愛生園「解剖録」10月にも公開 死亡男性の遺族、生きた証しに

長島愛生園で開示された解剖録を見る木村真三さん(右)と山本典良園長

 瀬戸内市の国立ハンセン病療養所・長島愛生園に残っていた入所者約1800人分の「解剖録」のうち、1941年に亡くなった男性1人の記録の写しが同園歴史館で10月上旬にも展示されることが2日、分かった。同園から開示を受けた遺族が「生きた証しを残すとともに、全国の療養所で同様の資料が適切に保管・活用されるきっかけになれば」と企画。関係者によると、全国13カ所の国立療養所で解剖記録が一般公開されるのは初めてとみられる。

 遺族は独協医科大准教授の木村真三さん(55)。祖父の兄に当たる愛媛県出身の木村仙太郎さん(1886年生まれ)が1939年に愛生園に入所し、そのまま園で亡くなった。

 仙太郎さんの解剖録は、当時の医師が5枚の用紙(各縦33センチ、横22センチ)につづったもの。死因とされる結核に冒された肺の様子などを、スケッチを交えながらドイツ語と日本語で詳細に記録している。

 仙太郎さんの存在は、ハンセン病への強い偏見・差別から親族の間でも隠されてきたという。その足跡をたどるドキュメンタリー映画(2019年)と現在製作中の続編を通じて真三さんは愛生園での生活状況を知りたいと思い、解剖録を含む資料を情報公開請求。遺族であることを理由に今月1、2日に開示され、写しも受け取った。

 真三さんは山本典良園長に園内にある歴史館で展示することを提案し了承を得た。10月7日から来年3月末までを予定している。解剖録、診療記録、死亡診断書の写しをはじめ、仙太郎さんの生涯をまとめたパネルも作って並べる。

 仙太郎さんの映画の企画者でもある国立の重監房資料館(群馬県)学芸員の黒尾和久部長は「入所者一人一人の治療に関わる記録などは隔離政策の歴史を知る上で貴重だが、遺族が情報公開するケースはほとんどなく、展示も聞いたことがない」と説明。真三さんは「解剖録や診療記録は入所者たちがどう生きてきたかを知る上で大切な資料。社会的に関心が高まって保存・活用につながることを期待したい」と話す。

 ハンセン病療養所入所者の遺体解剖を巡っては、国の「ハンセン病問題に関する検証会議」が05年に報告書で「患者を研究対象物として扱い、遺体解剖はルーティン化していた」と指摘。20年以降、愛生園のほか、鹿児島県の星塚敬愛園で1081人分、瀬戸内市の邑久光明園で約1100人分の記録が見つかり、光明園では同意の有無など解剖の実態を調べ、正当性を検証している。

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