ザ・ビートルズ『Revolver』スペシャル・エディション、プレスリリース訳

ザ・ビートルズが1966年に発表したアルバム『Revolver』がスペシャル・エディションとして2022年10月28日に世界同時発売されることが発表となった(*予約はこちら)。

この発売にあわせて公開された海外プレスリリースの日本語訳を掲載。

アルバム『Revolver』海外プレス・リリース

ザ・ビートルズが1966年に発表した『Revolver』はすべてを変えたと言える。堂々巡りを続けるポピュラー・ミュージックの軸を外し、実験的でアヴァンギャルドなサイケデリック・サウンドの活気ある時代を導き入れた。『Revolver』は、文化という海に変革をもたらし、ザ・ビートルズ自身のクリエイティヴ面での進化においても重要なターニング・ポイントとなった。ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターは、『Revolver』を携えて、新たな音楽の海へと揃って出帆した。

1965年12月に画期的なアルバム『Rubber Soul』をリリースし、その年のツアー日程をすべてこなした後、彼らは3本目のビートルズ映画となる予定だった『A Talent For Loving』の撮影をぎりぎりになってキャンセルした。このことが『Revolver』の製作に大きな影響を与えたと思われる。バンドのスケジュールから映画の撮影、サウンドトラックのレコーディングなどの予定が削除されたことで、彼らは『Revolver』のレコーディング・セッションの開始前に4か月の休暇を取ることができた。ジョン・レノンは、バンドがスタジオに入る数週間前にこう語っている。

「一つ言えることは、次のLPは今までとはかなり違ったものになるはずってこと」

1966年4月6日、ザ・ビートルズはEMIスタジオ(現在はアビイ・ロード・スタジオ)のスタジオ・スリーに集まり、『Revolver』のためのレコーディング・セッションを開始した。プロデューサーはジョージ・マーティン。エンジニアのジェフ・エメリックと技術エンジニアのケン・タウンゼントが脇を固めた。

Tomorrow Never Knows

彼らは「Tomorrow Never Knows」で開始すると、怒涛の如くセッションを進めていった。この曲ではジョンの不思議なヴォーカル(回転するレズリー・スピーカーにマイクを繋いで録音した)や、画期的なテープ・ループ(ポールが“あ、あ、あ、あ、”と言っている声の速度を上げて、カモメの甲高い声のように加工した)にリンゴの轟くようなドラム・パターン、ジョージのタンブーラのドローン、それに逆回転のギター・ソロなどを合わせた。この「Tomorrow Never Knows」は、ザ・ビートルズ、そしてポピュラー・ミュージックを新境地へと駆り立てた。

『Revolver』が1966年8月5日に発売される前のインタヴューでポールは、『NME』紙にこう語っている。

「ぼくたちがこれをやったのは、個人としては、みんなから“前に聴いたことがある”といつも言われるような音作りをすることにうんざりしていたからだ」

『Revolver』のスペシャル・エディションには、4月6日に行なわれたザ・ビートルズの「Tomorrow Never Knows」の最初のテイクと、正式なLPとして再度カットされる前に、少数のレコードにだけ使用されたモノラル・ミックスもフィーチャーしている。

Got To Get You Into My Life

翌日、ザ・ビートルズはスタジオ・スリーに戻り、「Tomorrow Never Knows」のレコーディングをほとんど終わらせて、「Got To Get You Into My Life」の最初のヴァージョンに取りかかった。スペシャル・エディションの“セッションズ・ワン”で聴けるように、この時にレコーディングしたものはリリースされたトラックとはかなり違うものとなっている。『Revolver』のスペシャル・エディションでは、この曲が最終的な形になる前の段階のヴァージョンをあと2つフィーチャーしている。リリースされずに終わったモノラル・ミックスと3本のトランペット、2本のテナー・サックスにハイライトを当てたスペシャル・ミックスである。

