「本格救済、まだ見えず」 カネミ油症・法施行10年で五島の被害者 未認定者や次世代、課題多く

左から 「本格的な救済はまだ見えない」と語る旭梶山さん=五島市玉之浦町 「とにかく次世代の救済を」と求める岩村さん=五島市奈留町

 カネミ油症被害者の救済法が2012年に施行されて5日で10年。健康被害に苦しむ人々が数多くいる一方、いまだに油症認定の基準は厳しく、医療補償も十分ではない。長崎県内で最も被害が広まった五島市の被害者2人に法施行後を振り返ってもらい、山積する課題について聞いた。
 カネミ油症被害者五島市の会会長の旭梶山英臣さん(71)=玉之浦町=は「多くが高齢になったが、本格的な救済は見えない。国や(原因企業の)カネミ倉庫に粘り強く訴えていくしかない」と語る。
 1968年の油症事件発覚から54年。ダイオキシン汚染の食用油を経口摂取した「第一世代」は高齢化が進む。同法では、施策の実施状況を検証するため、国とカネミ倉庫、被害者による3者協議が設置された。だが「議論は遅々として進まない」。救済策の議論をけん引すべき国が消極的姿勢である点が要因として挙げられる。「国は仲裁、助言する立場でいてほしいが、立ち位置がどうもはっきりしない」
 施行から3年後をめどに施策を再検討することが規定されていたが、改善点は健康相談員の配置などにとどまるという。また、事件当時一緒に食事をした家族の中に認定患者がいた場合、患者以外の家族も一定の条件を満たせば同居認定とするよう要件が緩和された。だが-。「対象者は当時約700人とされたが、現在の同居認定は約340人。一緒に頑張ってきた仲間も年齢を重ね、毎年亡くなっている」。被害に遭いながら未認定のままの人々もまだ多い。本格救済の道筋はまだ見えてこない。
 五島市の会副会長の岩村定子さん(73)=奈留町=は、19歳のころ汚染油を使った料理を食べ、目まいや背中の吹き出物に悩まされた。23歳で結婚。24歳の誕生日に出産した長男は、4カ月後に亡くなった。ダイオキシン類は母親の胎盤や母乳を通じ、子に移行する可能性が指摘されている。
 「忘れようにも忘れられない」。だから特に「第一世代」の子や孫ら次世代の救済実現への思いは強い。「国に女性の視点があれば、被害を受けた母親の、子を心配する気持ちに寄り添ってくれるはずなのに」
 今、次世代被害者に対する救済策はない。助けを求める当事者の声もなかなか表に出てこない。だからこそ、せめて申請手続きのみで油症認定するなど障壁の少ない救済策を望む。全国油症治療研究班(事務局・九州大)が昨年開始した子や孫への影響調査にも大きな期待を寄せている。
 「お金の問題ではない。ただ油症被害の可能性がある子や孫世代が安心して医療を受けられるようにしてほしいだけなんです」


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