【#あちこちのすずさん】「戦争が激しくなったら…」 生き別れを案じ、嘆いた母

 戦時下の日常を生きる女性を描いたアニメ映画「この世界の片隅に」(2016年)の主人公、すずさんのような人たちを探し、つなげていく「#あちこちのすずさん」キャンペーン。読者から寄せられた戦争体験のエピソードを、ことしも紹介していきます。

(女性・87歳)

 私は10歳で終戦を迎えました。確か1944年に集団疎開に行く前でしたが、横浜市神奈川区にあった自宅前にいたら敵機の機銃掃射を受けたのです。

 町内の人が、私を塀とイチョウの大木の陰に押し込んでくれて、無事でした。偶然居合わせた見知らぬ男の子と一緒に押し込まれたこと、飛行機の敵兵を見たことはいまだに脳裏から消えません。

 それから長兄と次兄は学徒動員に駆り出され、すぐ上の兄と私は津久井郡川尻村(現・相模原市緑区)に疎開しました。どこで聞いた話かは分かりませんが、面会に来た母が「戦争が激しくなったらお前たちは山形県に移る。そうなったら生き別れだね」と言いました。その時の悲しそうな顔は忘れられません。

 ある日、横浜方面がとても明るく見え、先生が「横浜が戦火に遭っている」と言いました。45年5月29日の横浜大空襲でした。間もなく訪ねてきた母から「焼け出されたが家族は全員無事」と聞き、ほっとしました。でも母はぼろぼろのひどいありさまで、私は悲しかったです。

© 株式会社神奈川新聞社