Love You To

ソングライティングをする上でジョージが大きく影響を受けた音を「Love You To」で聴くことができる。この前年、インド音楽に対する興味をより深めたジョージはシタールの弾き方を学び、その過程でラヴィ・シャンカールと出会った。以来、ラヴィはジョージの親しき友となり、時には音楽のコラボレーションをする仲になった。ザ・ビートルズは「Love You To」を4月11日にスタジオ・ツーでレコーディングを始めたが、その日はちょうど「From Me To You」がUKでリリースされてから3周年目にあたる日だった。

『Revolver』のアルバムの素晴らしさを鑑みて、これらの曲の間がわずか3年間しかないということは、バンドが短期間にクリエイティヴ的に驚くような速さで進化していったことを表している。ジョージはのちにこう語っている。

「この曲はシタールで書いた初めての曲のひとつだった。ベーシック・トラックにシタールとタブラを使うことを意識して書いたんだ」

ジョージのシタールとヴォーカル、ポールのタンブーラとヴォーカル・ハーモニー、そして大学生だったアニル・バグワットのタブラという編成で、曲の入り組んだアレンジはいくつかのテイクを経て形になっていった。オーヴァーダブでポールは追加のヴォーカル・ハーモニーを入れたが、それらはリリースされたヴァージョンでは使われなかった。今回はその部分がテイク7のミックスで聴ける。『Revolver』のスペシャル・エディションでは、同曲のテイク1と、以前からの資料にはなかったが、つい最近見つかったジョージがシタールを弾き、ポールがタンブーラでリハーサルをしている音源もフィーチャーしている。

Paperback Writer / Rain

4月13日から16日まで、ザ・ビートルズはスタジオ・ツーとスリーを使って、のちにチャートの1位を飾ることになる「Paperback Writer」(幾重にも重ねたハーモニー、ギターのリフ、そしてポールの轟くようなベース・ラインなども含めて)と、B面の「Rain」(レコーディングとミキシングの両方で、テープ・マシーンの速度を遅くして収録した)のシングルをレコーディングしている。

6月10日(アメリカでは5月30日)のシングル・リリースの前にザ・ビートルズはレコーディング・スタジオから出て、この両方の曲のためのプロモーション・フィルムの撮影を行なっている。監督は、のちに映画『レット・イット・ビー』を監督するマイケル・リンゼイ=ホッグが務めた。

『Revolver』のスペシャル・エディションでは、この曲の新たなステレオ・ミックスとオリジナルのモノラル・ミックスに加えて「Paperback Writer」のテイク1と2のバッキング・トラックと「Rain」のテイク5の2つのヴァージョンを収録した。ひとつはザ・ビートルズが実際に演奏した速度のもので、もうひとつはマスター・テープを作るのに使用した音をスローにした進化過程のミキシングのものである。

Taxman

アルバムのオープニング・トラックの「Taxman」は、4月と5月に行なわれた3回に亘るスタジオ・スリーでのセッションの間にレコーディングされた。この曲もアルバムに3曲収録されているジョージのナンバーのひとつだ。「Taxman」でジョージは、当時の“大金持ち”に対する英国の税率(90%)への不満を表明している。そしてこの歌ではテレビの『バットマン』の主題歌へのオマージュも登場する。

4月20日に行なわれた12時間のセッションでザ・ビートルズは、「And Your Bird Can Sing」の最初のヴァージョンをレコーディングし、ミキシングした(今回このスペシャル・エディションでは、この曲の最初のヴァージョンのテイク2のレコーディング2種類と、ヴァージョン2のテイク5を収録)。

その後、彼らは「Taxman」のレコーディングを始めた。彼らは翌日もこの曲に戻り、ジョージの基礎となるギター、ポールのベース、そしてダイナミックなインド音楽のラーガ・スタイルのギター・ソロ、そしてリンゴのドラムとカウベルをレコーディングした。『Revolver』のスペシャル・エディションでは、リリースされたヴァージョンとは違う歌詞をジョンとポールがファルセットで歌っているバッキング・ヴォーカルが聴けるテイク11を収録している。

