「あずきバー」井村屋の福井営業所アルバイトから上りつめた中島伸子社長、トンネル事故で消えた夢と生まれた信条

福井時代のエピソードも交え、井村屋グループの企業人として送った半生について語る中島伸子社長=9月1日、東京都港区の共同通信社

 アイス「あずきバー」で知られる食品メーカー井村屋(本社三重県津市)の中島伸子社長(69)が9月1日、東京の共同通信社で講演した。福井県の福井営業所でのアルバイト勤務を皮切りに正社員、役員へと出世を果たし、3年前にグループのトップに就いた話題の女性経営者。北陸トンネル事故で奇跡的に救出された過去が自分に対して厳しく生きる原点となり、「私の人生は犠牲者への恩返し」と語った。

 中島社長は新潟県に生まれ、父の転勤で福井県立藤島高校時代から福井暮らし。19歳の1972年11月、北陸トンネル火災事故に遭遇、九死に一生を得たが半年入院。煙で声帯を痛め、夢だった高校教師への道も閉ざされる辛い日々を送った。

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 その後、井村屋の福井営業所にアルバイト就職、仕事ぶりが認められ正社員に。3人の育児をしながら次第に頭角を現し、北陸や関東の支店長、グループ役員を歴任し、2019年に代表取締役社長に就いた。

 「地域から全国へ・世界へ」と題した講演では、主力のあずきバーなどのアイスが米国、中国など海外で大ヒットしている現状や、日本の伝統食である赤飯を後世に伝える食育の展開、女性管理職の積極採用など井村屋グループの経営戦略や独自の取り組みを解説。女性として組織幹部となる上での悩み、創業者や上司の厳しい指導など、人間味のある逸話を紹介しながら、「トンネル事故で助かった分、自分にしかないプラス1の生き方―が私の信条」と話し、難局に立ち向かってきた姿勢を語った。

 福井時代の思い出では「福井には、型にはめる教育でない、先生の裁量に任せた教育の良さがある。働きたかった私は、子育てで本当に助けられた」とも話した。

 講演は共同通信社加盟の地方紙の東京支社長ら約80人が聴講した。

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