歩くことができない「黒猫のさくら」との日々 看病して分かった大切なこと【杉本彩のEva通信】

黒猫のさくら
2022版 動物環境・福祉協会Evaのポスター

動物たちとの暮らしの中で感じることは、動物も人と同じように、みんな違う性格と個性を持っているということです。そして、私たち人間と同じように、痛みやかゆみ、もちろん暑さ寒さや嫌な臭い、空腹感やのどの渇きを感じます。また、動物特有の習性による行動欲求もあります。さらには豊かな感受性があり、共感や嫉妬など、複雑な感情も持ち合わせています。彼らが感受性豊かな生きものであることは、動物との暮らしを経験したり、彼らを注意深く見ているとよくわかると思います。多頭で飼育している場合は、それぞれの動物との関係性や距離感も少しずつ違います。 また、私は数多くの看取りを経験してきましたが、その悲しみの色合いや感情の受け止め方、その時に感じることや、そこから教えられることもさまざまでした。どの犬や猫とも思い出深いエピソードがあります。なかでも私にたくさん大切なことを教えてくれたのが、黒猫のさくらでした。

さくらはとても安らかな最期を迎えました。その穏やかな光景は、まるで絵本の中の描写のように、あたたかくてやさしい光に包まれて、天に召されたように感じました。 

さくらは、行政の動物愛護センターで出会った成猫です。エイズキャリアで小脳に障がいもありました。そのため四肢が動かず歩くことはできません。障がいのある子はお世話に手がかかるので、里親を見つけることはとても難しいです。さくらと出会ったのは、まだ私が個人で動物愛護活動をしていた頃、地方の自治体に招かれ、 講演をしたことがきっかけです。そこで動物愛護センターを訪ねた時、収容されたばかりのさくらがいました。障がいのある猫を行政の施設で面倒見続けることは現実的に難しく、殺処分になる可能性が高いことは容易に想像できたので、さくらの存在はとても心に引っかかりました。とは言え、いつ終わるか先の見えない介護が必要な猫を、簡単に引き受けることはできません。その覚悟と責任を改めて考えた上で、里親になることを決心し、翌週再びセンターを訪れ、さくらを譲渡していただきました。

さくらの介護生活が大変なことは充分に覚悟していましたが、実際は私の想像以上に大変なことでした。時が経つにつれ、さくらは寝返りをうつことも、自力で排泄することもできなくなりました。排泄においては、尿と便が溜まっているか、お腹を触って確認し、溜まっていればお腹をやさしく押しながら、圧迫排泄させます。1日に何度もこれをしなければなりません。

体からどんどん自由が奪われていくことは、いろいろな問題と向き合うことになります。それでも、さくらの生きようとする気持ちはとても力強く、四肢が動かないので乗っているだけの車椅子ですが、その上でご飯を食べる姿はたくましさに溢れていました。そんな姿を見ていると、私も頑張らなければ、とパワーが湧いてきます。さくらは何かを要求する時も大きな声で訴えます。猫は偏食の子も多いですし、犬よりもずっと食の好き嫌いの激しいところがあります。けれど、さくらは障がいのせいで常に揺れている頭を支え、口の周りをごはんでぐちゃぐちゃに汚しながら、一生けんめい食べました。そんな姿を見ていて感じたのは、「生きる」ことは「食べる」ことなんだ、ということです。いろいろあって私の気持ちが落ち込んでいる時も、「とにかく食べて、前を向いて生きていればそれでいい。人生に多くの完璧を求め、心を煩わされる必要はない」。そんなふうに感じ、さくらの姿に深く感銘を受けたものです。シンプルに生きることや、ありのままの自分を受け入れることの大切さを教えられたような気がしました。

動物たちは過去を振り返って落ち込んだり、未来を憂い悩んだりしません。動物はみんな、今を生きています。私たち人間も、「今を生きる」という感覚が、もっと必要なのだと気づかされます。 また、反省から学んだこともありました。

ある日、さくらの体に痛々しい床ずれができていることに気づきました。私が考えていた以上に、寝返りさせる回数やマット選びなど、いろいろな対策が必要だったことを思い知らされました。自分の至らなさで、さくらに辛い思いをさせてしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。自由に動けないさくらが必要としていることを、充分に想像できなかった結果です。その痛みや苦しみ、心のうちは、もちろん本人でなければわかるはずもありませんが、自分のことのように想像する力が必要だと教えられました。健常者である私は、動けないという不自由さを、わかっているようでわかっていなかったと思うのです。自分では精一杯、理解してやっているつもりでも、欠けていた視点があったということです。さらに細やかな視点で想像する力が必要でした。そのことを深く反省し、さくらを完治させるため、通院だけでなく、さまざまな床ずれ対策とケアを必死に行いました。

その結果、数ヶ月後には、皮膚が再生し毛が生えそろうまでに完治したのです。ずっと重く心にのしかかっていた、申し訳ないという苦しい思いから、ようやく解放されました。そんなさくらとの暮らしが2年半続き、2013年のある日、突然お別れの日はやってきました。

さくらは、いつものようにごはんをいっぱい食べたあと、温かい光の入るリビングの窓際で、 車椅子の上で日課のお昼寝をしながら、天に召されていきました。 ともすれば殺処分となっていたかもしれないさくらが、天寿をまっとうできたこと、その助けとなれたことが感慨深く、お別れの悲しみだけでなく、温かな感情で心がいっぱいに満たされるのを感じました。

さくらが幸せだったかどうか、それをさくらに聞くことはできません。けれど、一緒に暮らしている犬や猫たちは、みんなさくらが好きで、さくらの周りを囲んで眠っている光景は、とても心温まるものでした。私はそんな素敵な光景にいつも心癒されていましたし、さくらも幸せであったと信じたいです。

さくらの介護とその暮らしから得たものはとても尊く、私にとってかけがえのない経験です。想像力を働かせ、その力が増していけば、「おもいやり」の心はどんどん大きく豊かになっていくと感じています。 人との交流においてもそうですが、言葉を交わせない動物との暮らしでは、その想像力がより大切だと思います。

 

当協会Evaでは、9月の動物愛護週間に合わせ、啓発ポスターとチラシを毎年作成しています。 希望される方には無償配布し、ポスターの掲示やチラシの配布にご協力をいただいています。2015年から毎年さまざまなテーマで、大切なメッセージを発信しています。

これまではペット流通の問題や動物虐待防止への啓発という、厳しいテーマが続いていましたが、今年はがらりとその方向を変え、私の経験から気づいた「おもいやりは、想像。」をテーマに、短くその思いをポスターにこう綴りました。 

動物の気持ちを想像する。 その痛みも苦しみも、そして喜びも  私ならどう感じるだろうと……。  自分のこととして考え、想像する。  言葉を持たない動物たちと向き合うことで、 大切なことを学びました。 

これは動物と向き合うための基本だと思います。とても当たり前のことなのかもしれません。でも、私たちはその当たり前のことを忘れがちですし、改めて考えてみて、経験してみて、はじめて気づかされることもあります。どうかたくさんの方に、このメッセージが届きますように。(Eva代表理事 杉本彩)

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 杉本彩さんと動物環境・福祉協会Evaのスタッフによるコラム。犬や猫などペットを巡る環境に加え、展示動物や産業動物などの問題に迫ります。動物福祉の視点から人と動物が幸せに共生できる社会の実現について考えます。  

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