トランスジェンダーと公表したら「人生がめちゃめちゃ楽しくなった」 女子野球クラブチーム監督、碇穂さんが悩んだ「普通」

ノック練習で球を打つ碇穂監督=6月、岐阜県関市

 愛知県一宮市に拠点を置く女子野球のクラブチーム「東海NEXUS」監督の碇穂さん(35)は昨春、心と体の性が異なるトランスジェンダーであることを公表した。日本スポーツ界は性の多様性への理解が未成熟で、国内の選手や元選手が性的少数者(LGBTQ)であることをカミングアウトした例は非常に少ない。不安交じりの異例の告白から早1年。今は「人生がめちゃめちゃ楽しくなった」と明るく笑う。(共同通信=鎌田理沙)

 ▽「碇という人間を信じてくれた」
 酷暑の中、チームは練習に励む。碇さんは声を張り上げてプレーを盛り上げ、練習の雰囲気は明るい。トレーニング中は選手に冗談交じりに話しかけたり、キャプテンの只埜榛奈選手らと真剣な顔でプレーの決まり事を確認したりと、意思疎通の場を多く設けているチームだ。

只埜キャプテンと談笑する碇監督(左)=8月、愛知県一宮市

 グラウンドを離れれば選手の悩み相談も受ける。碇さんは「性別ではなく、碇という人間を信じてくれた」と、周囲の理解に感謝していた。
 小学校で野球を始めて熱中した。捕手として活躍した埼玉栄高時代に日本代表に選出され、流経大から2009年に女子プロ野球の1期生に。京都、大阪などでプレーし引退。プロチーム監督を経て、2020年の立ち上げ当時から今のクラブチームを率いている。
 幼少期から好きな洋服や遊びが、周りの男の子と一緒だった。色は青色が好きで、心の性が男性であると自覚したのは高校時代。他校の女子選手同士が交際している話を聞いて「そういうこともあるんだ」と驚いた。
 当時は性的少数者について知識が十分に広まっていなかったが、その存在を知り、自分の感覚と一致する納得感があった。

捕手練習でボール出しをする碇監督(左)

 ▽競技をやめないといけない、という固定概念
 ただ、競技を続ける上では悩みがつきまとった。「自分みたいな人は野球をやめないといけない、って固定概念があった。そういう人って結構いるんですよ」。才能がありながら誰にも性的少数者であることを打ち明けられず、競技から離れる選手を何人も見てきたからだ。当時を「隠しごとをしている気持ちだった」と振り返る。

 監督になる頃、昔からの親友に悩みを打ち明けると「なぜどちらかに絞らないといけないの」と言われ、はっとした。トランスジェンダーであることを告白した上で、堂々と大好きな野球を続けようと決めた。昨年4月、フェイスブックに自分の胸の内と、「美穂子」に代わる男性名「穂」を書き込むと、好意的な反響が寄せられた。

 ▽自由な女子野球の風土
 全日本女子野球連盟の山田博子会長は、碇監督の公表を歓迎した一人だ。本人から相談を受け「碇ちゃん、いいじゃない!」と、背中を押したという。山田会長は取材に対し「その人の人生で、心の性を公表する選択肢がある。それで生きやすくなってくれれば」と話した。競技の歴史がまだ浅く、自由な空気がある環境も大きかった。

選手とグータッチをする碇監督(左から2番目=6月、岐阜県多治見市)

 全日本女子野球連盟は現在、意図的に男性ホルモン治療を受けた選手は主催大会に出場できないルールを設けている。今後は、男性から女性に性別適合手術を受けた選手の扱いも含め、連盟全体で対応していく構えを示している。

 ▽日本スポーツ界とLGBTQ
 昨夏の東京五輪で、性的指向を公表した各競技の選手の参加人数は、専門メディアによると少なくとも合計186人。重量挙げでは女子のローレル・ハバード(ニュージーランド)が性別適合手術を受けたトランスジェンダー選手として初めて出場し、スポーツ界に一石を投じた。対して日本スポーツ界ではトランスジェンダーを含めた性的少数者のトップ選手の公表例はほとんどないのが現状だ。

東京五輪の重量挙げ女子87㌔超級で競技を終え、手を振るニュージーランドのローレル・ハバード=2021年8月

 日本では、戸籍上の性別を変更することは容易ではない。トランスジェンダーが戸籍上の性別を変更する手続きなどを定めた「性同一性障害特例法」では、2人以上の医師から性同一性障害と診断された上で次の5要件を全て満たさないと、性別の変更は認められない。5要件は(1)20歳以上(2)未婚(3)未成年の子がいない(4)生殖腺や生殖機能がない(5)別の性別の性器部分に似た外観がある―。
 碇さんにとって、ネックは性別適合手術が必要な(4)だ。競技のスケジュール上、手術を受けてチームから長期間離脱することは難しい。現在は男性ホルモンの治療にとどめているという。自身が置かれている現状をこう話した。「海外だったら手術を受けていなくても変更できるところもある。もう少しできることがあれば…と思うこともある」
 今後は、性的少数者の立場や自身の経験を講演などでも発信していく。「同じ境遇の方々に勇気を(持ってもらいたい)。『言っていいんだ』って思ってくれる人が一人でもいて、心が軽くなるんだったら」と晴れやかな表情で語った。

 ▽取材後記
 取材の途中、碇さんがぼそっと言いました。「例えば、女性だからっていちいち何か気にしないじゃないですか、でも自分たちって考えちゃうんですよね。普通に生きている方の感覚が分からないので。(性的少数者でない人たちは)どれだけ自分の性に対して『無』なんだろうって思います。普通って何なんでしょうね」

選手と話す碇監督

 普通ってなんでしょうか。性自認と生まれ持った性別が一致していると認識している筆者も、考えることはあります。たとえば、女性アイドルを応援する趣味について「男の子みたいだね」と言われることには、昔から違和感がありました。「ファンの間では普通なのにな」と思っていました。握手会の会場に行けば、男性ファンよりは少なくても、数え切れないほどの女性ファンが列に並んでいる姿を見ることができます。
 女性だからと、らしい振る舞いを画一的に求められる、漠然としたイメージに当てはめられる固苦しさを、私たちは知っているはずです。
 「性のあり方はグラデーション」とは言い得て妙だと実感します。身体の性、心の性、好きになる性、表現する性は人それぞれ、ばらばらで微妙な色彩をまとっていると感じます。だからこそ、自分の心の持ちように名前が付くとなんだか安心し、納得することもできます。
 女性でボーイッシュな恰好をするのが好き、男性で女性向けの化粧品を集めるが好き、同性のアイドルが好き…人それぞれ、小さいことから、さまざまな心模様があると思います。まずは自分の心の中を理解することで、隣に座っているだれか他人のことも、もう少し知ることができるかもしれないと思いました。
 民間の調査等を平均すると、日本のLGBT等性的少数者の割合は、全人口の約5~8%程度と言われています。身近に「いない」のではなく、自分が見えていないだけかもしれません。今の時代、人が置かれている状況に想像力を働かせていくことが求められていると感じます。「目の解像度を上げる」と言えばいいのでしょうか。取材中、無意識に普通という言葉が何度も口をついて出そうになった自分へ戒めの意味も込め、考えようと思います。

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