東京オリンピックはコロナ禍の中、ほぼ無観客で開催した。1年たった今、みんなどう思っている? 居酒屋店主から金メダリストまで、写真と共に振り返る

東京五輪のメイン会場となった東京・国立競技場

 東京五輪は新型コロナウイルスの影響で1年延期を経て2021年夏、緊急事態宣言下で開催された。収束の見通しが立たず、大半の会場は無観客。開催の賛否を巡り国内世論は大きく揺れた。
 選手は感染対策で練習の制限を受けながらも奮闘したが、SNS上では代表辞退を求められることもあった。開幕後に東京都の新規感染者は急増し、終盤の8月5日には5000人を突破。熱戦の陰で医療現場はコロナ対応に追われた。祝祭感の乏しいまま閉幕した大会を、それぞれの立場から振り返る。(共同通信写真部取材班)

 ▽満席の会場で競技させてあげたかった
 五輪マークが描かれた陸上トラックや、選手のサインが書かれた壁…。東京五輪のメイン会場となった東京・国立競技場では、今年4月から一般向けのスタジアムツアーが行われた。「競技場を一目見たい」との声から始まった企画には、6月末までに27000人超が参加。岡山県の男性(43)は五輪で観戦するはずだった当選チケットの座席を確認し、「念願の場所に来られてうれしい。満席の会場で選手に競技させてあげたかったね」としみじみ話した。

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 ▽テレビ越しでも世界中に空手を伝えられた

空手の男子形で金メダルを獲得した喜友名諒選手

 「無観客だったのは残念だが、テレビ越しでも世界中に空手という競技を伝えられたと思う」。沖縄県勢初の金メダルを獲得した男子形の喜友名諒選手(32)は、演武時とは違った穏やかな表情で五輪を振り返った。2018年2月から無敗を続ける空手界の「キング」。この1年に世界選手権4連覇と全日本選手権10連覇を達成した。「一日一日稽古を重ねて技を研究し、空手の歴史を学んでいきたい」と向上心は尽きない=那覇市

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 ▽スケボーのイメージをちょっといい感じに

スケートボード女子ストリートで、日本史上最年少で金メダルに輝いた西矢椛選手

 世界で知らない人がいないくらいに有名に―。東京五輪のスケートボード女子ストリートで、日本史上最年少で金メダルに輝いた西矢椛選手(14)の大きな夢だった。同大会で初採用され、注目を集めた都市型スポーツ。五輪本番は無観客となったが、街角で声を掛けられることも増えた。「スケボーって悪そうなイメージがあるけど、ちょっといい感じに変えられて良かったなって」。競技の魅力をもっと知ってもらいたい=横浜市

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 ▽開催というIOCのメッセージは疑問だった

横浜労災病院の中森知毅医師

 横浜労災病院(横浜市)の中森知毅医師(58)は東京五輪の開催中、コロナ患者などの対応に追われ、繁忙を極めた。病院はサッカー競技会場に隣接。大会指定病院としての業務に加え、熱中症やけがなどの搬送者も増えていた。「人流を抑制するべき時、五輪開催というIOC(国際オリンピック委員会)のメッセージは非常に疑問だった」。コロナ禍という正念場に、五輪は新たな負荷を生むイベントにしか思えなかった。「開催を見送ってもよかったと思う。個人的には」

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 ▽医療に関わりながらパリ五輪でメダルを

看護師でボクサーの津端ありさ選手

 彼女の荒い息づかいが無観客の会場で響いた―。看護師でボクサーの津端ありさ選手(29)は東京五輪開会式に参加、コロナ禍の孤独と向き合うアスリートを演じた。開幕直前の五輪出場をかけた予選は感染拡大で中止に。失意を経験しながらも、コロナ禍で人の支えや日常のありがたみをより強く感じた。選手として出場はかなわなかったが、「こういう形で感謝を伝えられて頑張ってきたものは無駄じゃなかった」。次は選手として五輪へ。「夢はパリでメダルを取ること。医療に関わりながら成し遂げたい」=東京都千代田区

