届かない社会の絶望、安倍元首相銃撃は「30年越しの時限爆弾」 作家・吉村萬壱さんが最新作でえぐった〝誰も責任を取らない社会〟

作家の吉村萬壱さんが安倍元首相銃撃事件と日本の社会について語った=8月24日午後、大阪府貝塚市

 日本を揺るがせた安倍晋三元首相銃撃事件。凄惨な殺人事件というだけでなく、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)を巡る被害や、教団と政治家の関係が明るみに出る契機となり、社会に多くの問いを投げかける。人間の欲望や社会の矛盾を鋭く洞察してきた作家の吉村萬壱さんは「この事件の深いところには、政治に対する『届かなさ』がある気がしてしょうがない」と、問題を長年放置してきた政治や社会の責任を指摘する。最新の小説「CF」(徳間書店)で責任とは何かを問い、新興宗教にも関心を寄せる吉村さんに、事件への思いを聞いた。(共同通信=井上詞子、森原龍介)

 ▽届かない言葉、消えない情念

 

CF表紙

吉村さんは現実社会と少しずれた奇妙な世界で生きる人々の姿を描き、人間の生の根源をえぐり出す。「CF」は現在の日本を思わせる社会を舞台に、あらゆる責任を「無化」する仕組みを開発した企業を巡る群像劇で、無責任な社会に憤る若者がテロを企てる様子も描かれる。6月の刊行後まもなく銃撃事件が起きたことから、その予見性にも注目が集まる。

 「安倍政権をずっと見ていて、責任を取らへんなっていうのがすごくあった。何とか作品化できないかと思った」と吉村さん。安倍晋三元首相は「美しい国づくり」など耳当たりの良い言葉を多用する一方、森友、加計問題や「桜を見る会」問題を国会で追及されると、虚偽答弁を繰り返した。「きれいなことを言うけど内実がない。言葉が実態のないものにされていく過程を見せられ、われわれ国民の中で『自分たちの訴えは絶対に政府の中枢には届かない』という諦めのようなものが積み重なってきた。無力感を醸成してきた政権だったと思う」と振り返る。

2019年4月、「桜を見る会」であいさつする安倍首相=東京・新宿御苑

 積み重なったのは諦めだけではない。吉村さんは事件の背景に「政治に対する憤りや情念」があるとみている。「政治の空洞化が分かってしまっても情念は消えないので、どこかで爆発せざるを得ない。今回の事件は旧統一教会に関係して安倍元首相が銃撃された形だけど、もっと深いところに、政治に対しての届かなさ、『言葉が聞いてもらえない』ということが分かってしまった結果がある気がしてしょうがない」

街頭演説に臨む安倍元首相と、背後に立つ山上徹也容疑者(右から2人目)=7月8日、奈良市

 ▽爆発の素地はできていた

 吉村さんは銃撃事件を、旧統一教会を巡る問題を放置してきたことによる「時限爆弾のようなもの」と表現する。1992年に行われた統一教会による合同結婚式を機に、教団による霊感商法などの問題が一時期盛んに報じられたが、被害救済や法整備はほとんど手つかずのままで約30年が過ぎた。

 殺人容疑で逮捕された山上徹也容疑者は、母親が旧統一教会に多額の献金をした影響で家庭が困窮し、教団への恨みを募らせたとされる。「彼のように八方ふさがりの人はたくさんいる。(事件は)日本社会が彼らを放置し、追い詰め、政治も手を差し伸べなかったことへの暴発のような形。彼がやらなくても誰かがやっただろうし、相手が安倍元首相じゃなくても、何らかの形で30年の鬱積が爆発する素地は準備されていた」

送検のため奈良西署を出る山上徹也容疑者=7月10日

 問題が放置される一方、日本社会では盛んに「自己責任論」が取り沙汰されるようになった。「自分で選んだ信仰なんだから自分のせいでしょ、という自己責任論が一般の人たちに対してはある。ところが企業や政治では、責任が上の方に行くに従って曖昧になり、結局うやむやになる。自己責任論を負わされるのは末端の国民で、しかも、そのもっと下で被害者たちが苦しみの声を上げられずに埋没している」。だまされたら終わりで、誰も救ってくれない。そんな空気がまん延する中で銃撃事件が起き、被害者らが声を上げ始めた。

