絶景と秘湯に出会う山旅【50】名湯・大沢温泉を愉しみ日本百名山・早池峰山に登頂

古くからの湯治場の雰囲気を残す岩手県花巻の大沢温泉。宮沢賢治が幼いころから親しんだ名湯でもあります。そして日本百名山の「早池峰(はやちね)山」も宮沢賢治が愛した山。宮沢賢治を想いながら、2つの名所を旅しました。

(C)大沢温泉

花巻の名湯・大沢温泉へ

温泉通ならば誰もが知る花巻市の大沢温泉。有名なのは自炊部のある混浴の露天風呂。ですが、大沢温泉の魅力はそれだけではありません。

筆者は大沢温泉にはずいぶん以前から何回もお世話になってきました。有名なのが自炊部がある、下の写真の木造家屋。一軒宿とはいえ、上の写真の新館「山水閣」、南部藩主の定宿だった「菊水館」、湯治場の「自炊部」の3つの大きな建物から成り立っています。

今回、早池峰山に登るために前日はどこに宿泊しようかと考えました。登山客や信仰登山者のための宿はたくさんありますが、早池峰山周辺には温泉宿がないのです。そこで、勝手知ったる大沢温泉が思い浮かんだのです。少し時間はかかるようで、早池峰山まで車で1時間ちょっと。とはいえ宮沢賢治ゆかりの名湯なのです。

宮沢賢治ゆかりの大沢温泉

花巻で生まれ育った宮沢賢治(1896~1933)。彼は少年時代、信仰心の厚い父とともに花巻仏教会の講習会場だった大沢温泉を何度も訪れています。

上の写真は、少年時代に訪れたときの記念写真だそうで、館内の菊水館に新しく作られた「昔ギャラリー茅(ちがや)」に賢治のコーナーがありました。宿泊客は無料で観覧できます(冬季は休館)。

賢治は学生時代には悪ふざけをして湯を汲み上げる水車を止めてしまい、大騒ぎになったという逸話も残されているそうです。また花巻農学校で教師をしていたときには、生徒たちを連れて湯浴みに訪れています(青い矢印が賢治、黄色の矢印が父・政次郎)。

さらにさかのぼると、1200年前の延歴年間、征夷大将軍だった坂上田村麻呂が東征の際、蝦夷軍の毒矢で負傷しましたが、大沢温泉に入浴してほどなく傷が癒えたという伝説も残されているそうです。また南部藩主第40代の利剛公は慶応3年(1867年)に大沢温泉で湯治した際に家臣とともに和歌を詠み、その素晴らしさを称賛したそうです。

充実した売店、風情ある自炊室と客室

1200年前からはずいぶんと変わったことでしょうが、木造の自炊棟の趣はこの100年は変わらないような印象です。入り口を入ると受付があり、そのわきには湯治客用の大きな売店。野菜や肉などの生鮮食品をはじめ、たいていのものはそろっています。反対側には日帰り客用の畳の広間もあります。

また自炊室も広々としています。たぶん湯治は冬場が多いので、夏の間はそれほど使われていないようです。これまで使っている方は2〜3人しか見たことがありません。この自炊室の煮炊きするガスが10円らしいです。10円でどれくらいの時間使えるのかは不明ですが。

今回の客室は広々とした8畳ほどの自炊棟の客室。2面に廊下があって、その向こうには渓流の豊沢川が流れています。奥まった場所にある部屋なので廊下は人も通らず、障子を開けると開放感たっぷり。部屋の一隅には、自炊室にあったものと同じ10円ガスが置いてありました。

大沢温泉6つの風呂めぐり

大沢温泉の泉質はアルカリ性単純泉。pHは9.0だそうです。ナトリウム塩化物硫酸成分がやや多く、メタケイ酸も50㎎で美肌の湯。肌がしっとりとする柔らかなお湯です。

(C)大沢温泉

上の写真が有名な男女混浴の露天風呂「大沢の湯」。目の前を豊沢川が流れ、広々としています。女性専用時間もあり、20時~21時。実は夏の昼間、露天風呂はアブが多いのでお気を付けください。

ちなみに渓流の向こう側には、女性専用の露天風呂「かわべの湯」もあります。

(C)大沢温泉

筆者がおすすめするのが、山水閣にある男女別半露天風呂の「豊沢の湯」。もっとも新しく造られた、美しい浴室です。上の写真を見てもわかるように、お湯の前に広がる深い緑の樹木。一幅の絵画のような雰囲気なのです。冬になると、ここにガラス戸が入るので寒くはありません。

ちなみに宿泊客が使える家族貸切風呂も3室あるそうです。筆者はまだ未体験ですが、利用時間は15時~24時と翌朝6時~10時。鍵が開いていれば、自由に使うことができるそうです。

(C)大沢温泉

建物の奥の奥にある、男女別内湯の「薬師の湯」は懐かしいタイル張りの古い造り。このレトロな感じも温泉通にはたまりません。

また大沢温泉では日帰り入浴も受け付けています。時間は7時~20時30分で料金は大人700円、子ども400円とのこと。

食事処も食事も充実

自炊をしない宿泊客の食事は、自炊棟にある食事処「やはぎ」で自由にいただけます。営業は、夕食17時15分~21時30分、朝は予約制で7時30分~9時、お昼もやっています。11時15分~14時とのこと。近所の定食屋か居酒屋といった雰囲気で、安くておいしいのです。

この夜いただいたのは、上の写真の「やはぎ定食」。お刺身、天麩羅、小鉢、フルーツ、ひっつみ汁、ご飯、香の物、茶碗蒸しのセットで、8畳の部屋と夕食の定食が付いたセットのプランで6,000円あまりですから、驚くほど安いのです。

