首都圏で会社勤め…27歳で日本一周の旅に出て決断 古里へ移住、気付いた「現代社会に欠ける価値観」

合掌造りの古民家に移住し、ゲストハウスの開業準備を進めている芳沢郁哉さん=福井県永平寺町

 山あいの十数軒の集落で、築140年の合掌造りの古民家がひときわ目を引く。芳沢郁哉さん(29)=福井県鯖江市出身=は昨年8月、永平寺町の祖母が暮らす家に、妻と移り住んだ。「この土地には失われかけている大切な価値観が息づいている」。多くの人に田舎の日常とその価値を感じてほしいと、ゲストハウスの開業準備を進めている。

 大学卒業後、首都圏で大手旅行会社やIT企業に勤めた。27歳のとき、「自分の成長のため」に日本1周の旅に出て、多くの出会いに恵まれた。その恩返しの意味も込め、ゲストハウスの本格開業前に、旅人に家を開放し寝床や食事を無償で提供している。

⇒コロナ下で目覚めた自給自足の生活…東京人が新天地に選んだ福井県

 移住後、できるだけ自給自足を目指し、田畑を耕す。集落の“先輩”たちは、快く土地を貸してくれ、作業を教えてくれた。秋になり、米や野菜の実りを実感する。「都会の暮らしで積み重なっていくのはお金くらい。けど田舎の暮らしは、頑張った分だけ生活が良くなっていく。それがとても幸せに感じるんです」

先人が紡いだ営み、つなげる

 芳沢さんは、主に営業関係の仕事をするうちに「空間やサービスを提供、生産する側になりたい」という考えがぼんやりと浮かび、約4年で会社員生活に区切りを付けた。「都会では体験できない出会いが自分を成長させてくれるはず」。27歳のときにバイクで北海道1周の旅に出た。

 農家や宿の経営者を訪ねたり、紹介してもらったりしているうちに、目標が日本1周になった。食の安全にこだわる佐賀県の養鶏農家との出会いをきっかけに、「ものを作ることは、多くの人に影響を与えること」との思いが強くなった。

 約10カ月の旅を経て、昨年8月に永平寺町の祖母の家に移住。敷地が400坪を超える家の大掃除をして、荒れて森のように草木が茂っていた畑を手入れし、田んぼを借りて米作りの勉強を始めた。敦賀の養鶏農家にも弟子入りした。「全て初体験で毎日が学びの連続。都会と比べたら公共交通も店も少ないけど、生活を豊かにしてくれる『食』と『住』を自分たちで作ることができる」

 ゲストハウス開業に向けたPRを兼ねて、自分と同じように日本1周を目指す旅人を「応援宿」として受け入れ、これまでに60人余りを送り出した。餅つきや流しそうめん、農業体験などのイベントも企画し、県内外から400人以上が訪れた。平均年齢70歳をゆうに超える集落に、活気と新たな可能性が生まれつつある。

 祖母の家を移住先に選んだ理由は、日本1周で改めて感じた昔ながらの暮らしの価値や、「先祖が守ってきた家を残したいというなんとなくの使命感」だった。70、80代中心の集落への移住に不安はあったが、祖父母の縁もあり「快く受け入れてもらった」。

 集落は、吉峰川がつくる谷に鎌倉時代に開かれたともいわれる。「先祖たちが紡いできた脈々とした縦のつながりこそ、自分の居場所を見失いがちな現代社会に欠けている大事な価値観だと思う」

 ゲストハウスを計画したのも、そんな「見えない価値」を感じてもらいたいから。集落全体を一つの宿に見立て、宿泊客と住民が交流する構想を掲げ、「地域の人に受け入れてもらう充実感や自然とのつながりは、滞在してこそ分かってもらえる。地域の価値が伝わりやすいように、アップデートや再構築をしていきたい」と意気込む。

 ゲストハウスの名前は「晴れのち、もっと晴れ」。宿を中心に地域のつながりや収益を生み、米や野菜を自給自足する循環型の仕組みをつくる。先人が受け継いできた営みを、次の世代につないでいこうと考えている。

  ×  ×  ×

 人の生き方や地域の在り方が多様化している。新型コロナウイルス禍を経て、その先へと踏み出す県内の動きを紹介する。

© 株式会社福井新聞社