Yellow Submarine

「Yellow Submarine」は、5月26日と6月1日にそれぞれスタジオ・スリーとスタジオ・ツーでレコーディングされた。子供だったら誰もが一緒に歌った覚えがある楽しい曲であり、はつらつとした大人にも人気のこの曲も実は最初は随分雰囲気が違っていた。

スペシャル・エディションに収録の「Yellow Submarine」のソングライティング・ワーク・テープのパート1とパート2を聴くと、元々ジョンがアコースティック・ギターで少し寂しい感じで歌っていたものが(“僕が生まれた街は/誰も人のことなど気にしない……”)、最終的にはポールとジョンが楽しくコーラスをつける歌へと進化していったのだということがわかる。

『Revolver』のスペシャル・エディションでは、「Yellow Submarine」のテイク4と、そこにサウンド・エフェクト(マル・エヴァンスがシャベルで砂をすくい、ブライアン・ジョーンズがグラスを鳴らして作り出した賑やかな海上の様子)を被せたものも収められているので、リスナーはこの楽曲の進化をザ・ビートルズと共に体験することができる。リンゴはのちにこう語っている。

「当時は、スタジオで本当に自分たちがやりたかったことが見つかったように感じていた。曲がどんどん面白くなったから、エフェクトもどんどん面白くなっていった」

She Said She Said

ザ・ビートルズの『Revolver』の最後のレコーディング・セッションは、1966年6月21日の夕方から、22日の明け方まで続いた。バンドが夏のワールド・ツアーのためにミュンヘンに発つわずか1日前だった。「She Said She Said」の歌詞は、ザ・ビートルズがロサンゼルスで体験した、ハイになったトリップでのハプニングの記憶がモチーフになっている。断片的で未完成だった曲をジョージの助けを借りてまったく新たな曲として完成させたジョンは、セッションの終了時間が迫る中で、リハーサルとレコーディングを率先して仕切った。

『Revolver』のスペシャル・エディションでは、この曲のジョンのホーム・デモと、バッキング・トラックのリハーサルの模様を収めたテイク15が収録されている。このテイク15には、曲のアレンジを相談するザ・ビートルズのメンバーたちの軽快な会話も収録されている(この曲のアレンジに関してはのちに作曲家であり指揮者のレナード・バーンスタインが“独創的”で“素晴らしい”と称賛した)。

6月22日の午前4時にはザ・ビートルズが「She Said She Said」を完成させて『Revolver』のレコーディング・セッションは終了した。アルバムの最終的なモノラル、ステレオ・ミックスもその晩のうちに完成し、翌日にはザ・ビートルズは再びツアーに乗り出した。次に彼らがアビイ・ロードに戻ったのは1966年11月。『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』のレコーディング開始時だった。

発売後の反響

1966年8月5日に発売された『Revolver』は、UKのアルバム・チャートで7週間1位を記録し、「Eleanor Rigby」と「Yellow Submarine」の両A面シングルは8月から9月にかけて4週間UKのシングル・チャートで首位に立った。

アメリカでは、キャピトルが11曲入りの『Revolver』を発売し、米ビルボードのアルバム・チャートで6週間1位を獲得した。残り3曲「I’m Only Sleeping」「And Your Bird Can Sing」「Doctor Robert」は、6月にキャピトルが北米でリリースしたコンピレーション・アルバム『Yesterday And Today』のセッションから抜粋されたものであった。このアルバムのスリーブは、もともと悪名高い“ブッチャー・カヴァー”で印刷されていたが、発売前の論争により、キャピトルは100万枚以上のモノラルとステレオのLPを回収し、ザ・ビートルズがトランクに集まっている無難な写真で再カヴァーすることになった。

Written By uDiscover Team

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ザ・ビートルズ『Revolver』スペシャル・エディション
2022年10月28日発売

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