ちなみに個別予約ですと、自炊棟は昔ながらの積上算方式で1日につき、掛け布団200円、敷布団200円、浴衣200円、丹前150円、シーツ70円、枕20円、暖房代(こたつ300円、石油ストーブ600円)などが別途(税別)になります。

もし朝食を付けたいのでしたら、プラス700円。チェックインのときに予約すればOK。名湯ですが、自炊棟ならではの体験もできて食事も美味ですから、温泉好きな方はたまりません。

大沢温泉

住所:岩手県花巻市湯口字大沢181

電話:0198-25-2021(8:00~19:00)

公式サイト:https://www.oosawaonsen.com

宮沢賢治が愛した日本百名山・早池峰山

翌朝は、朝食はいただかず早朝5時に出発。途中でコンビニに立ち寄り、おにぎりを購入しました。日本百名山の早池峰山の標高は1,917m。登りは3時間弱、下りは2時間半が目安でしょうか。

大沢温泉から車で1時間ちょっとで早池峰山の南にある河原坊(かわらのぼう)の登山者駐車場に到着です。ここには早池峰総合休憩所の建物があり、トイレもあります。総合休憩所は、いわゆるビジターセンターで、早池峰の自然や動植物の展示、そして登山情報が案内されています。

この早池峰山と宮沢賢治の関わりですが、彼は1925年(大正14年)8月10日夜、河原坊に野宿し、翌日11日に早池峰山に登山、山頂で日の出を迎えています。この日付での詩作品があるそうで、前年1924年(大正13年)8月にも野宿して登山しているようです。

さらに1924年(大正13年)8月13日付の早池峰神社の登山者名簿に賢治の名前があることも判明しているそうです。

その賢治の詩碑が、駐車場から登山口に向かって歩く途中に建てられています。「おお青く展がるイーハトーボのこどもたち グリムやアンデルセンを読んでしまったら じぶんでがまのはむばきを編み 経木の白い帽子を買って この底なしの蒼い空気の淵に立つ 巨きな菓子の塔を攀ぢよう」

この「巨きな菓子の塔を攀ぢよう」とは、あとで登山中に見えますが、山頂手前の大きな岩の塊を指しているように思えます。

小田越(おだごえ)の登山口は、賢治の詩碑からさらに2kmほど舗装道路を歩いたところにあります。実は河原坊からも登山道があったのですが、道が崩落していて現在は通行止めになっています。

小田越からが山道。とはいえ、それほど危険な道ではありません。しばらく樹林帯を進むと、携帯トイレブースがありました。ちなみに山頂にも携帯トイレがあります。

樹林帯が途切れて低木が増えてきました。上を見上げるとガスがかかっているようです。実は以前にも早池峰山に登っていて、そのときはガスがかかって何も見えない状態でした。今回はリベンジなのです。

これはウスユキソウでしょうか。早池峰のウスユキソウは、「ハヤチネウスユキソウ」と呼ばれる固有種。早池峰山を代表する花なのです。英語ではいわゆる「エーデルワイス」。ヨーロッパやヒマラヤなどの高山に生える植物ですが、「サウンド・オブ・ミュージック」の名曲で知られました。

と、上を見上げるとガスの向こうは青空のようです。これから晴れてくるかもしれません。

足元には様々な高山植物が咲いていました。上の写真はミヤマキンバイでしょうか。このほかナンブトラノオやハクサンチドリ、ミヤマアズマギクなどなど。そういえば早池峰山は「花の百名山」でもあります。

蛇紋岩と緑の山容が美しい早池峰

上を見上げるとすっかり快晴になりましたね。樹林帯を抜けると、草原地帯に岩がゴロゴロするようになります。山頂はまだ大きな岩の向こうですが、すぐ上の写真の、あの大きな岩が目印。ちなみに賢治の詩碑の「巨きな菓子の塔」とは、筆者はあの岩ではないかと思うのです。

そして山頂近くには大きな岩の壁が立ちはだかるのです。まるで城塞のような巨岩。ここには2段になった長い鉄梯子があります。しかもけっこうな角度です。とはいえ、しっかりと安全を確認しながら登れば大丈夫。登りきれば、あとは難しい箇所はありません。

ガスが晴れ山頂からは絶好の展望

登山口から2時間もかからずに稜線に出ました。前回とは大違いの快晴です。いつも思うのですが、ガスってなにも見えない山と快晴の山とでは本当に雲泥の差がありますね。

ようやく山頂が見えてきました。ここまで来るとあとは平坦な道です。

山頂に避難小屋があります。と同時に古い祠も建てられていました。古くから信仰登山や修験道の山として、地元の人々に愛され、あがめられてきた早池峰です。このときも登る途中で修験者の格好をした男の人とすれ違いました。現在でもいらっしゃるのですね。

北上山地の山々や奥羽山脈、遠く三陸の海まで見渡せる360度のパノラマが広がります。気持ちのいいこと。

遠くには岩手山の山頂部分も雲の上に見えました。たぶん宮沢賢治もこの光景を見たのでしょうね。賢治が作り出した造語「イーハトーボ」。ふるさと岩手のことを指すとも、架空の土地を指すともいわれていますが、この別天地のような光景があってこそのイーハトーボだったのかもしれません。

早池峰山(河原坊駐車場)

住所:岩手県花巻市大迫町内川目25(早池峰総合休憩所)

公式サイト:https://www.city.hanamaki.iwate.jp/kanko/midokoro/shizen/1003918.html

[All Photos by Masato Abe]

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