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 ▽寂しかったが、開催して良かった

長野市の玉井政道さん

 生で見たかった―。長野市の玉井政道さん(70)は悔しそうに「体操競技」と印字されたチケットを見つめた。間近で観戦するのを楽しみにしていたが結局、無観客開催に。それでも五輪を少しでも感じたいと開幕に合わせ東京へ向かった。ワクチン接種の上、マスクを二重にしての単独行動で外から会場を眺めた。各国の国旗がはためく目の前の施設で日本人が優勝したと聞くと、待ち焦がれた祭典の熱を肌で感じられる気がした。「寂しかったけど、(大会は)やって良かった」

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 ▽阿部一二三選手に勝つ、それだけだった

柔道男子の丸山城志郎選手

 柔道男子の丸山城志郎選手(28)は、東京五輪の延期にも全く動じなかった。「五輪があろうとなかろうと、(阿部一二三選手には)勝つ。ただそれだけだった」と振り返る。そして迎えた阿部選手との代表決定戦。24分もの大熱戦の末に敗れ、夢舞台への切符を逃した。東京五輪から1年。丸山選手は新たな決意を胸に稽古を続ける。「(パリ五輪で)勝ってみんなで喜び合って、うれし泣きがしたい」。支えてくれた周囲への恩返しを誓い、夢を追い続ける=奈良県天理市

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 ▽開催を反対する人がいても無理はない

大会組織委員会に出向した東京都職員の松本裕文さん

 開催是非を巡り世論が揺れる中、大会組織委員会にいる誰もが葛藤しながら仕事をしていた―。2014年から組織委に出向した東京都職員の松本裕文さん(51)もまた、その一人だ。2020年秋、コロナ感染者の増加に伴って宿泊療養施設へ応援に回り、「感染への不安が渦巻く中、開催を反対する人がいても無理はない」と肌で感じた。無観客開催となった大会から1年。春から都庁に戻り、「あの経験を糧に、もう一度スポーツの魅力を伝えたい」と国際大会の誘致などに励んでいる=東京都新宿区

 ▽アスリートとしての存在意義を模索した

フェンシング男子の三宅諒選手

 フェンシング男子の三宅諒選手(31)は五輪が延期された2年前、活動費を自力で捻出するため食事宅配サービスで配達のアルバイトをしていた。当時、国内外の大会は軒並み中止に。練習もまともにできず自宅の屋上で一人剣を握り気持ちを保った。代表入りは逃したが、コロナ禍で奮闘する選手の象徴になった。開催を巡って賛否が渦巻く中、「求められる選手像も変わり、アスリートとしての存在意義を模索した」と振り返る=東京都新宿区

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 ▽にぎわいっていう感覚はない

東京・渋谷で居酒屋を営む御厨浩一郎さん(左)

 「常連さんは7~8割戻ってきた。でもにぎわいっていう感覚はない」。東京・渋谷で居酒屋を営む御厨浩一郎さん=左=は、コロナ禍前と比べ街が寂しくなったと嘆く。演出家としての顔も持ち、都の休業要請で店を閉めた昨夏、五輪バスケットボール3人制の競技演出を請け負った。拝金主義の印象が付きまとう大会に違和感を抱いたという。「選手の一生懸命さとの乖離が気持ち悪い。シンプルで優しい、平和なものであってほしい」と五輪への期待を込めた。

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 ▽競技場の跡地、「海の森」で一般利用が始まった

「海の森水上競技場」(東京都江東区)でヨガをする人たち

 日曜日の朝、太陽の光と潮風を浴びながらヨガをする人たち。東京五輪でボート、カヌー・スプリント会場だった「海の森水上競技場」(東京都江東区)では、仮設の観客席などを撤去し、4月から一般利用が始まった。約308億円かけて2019年5月に完成した新設施設。都は競技大会や水上スポーツ体験会、ヨガ教室など幅広い活動を計画し、年間35万人の来場を目指す。

 ※写真・記事の内容は7月7日時点のものです。

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