることには驚愕を禁じ得ない。

安倍元首相暗殺後ことあるごとに「元首相の遺志を引き継ぐ」と述べていた美辞麗句とは裏腹に、岸田首相は安倍元首相が命を賭して築き上げて来た「日本を守る決意とシステム」を次々と破壊している。

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山口敬之

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