 ▽実態のないものを信じる動物

 吉村さんは今こそ被害救済や法整備が必要だと強調する一方、信仰心というものに複雑な思いを抱えてもいる。

 吉村さんは、親族と両親がある新宗教を信仰し、自身もその宗教を信じていた経験がある。大学進学で実家を離れ、宗教団体トップのスキャンダル報道に触れたことなどを機に吉村さんは信仰をやめたが、親族は亡くなるまで熱心に信じ続けた。「すごいお金もつぎ込んで、トップの写真集にうっとりしたりしていた。でも本当に一生懸命だった。その意味では魂の救いになっていたんだろうなと思う」。信じることは誰にも止められない。それが被害を広げる要因でもある。「周囲が愛情を持って『これはおかしい』と言い続けるしかない。一発逆転がない、息の長い闘いですね」

 吉村さんは宗教に関心を寄せ、繰り返し小説にも描いてきた。「ちょっと詐欺っぽい新興宗教というのが興味深くてしょうがない。人間は(実態が)ないものを信じてしまう特殊な動物。宗教も政治も根っこは全部同じだと思うんです。新興宗教を肯定するわけではなく、そこに捕まった人たちを観察して描きたい」

旧統一教会の友好団体「天宙平和連合」の国際会議で、安倍元首相を追悼する人たち=8月12日、ソウル(天宙平和連合提供・共同)

 ▽「どうしたら」の問いに答えられるか

 山上容疑者が旧統一教会への恨みを安倍氏に向けたことには、動機として「論理的飛躍がある」と指摘する専門家もいる。だが、吉村さんは「彼の生い立ちから追い詰められていく過程をたどっていくと、起承転結が理解できる。彼には選択肢がなかった」と言う。容疑者は事件前にツイッターなどで思いを吐露していたが、「『届いていない』と思っていたんじゃないか。SNSで発信しても、誰かに訴えても、警察や役所、政治家に言っても聞いてもらえないだろうと。言葉の限界を感じていた」

 「彼は頭が良くて、立派な社会人になって幸せな家族がいる満ち足りた人生を何回も想像したと思うんです。でもそれが一つの教団のためになくなってしまったという喪失感。そして、それを誰も聞いてくれないという苦しみ、そういったものの中に彼は1人いた。その状況で『どうしたらいいですか』と問われた時に、誰が答えられるだろうか。そういう社会やと思うんですよ、今の日本は」

 追い詰められているのは山上容疑者や教団被害者だけではない。「派遣切りに遭ったりして、大卒でホームレスをしている若者もいる。それにこのコロナ禍で、仕事はないし、めっちゃ暑いし、金はないし、人生真っ暗という人たちがいる。彼らは『世界なんかぶっ壊れてしまえ』と思っているのではないか」。本来はそういう人たちに目配りするはずの政治が機能していないと、吉村さんは憤る。

記者会見する岸田首相。旧統一教会問題や安倍元首相の国葬について言及した=8月31日午後、首相官邸

 事件を機に、閣僚を含む多数の政治家と教団との関係が報じられ、岸田文雄首相が陳謝する事態になっている。「政治家は当選することしか考えていない。『選挙教』という一つのカルト教団のようなもので、倫理も何もない。それが今回のことで明らかになったと思う」

旧統一教会との関係について記者団の取材に答える自民党の萩生田政調会長=8月18日午後、東京・永田町の党本部

 「この社会は地獄だけど、この社会しかない。われわれが救われるためにも何か変えていかなあかん。それはやっぱり選挙で、本当に苦しい人たちを見てくれる政治家に一票を入れるということかなと思います。じっくりしつこく地道にやっていかなあかんなっていう感じですかね、もどかしいですけどね」。

 選挙も新興宗教もひとつの「熱狂」だと吉村さんは言う。パチンコ屋から出た瞬間に夜風に当たってわれに返った経験を笑って話し、「そういう熱狂に氷のように冷たい言葉を浴びせて冷やすのが自分の仕事かなと思っています」と力を込めた。 

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取材に応じる作家の吉村萬壱さん=8月24日午後、大阪府貝塚市

吉村萬壱(よしむら・まんいち)さん  1961年松山市生まれ、大阪府出身、在住。文学界新人賞を受けデビュー。「ハリガネムシ」で芥川賞、「臣女」で島清恋愛文学賞。著書に「ボラード病」「哲学の蠅」など。

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