歴代ホンダ・シビック一気乗り! シビック誕生から50年、人気車のルーツを探る

 ホンダはシビック誕生50周年を記念し、『歴代CIVIC一気乗り取材会』を開いた。モビリティリゾートもてぎの北ショートコースで待ち構えていたのは、10代目と最新の11代目を除く、初代から9代目までの9台。ホンダコレクションホールが所蔵する貴重な個体だ。

 熟練のメカニックが手を掛けてコンディションを維持しているため、いまでも動く。つまり、動態保存だ。残念ながら、心待ちにしていた初代(1975年式RS)は車両トラブルにより走行を見合わせることになったため、見学のみとなった。それでも、実車の魅力は存分に味わうことができた。

誕生50周年を迎えたホンダ・シビック

 というわけで、実際に動かしたもっとも古いシビックは2代目(1981年式カントリー)だった。筆者にとっては懐かしい、フェンダーミラーが付いている。

 現在の技術を軸に評価すれば、ステアリングは重いし(パワステは当然、装備していない。だから、ステアリングホイールの径がバカでかい)、パワーウインドウだってついていない。

 小さなクルマなのに室内が思ったより広々としているのは、衝突安全性に対する考え方と法規が現在とは異なるため、ドアが薄いからだ。

2代目シビック(1981年式カントリー)

「なんで、窓全開なんだろう」と感じて窓を巻き上げようとしたが、空調操作パネルを見て合点がいった。エアコンがオンになっていない。天井で扇風機が回っている電車が現役だった時代だ。当時はエアコンが付いていない(オプションで設定されていても選択していない)クルマがめずらしくなかったのを思い出した。

 現在のクルマに当たり前の快適装備のほとんどは、2代目シビックには付いていない。でも、長いシフトレバーを動かし、重たいハンドルを回して(いったん、動き出してしまえば後は楽だ)、“コーナーは時速30キロ、直線は時速50キロ”の制限を守って北ショートコースを周回していると、自然と頬が緩む。

 窓から入ってくる風に頬をなでられたのが原因ではない。楽しいのだ。クルマを構成するメカが原始的だからこそ、機械を操っている感覚が濃密。初めてクルマを運転したときの感動がよみがえるようだ。

3代目シビック(4ドアセダン/1985年式)

“ワンダーシビック”と呼んだほうが、通りはいいだろうか。北ショートコースに用意されていた3代目シビックが、斬新なスタイリングで脚光を浴びたハッチバックではなく4ドアセダン(1985年式)だったのは、所蔵するハッチバックが1台しかないからだ。

 そのハッチバック(1984年式、25i)はホンダコレクションホールの屋外に展示していたため、試乗車として用意したのは4ドアになった由。ドアミラーの内側に角度調節用のレバーが突き出しているのが懐かしい。
 
 やはり、パワーウインドウは付いていなかったが、エアコンは付いていた(オフで走った)。ボンネットが低く、ウエストラインも低くて、見晴らしがいいのが、この頃のホンダ車の特徴だった。インパネはトレー状になっており、奥の高い位置に空調ルーバーが並んでいる。

 取材会が開催された8月25日から、ホンダコレクションホールでは『What a wonderful world 〜CIVIC開発物語〜』と題した企画展が始まった(10月26日まで)。

 企画展名から推察できるかもしれないが、What a wonderful world(この素晴らしき世界)はジャズ界のレジェンド、ルイ・アームストロングが残した曲である。

 ホンダは3代目“ワンダーシビック”のテレビCMにこの名曲を採用。印象的な映像と相まって3代目シビック(ハッチバック)の斬新なフォルムを人々の脳裏に刻み込んだ。

歴代開発責任者も交えて、ジャーナリストたちに歴代シビックの開発ストーリーを説明する。

 企画展の題材に3代目ワンダーシビックを選んだのは、「11代目シビックの開発に大きな影響を与えたのが、3代目ワンダーシビックだから」と、会場で流れるビデオは説明する。「さまざまな常識をくつがえし、世界の人々に驚きと感動を与えた開発者の姿があった」と。

 3代目シビックの開発責任者を務めた伊藤博之氏は(初代から6代目までの開発に携わった)、「機能は機能で大事なのですが、お客さんが(シビックを見て)「あ、これはいいね」「新しいね」と思ってくれないと。(だから)僕はデザインが大事だと思う」とビデオの中で説明した。

「デザインの本来の意味は(スタイリングではなく)設計。いわゆるデザイナーだけではなく、開発にかかわる全員がそこに描かれた未来予想図に心をゆさぶられた」

 会場には、アメリカ人デザイナーが描いた当時のデザインスケッチが展示されている。それが、未来予想図だ。当時のハッチバック車はルーフ後端がなだらかに傾斜するのが一般的だったが、ワンダーシビックはルーフをリヤまでほぼ一直線に伸ばし、後端でスパッと裁ち落とした。

「斬新なフォルムに目を奪われがちだが、ひとつひとつの形すべてに機能性が合体されていた。だからこそパーツの細部までこだわり抜き、情熱と苦闘を重ねながら、未来予想図をひとつひとつ具現化していった」とビデオは説明する。

 開発責任者の伊藤さんは取材会の当日、会場で取材陣の質問に答えてくれた。創業者の本田宗一郎氏(1906-1991年)は初代のときほど設計に口出しをすることはなかったというが、それまでに充分薫陶は受けており、教えは伊藤さんの身に染みついていた。

「オヤジは『いいクルマを作れ』としか言いませんでした。『いいクルマ』ならいいんだと。オヤジはお金(予算)のことはひと言も言わなくて、『いいクルマを作れ』としか言わなかった。それと、『なんでそんな知恵しかねえんだ』と。『知恵なんかいくらでもあるだろう。知恵はタダなんだから。もっと考えろ』と。それしか言わない。いいクルマを作れば、(車両価格が)高い、安いにかかわらず、ドンと上がる(売れる)。3代目シビックはある意味、そういうことを成し得た、軌道に乗せたというのが私のイメージです」

3代目CIVIC開発責任者の伊藤博之氏

 時代進化による技術の進化も大きいが、北ショートコースで歴代シビックを試乗してみると、4代目、5代目、6代目と代を重ねるごとに、「いいクルマ」になっていることは再確認できた。だがいっぽうで、「驚きと感動は?」と問われると、首をかしげざるを得ないのが正直なところだ。いいプロダクトであることは間違いないのだが……。

通称「グランドシビック」と呼ばれた4代目シビック
通称「スポーツシビック」こと、5代目シビック(EG型)
5代目CIVIC開発責任者の鈴木健三氏(左)と、車体開発責任者の前川泰久氏

 そう思っているところに、「サプライズです」の声が挙がり、チャンピオンシップホワイトのボディカラーをまとった新型シビック・タイプRがコースに飛び出してきた。

 歴代シビック一気乗りと当時の開発者の回顧(5代目の解説もあった)は、タイプRの走りを見せて「驚きと感動」を与えるための壮大な前フリだった?と勘ぐりたくなる(だとすると、まんまとハマった口である)。

ホンダ・シビック・タイプR

 最新のタイプRは、コーナーは時速30キロ、直線は50キロの縛りにとらわれず(当然だ)、ときにスキール音を響かせながら、軽やかな身のこなしと絵になる旋回姿勢を見せつけて、北ショートコースをスイスイと周回した。3代目シビック開発責任者の伊藤さんが言った、「デザインが大事」「いいクルマを作れば、高い、安いにかかわらず」の言葉が脳裏を駆け巡った。

8代目シビック 
9代目シビック

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