【マツダ】日産や三菱自のように「外資に侵略されなかった」理由

マツダを代表するスポーツカー「ロードスター」(同社ホームページより)

寝転びながら観戦できる「寝ソベリア」、バーベキューができる「びっくりテラス」や「パーティグリル」、100種類を超えるメニューをそろえたフードサービスといった常識を覆す新施設を備える「MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島(マツダスタジアム)」。実はこの革新的な球場はM&Aの「遺産」である。今回は「買われた側」の物語だ。国内大企業が初めて海外企業の傘下に入り、日本を震撼(しんかん)させた米フォード・モーターによるマツダ<7261>支配を振り返る。

MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島はM&Aの置き土産だ

なぜマツダはフォードの傘下に入ったか

1996年4月、フォードはマツダへの出資比率を従来の25%から33.4%に引き上げると同時に、ヘンリー・ウォレス社長をはじめ主要役員を派遣して実質的な経営支配に入った。国内第5位の自動車メーカーに「青い目の社長」が誕生し、マスメディアは「黒船襲来」と大きく取り上げた。

マツダがフォードの傘下に入った理由は経営危機だ。新車生産台数はバブル景気でピークを迎えた1990年の142万2626台から、1995年には77万1450台とほぼ半減していた。マツダは1988年にスタートした5年間の中期経営計画「MI(マツダ・イノベーション)」で、販売チャンネルを3系統から5系統に拡大。販売店数も約1500店舗から約2700店舗へと大幅に増やした。

ところが新車開発が追いつかず、エンブレムを変えただけの「兄弟車」が急増。日産自動車<7201>の「シーマ」に刺激されて高級車路線に走ったものの、売上が伸び悩んだ。その結果「兄弟車」同士のセールス合戦で大幅な値引き販売が当たり前となり、高コストの高級車の在庫が積み上がるなどして、業績が急速に悪化した。

今にしてみれば「バブルに踊り、無謀な拡大策に打って出た大失策」に見えるが、マツダが拡大策に出たのには理由がある。実はバブル景気前の「円高不況」で、通商産業省(現・経済産業省)から国内自動車メーカーに再編圧力がかかったのだ。

1985年1月に1ドル=250円程度だった為替操作が、1987年には同150円を突破。2年間で100円もの円高ドル安に直面した。輸出産業の自動車業界でも海外市場での苦戦が予想され、通産省は「(当時)世界最大の自動車市場である米国ですら3社しかない。日本はトヨタ自動車<7203>と、もう1社あればよい」との見方が根強かったのだ。

マツダは通産省OBの古田徳昌氏を社長として受け入れて通産省からの圧力を回避する。同時に生産車種を拡大し、単独でも国際競争に勝てることを証明して不本意な合併を避ける策に出た。

1990年代前半も円高は進んだものの、「強い円」で内需が好調に。国内向けの高級車市場が活況を呈するなど、国内販売で自動車メーカー各社は潤った。

しかし、1990年代半ばにはバブル景気が失速。マツダの業績も急降下し、1979年から資本関係があったフォードからの増資を受け入れ、経営再建に乗り出すことになったのである。


なぜフォードを受け入れたのか?

当初はマツダや系列会社、マスメディアなどから警戒されたフォード経営だが、始まってみればメリットが目立った。先ずは経営方針が論理的で明確になったこと。フォード出身の初代社長となったウォレス氏は、拡大した車種を整理して小型乗用車の「ファミリア」、中型乗用車の「カペラ」、商用車の「ボンゴ」の3車種に経営資源を集中する方針を明らかにした。

系列会社はこれを歓迎した。多品種少量の部品生産では、手間暇がかかる割に量産効果が出ないためコスト削減が難しい。部品の種類が少なくなれば設備投資も抑えられ、量産化でコストを下げる余地も出てくる。

かつての日本人経営者が親会社風を吹かせ命令口調で指示したのに対して、フォード出身の経営者は系列会社の社員にも丁寧に対応し「皆さんはマツダの大切なパートナーだ」と対等な関係をアピールしたことも系列会社を驚かせ、そして歓迎ムードを巻き起こした。

マスメディアも「黒船」の評価を一転。「欧米式経営がバブル崩壊で停滞した日本企業を変える」と喧伝した。これが後に仏ルノーによる日産自動車、独ダイムラー・クライスラーによる三菱自動車<7211>の経営支配を好意的に受け入れる社会的な「土壌」となった。

次に柔軟な経営判断。車種を絞り込む戦略を掲げたウォレス社長の反対を押し切り、マツダが開発を進めていた大衆車の「デミオ」の発売に踏み切る。これが久々のヒット車となり、マツダの業績を押し上げた。

この成功事例がフォード側に評価され、マツダ側の要請が受け入れられるようになる。ウォレス社長は否定的だったロータリーエンジン(RE)車の生産継続も、マツダ社内からの強い働きかけで後任のジェームズ・ミラー社長が新型RE車「RX-8」の開発を決めた。

マツダ社員や販売店からの強い要請でフォードが開発を認めたロータリーエンジン車「RX-8」

なぜマツダは「日産化」「三菱自化」しなかったのか?

