<南風>武士松村と薩摩示現流

 伝統武道空手の鍛錬用具は種々あるが、何と言っても巻藁(マチワラ)がその代表である。武道空手を志す者は日々マチワラを突いて拳骨(ティージクン)を鍛え打撃力を高める。物の本によると、マチワラは武士松村と尊称された松村宗昆(1800~92)が薩摩示現流と出合ったことにより生まれた物といわれる。

 数ある剣の流派の中でも、示現流は立木打ちの荒稽古で有名である。立木打ちとは、直径十数センチ、高さ2メートルほどの丸木を地面に垂直に埋め立てたものを、ゆすの棒で「チェーイ」と矢声を発しつつ、左右から打って打って打ちまくる稽古である。その稽古が終わった後は、木片が飛び散り、木と木が摩擦して焼け焦げた臭いが一面に漂うすごさだという。幕末に“人斬り”の異名が付いた中村半次郎の必殺の剣は立木打ちで培われたといわれる。

 さて、琉球国王の武術指南役を務め、空手道中興の祖と仰がれている松村宗昆は20歳代に王府の命により薩摩に上がった。示現流剣術を伊集院道場で学び、免許皆伝を受けた。彼の剣の強さは薩摩においても比類なきもので、書もよくし、文武両道に秀でた名人であった。薩摩人から琉球の宮本武蔵と呼ばれたという。武士松村は示現流独特の立木打ちからマチワラを考案したといわれる。

 武士松村の直弟子で、明治時代に空手を学校教育に取り入れさせ、近代空手道の父といわれる糸洲安恒は自宅裏庭の福木の大木にアダン葉の草履をくくりつけてマチワラとなし、毎日300回は突いた。彼が突く度に地面は振動し、福木の固い葉や実がぱらぱらと落ちてくるすごさだったという。糸洲は「ティージクン」を文字通り一撃必殺の豪拳に鍛え上げたのである。

 この示現流と空手の関係は、薩摩と琉球の交流の中でのごく少ない良き一面といえるだろう。

(澤田清、澤田英語学院会長 国連英検特A級)

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