親近感あふれるメガネさん、大江千里
突然だがメガネの話を――
かけたらその一瞬で、驚くほど世界が変わる。ぼやけていた景色がはっきり見えて安心するのだけど、見えないほうがよかったなぁ…… などと思うこともある。
大江千里は見た目も作る歌も、そんな “レンズ越しの切なさ” を感じる人だ。こんなに人の良さそうで、親近感のあるメガネはなかなかいない。ドラマや小説で必ずいる、やさしい “友達以上”。弱気で控えめだが、実は主役の彼よりもちゃんとヒロインを見てくれているような “かけがえのない存在”。
でも、そんな人こそ普段は溢れ出る涙をグッと隠しているのではないだろうか…… というメランコリーな想像が、彼の個性と歌を観ていると湧き上がり、「感動する」というより「滲みてくる」。
大江千里のアルバム『1234』に収録された「Rain」(1988年)はその最たる一曲だ。シングル曲ではないが、発売から34年経った今も愛され、様々なアーティストに歌い継がれている。まさに雨のように多くの人の心に降り続ける名曲だ。そして私もこの歌を愛しているひとり。聴いては目頭を押さえるひとり!
15分でできた名曲「Rain」
路地裏では朝が早いから
今のうちに君をつかまえ
行かないで 行かないで そう言うよ
「路地裏では朝が早いから」―― あまりにも美しい焦燥感ある表現にクラクラ来る!
8月12日、彼がマンスリーDJを務める深夜放送の『α-STATION「DIGGIN’ THE SENRI OE」』(エフエム京都)で、この歌の誕生秘話が語られていた。
なんと調布のあたりの小さな駅のロータリーを歩いてるとき「このロータリーで別れてしまうカップルを書こう」と思いつき、家に帰って15分で書き上げたという。
驚いたのでもう一度言う。あのドラマチックな名曲が、じゅじゅじゅ15分!
その、歌詞が浮かんだときの様子を、
「やばいやばい… 閉じ込めておこうと思って」
―― と語っていたのがなんとも大江千里らしい表現だと思った。歌詞を吹き込んだカセットテープが、まるで魔法の宝箱みたいだ。
1991年の大ヒットシングル「格好悪いふられ方」もこの「Rain」もそうだが、もう修復は難しいというときになってやっと世間体も何も放り出し、街中で恋人を抱きしめる主人公がリアル。この「ギリ間に合わなさ」が本当に切ないが、そこまで追い詰められないと動けない気持ち、すごく分かるよ……。
渡辺美里とのプラチナコンビ
大江千里のパッと明るい、季節でいうと初夏がとても似合う太陽のような笑顔と、滑舌の良い声、明るいメロディー。しかし彼の歌を聴いたあとは不思議とホロリとくる。
特に1980年~1990年代、渡辺美里とのタッグは “夢のもう少し先のほろ苦さ” を素晴らしく表現していて大好きだ。まさにプラチナコンビ。「すき」「夏が来た!」もいいけれど、私が繰り返し聴いたのは「10years」。2人が出す “同じ瞬間は二度と来ないから輝く” 尊さが重なり合い、とっても心地いい。
時の速さについていけずに
夢だけが両手からこぼれ落ちたよ
あれから10年も
この先10年も
行きづまり うずくまり かけずりまわり
渡辺美里が綴る、悩みもどかしさ募るこの歌詞を、大江千里のキラキラと不思議なもどかしさと明るさを含むメロディーが運ぶ。早すぎる時の流れや後悔「もしもあのときこうしていれば」も含めて人生の彩りだと思える。
最後「大切なものは何か 今もみつけられないよー……」と遠く遠くに伸ばすメロディで終わるのもいい。 その10年、わたしも同じ! と叫びたくなる!
大江千里の楽器は「笑顔」
大江千里は2008年にニューヨークへ渡り、現在は幼少の頃からの夢だったというジャズピアニストとして活躍している。ジャズピアニストとしてのデビューアルバム『Boys Mature Slow』を発売、新たな個人レーベル「PND Records」を立ち上げたのが2012年7月31日。今年で10yearsだ。
まさに行きづまり、かけずりまわり、誇りとワクワクに変えた10年間だったことが想像できる。ニューヨークのライブハウスで、帽子をちょこんとかぶり、背を丸めて演奏する映像は、クラシック映画の一場面のようで、本当にカッコ良かった。
2022年1月8日、『ニューズウィーク日本版』のコラム「ニューヨークの音が聴こえる」で、
職業は「生きること」。楽器は「笑顔」だ。
―― と書いている大江千里。
来年はデビュー40周年。ニコニコとやさしさ溢れる丸い眼鏡姿はそのまま。そこに映る景色を、これからも切なく温かく音に変えてくれるはず。楽しみだ。
カタリベ: 田中稲
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