その後、日産、三菱自と外国車メーカーによる日本車メーカーの経営支配が相次ぐ。だが、いずれも悲劇的な結末に終わっている。日産はカルロス・ゴーン氏が社長として経営再建に成功したが、ルノーとの経営統合を迫られた。ゴーン氏は不正報酬問題で逮捕され、経営の混乱が続いている。

日産の経営を混乱させたルノー出身のゴーン元会長(Photo By Reuters)

三菱自は「稼ぎ頭」だった商用車部門をダイムラーに切り出され、業績が回復しないまま一方的に資本関係を解消された。三菱自から分離した三菱ふそうトラック・バスは現在もダイムラーの子会社だ。

日産といえば系列解体で知られている。しかし、系列解体はマツダの方が早かった。ゴーン氏が日産にやって来る1年前の1998年、マツダは新調達戦略「BIC21」を実施した。これは部品をサプライヤーがある程度まとめた「モジュール」にしてマツダに納入させる取り組み。

部品の開発・設計・製造。品質までを手がける「フルサービスサプライヤー(FSS)」でなくては、モジュール化に対応できない。モジュール化の目的はコスト削減。系列にとらわれず、世界中から最も品質が良く、価格の安い部品を購入する「世界最適調達」を達成するための方策だった。

当然、小規模な部品メーカーが多いマツダの系列企業では対応ができない。日産は同様の調達政策を採り、系列は解体された。だが、マツダの系列は解体されなかった。理由はマツダの生産台数が少なく、FSSを引き受けてくれる大手部品メーカーが現れなかったからだ。

フォードの自動車部品部門から独立したビステオン・オートモーティブ・システムズ(後に経営破綻)ですら、採算が合わないとしてFSSに必要な広島工場の建設に踏み切れなかった。マツダの生産規模が小さかったため、日産のような系列解体を免れたのである。

三菱自の商用車部門のような国際競争力のある事業もなかった。「ない」ことによって、マツダはフォードに「食いつぶされなかった」のである。

2008年にリーマン・ショックが起こると、経営危機に陥ったフォードがマツダ株を手放し始め、2015年9月には資本関係を解消した。フォードの「台所事情」もあったが、マツダの生産規模が小さいことも資本関係解消を容易にした一因だったようだ。


マツダがフォードから得たもの

一方で、マツダがフォードから得たものはある。元々の強みだったデザインは、フォード出身の3代目社長で、後にフォードの最高経営責任者(CEO)となるマーク・フィールズ氏がブランド戦略の要と位置づけた。

統一性のあるデザインでブランドイメージを確立したマツダ(同社ホームページより)

ウォレス氏が「あらゆる消費者に訴求するクルマづくり」を目指したのに対し、フィールズ社長は「10人に1人が選んでくれる個性的なクルマづくり」に方向転換した。当時のマツダ車の国内シェアは約5%。10人に1人しか選んでくれなかったとしても、シェアは2倍になる。

デザイン優位のマツダのブランド戦略は成功し、新車販売は順調に伸びた。かつてマツダ車はマツダ販売店以外では下取り価格が低いため、ユーザーはマツダ車を書い続けなくてはならない「マツダ地獄」と揶揄された。

しかし、個性的なデザインで人気が出るとマツダ車の中古車価格も上昇し、「マツダ地獄」は解消される。RE車以外では「広島の自動車メーカー」と認知されていたマツダが、国内販売で全国区メーカーになったブランド戦略の功績は大きい。

「MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島」の「Zoom-Zoom」は英語の幼児語で自動車を意味する。日本語では「ブーブー」に当たる。その「Zoom-Zoom」をブランド戦略のスローガンにしたのが、フィールズ社長だ。

広島市民球場の新設移転でも、マツダに派遣されたフォード出身役員の支援もあった。導入された新機軸の多くは米メジャーの球場からヒントを得ている。米国ではプロ野球チームを所有するのはステータスであり、リストラのために送り込まれたウォレス氏ですらマツダが出資する広島カープの売却は念頭になかったという。日本の新球場の模範となっているマツダスタジアムもフォードとの「M&A遺産」なのだ。

この記事は企業の有価証券報告書などの公開資料、また各種報道などをもとにまとめています。

文:M&A Online編集部

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