芸人高岸の二刀流挑戦、独立Lの球場は観客があふれた 心を打つ「やればできる」の実行力

ルートインBCリーグ栃木に入団し、埼玉戦で初登板したお笑いコンビ「ティモンディ」する高岸宏行=8月14日、宇都宮市

 登場曲はSMAP「世界に一つだけの花」だった。野球のルートインBCリーグ、栃木に投手として入団したお笑いコンビ「ティモンディ」の高岸宏行が公式戦のマウンドに立った。食うか食われるかのプロの舞台に、29歳の人気芸人が夢を追って飛び込む。前例のない挑戦は共感を呼び、8月14日の栃木県総合運動公園は、独立リーグでは類を見ない5千を超す観客が長蛇の列をなした。(共同通信=小林陽彦、敬称略)

 ▽猛暑のマウンドで熱投
 注目の立ち上がり。味方の失策などで背負ったピンチで、元楽天の片山博規を直球140キロで二ゴロ併殺打に封じたまでは良かった。だが、力が入るほどに歯車が狂うのが投球の繊細なところ。次打者への初球は大きくバウンドし、捕手が後ろにそらす暴投となって先制点を許す。二回は先頭打者に直球を本塁打された後、投球フォームのバランスを保てなくなり四球を連発した。
 

力投する高岸

 それでも守る野手に「すみません!」と、客席まで届く声量で謝りながら2回を被安打3、5四球の3失点で投げ切った。猛暑のマウンドに汗をしたたらせ、フォークボールとスライダーを交えた52球の熱投だった。降板後は「予想通りに行かなかったことは全部ですよ。ただ、それでもプランをA、B、Cと変えていって。どんな時でも前向きに行くのがスポーツの大事なところだと思う」と胸中を明かした。

 ▽多忙を極める「二刀流」
 愛媛の強豪、済美高で速球派として鳴らした。東洋大時代に右肘を故障して一度はグラブを置いたが、芸人となり始球式などで披露したスピードボールが注目を集めた。今回、栃木から届いたトライアウト受験の誘いに「ぜひ受けたい」と即答。そこでの投球が認められ、入団を勝ち取った。
 かつて夢見た野球のプロとはいえ、芸人との“二刀流”は困難を極める。今年はNHK大河ドラマに出演するなど、俳優としても活躍。多忙な合間を縫い、週に2、3回は練習や試合に参加できるよう、球団とマネージャーが予定を組んだ。デーゲームの日には朝6時台に東京都内を出発。片道2時間強の遠路を車で走り、日帰りで仕事に直行する日も少なくない。

 成瀬善久選手兼投手総合コーチの提案で、合流日には野手との連係やサインプレーの練習を詰め込んだ。自宅や仕事場でできるトレーニングのメニューも提供され、所属事務所担当マネージャーによれば「楽屋ではいつもチューブを使って臀部や下半身のトレーニングをしている」。入団から約3週間の初登板に向け、できる限りは尽くした。

試合中の円陣、左端が成瀬コーチ

 
 ただ、投手の調整はブルペン投球を十分に重ねた後、打撃投手や試合形式での登板と、ステップを踏んで実戦へと向かうのが通常。独立リーグは日本野球機構(NPB)入りを狙う若者や、第一線への復帰を目指す選手がしのぎを削る場として発展し、毎秋のドラフト会議での指名も年々増えている。経験の浅い投手が容易に抑えられる舞台ではない。グラウンドでの時間が限られた高岸の登板はもう少し後になることも予想された。
 その中でゴーサインを出した理由を、成瀬コーチは「それで失敗してもいいと思っている」と語っていた。あくまでコンディションが整うこと、と前置きした上で「できなくていい。ミスしてもいい。最初からできる人なんていないんだから。失敗を胸に刻んで、何で失敗したかを学んでくれたら成長のチャンスになる。それは若い子たちにも言っていること」。成瀬コーチ自身はドラフト6位の入団からロッテのエースに駆け上がり、北京五輪で日の丸も背負った。たたき上げの栄光が挫折からスタートすることを、高岸の挑戦から感じて欲しいとの期待があった。

 ▽川崎宗則も感動した高岸のひと言

初登板後のヒーローインタビュー

 栃木打線の奮起で黒星を免れた高岸は、試合後のヒーローインタビューに呼ばれ「両チーム優勝です!!」と引き分けた試合を明るく総括した。テレビカメラ8台に囲まれた取材に「現時点での100%を出し切れた。(自己採点は)5億点満点です!」と終始笑顔で応えていたが、勝負に挑んだ人間に悔しさがないはずがない。降板直後のロッカールームでは、成瀬コーチの話に真剣な表情で耳を傾けていた。
 寺内崇幸監督は「今日はどう見ても緊張と、しっかり見せてやろうという気持ちが先行していた。難しいところがあったと思う」と思いやった。「ただ、自分はこうして行くという姿勢が見えた。直球を打者に向かってしっかり投げきっていた。もっとストライクゾーンで勝負できるように準備をさせたい。今よりは確実にレベルアップできる」
 高岸のがむしゃらな投球に、メッセージを感じ取った人間は他にもいる。球場入り口で販売された高岸グッズには試合中も人だかりが消えず、済美高の校歌にもある決めぜりふ「やればできる」の文字入りタオルは即座に完売した。反響は想像以上だったようで、球団広報は「ここまで入るのは村田修一選手(現巨人コーチ)の引退試合以来では」と慌ただしく走り回っていた。

マウンドで川崎宗則(左)と話す高岸

 ソフトバンクや米大リーグでも活躍した川崎宗則は、この試合で三塁を守った。右投手の高岸の表情が一番よく見える守備位置で熱投を見守り「いい顔をしていた。高岸君、こんな男前だったんだと。僕もいろんなことを思い出しましたね。もう一回、自分たちも挑戦する気持ちを忘れちゃいけないなと。彼からたくさんのことを学んだ日でした」と挑戦に敬意を表した。
 試合中は声を張り上げ続けている川崎でも、高岸が本塁打された打者に歩み寄って拍手した場面には驚かされたという。「『ナイスホームラン』って言っていましたよ。素晴らしいよね。相手をリスペクトする気持ち。勝負の世界ではあるけれど、相手を褒めることは必要で、これが薄れてきている野球界だと思う。感動したひと言だった」。たった2イニング。凡庸な結果に終わった投球が残したものは確かにあった。

 ▽やればできる
 

試合後、笑顔で手を振る高岸

 芸人との両立を成功させるための過酷な挑戦は続く。草野球にとどめておけば間違いなくヒーローだろう。それでも泥くささもいとわない高岸の投球が、「やればできる」の決めぜりふが、独立リーグから狭き門の夢を追う男たちの心に訴えかける。

 「自分の中で成長できるポイントがたくさん出てきた。これは自分自身も改善するのが楽しみですし、次に向けて準備していく。それだけですね」

試合後、笑顔で取材に応じた

 他人を応援することが芸風でもある男は、どこまでも前向きだ。
  その後、高岸は2度のリリーフ登板でともに1回無失点と好結果を残した。オンリーワンの人生に限界を設けない大切さを、高岸の挑戦が教えてくれた。

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