厳格な元首、あふれる気品、お茶目なおばあちゃん…最長在位中にかいま見えた色とりどりの魅力  唯一無二の「エリザベスの時代」激動70年、英国民に96年の生涯をささげた希代の女王

ガールスカウトの制服姿でポーズをとるエリザベス英女王=1943年8月、ロンドン郊外ウィンザー(AP=共同)

 英国の女王エリザベス2世が2022年9月8日、スコットランドのバルモラル城で死去した。享年96歳。1952年2月6日から続いた70年7カ月の在位期間は英国の歴代君主で最長だった。英国とその国民への献身的な奉仕に生涯をささげた希代の女王。共同通信のロンドン支局長として取材した3年間を振り返りながら、激動の英国の歴史とも重なり合う「エリザベスの時代」と英王室を改めて考えてみた。そこからは、ときにユーモアを見せつつ、苦心しながら国民に寄り添った気品あふれる厳格な元首の姿が浮かび上がった。(共同通信=島崎淳)

▽落ちてしまった「ロンドン橋」

 日本時間8日夜、スマートフォンに入れている英BBC放送のアプリのニュース速報が飛び込んできた。「女王は健康が懸念される状態になり、医師の管理下に置かれている」。英王室の発表だった。2016年から3年間、ロンドン支局長を務め、多くの王室がらみの記事を執筆したが、いつもなら最低限しか公にしない女王の健康状態について王室がこのような発表をしたことに、強い不安がよぎった。30分後、「チャールズ皇太子やカミラ夫人がバルモラル城に向かった」との第2報で不安は確信に変わった。「何か大変なことが起きているに違いない」。帰宅後にBBCテレビを見ると、キャスターは既に黒いネクタイ姿だった。ベテランの王室担当記者は沈痛な表情で代替わりの可能性を話していた。

 私がロンドン在任中に女王は90歳を迎えた。万一のことがあれば、世界的な大ニュースとなり、在任中の最も重要な仕事になるに違いないと考えた。ただ、女王は元気そのもので、公務に超人的な仕事ぶりを見せていた。何の兆候もなかったが、いつ何があっても対応できるよう改めて準備をし、女王の健康に関する情報には常に気を配っていた。

2022年6月2日、在位70年を祝う行事でバッキンガム宮殿のバルコニーに立つ英国のエリザベス女王=ロンドン(ゲッティ=共同)

 私たちが準備をしていたのだから、英政府が「Xデー」にどう対応するか、かなり前から備えていたのは当然だ。2017年、英紙ガーディアンは、エリザベス女王が死去してから葬儀に至る一連の手続きに関する英政府の極秘計画の詳細をスクープした。極秘計画のコードネームは「オペレーション・ロンドン・ブリッジ」(ロンドン橋作戦)。女王死去の情報は国王の秘書官から、首相官邸や閣僚、議会、ロンドン警視庁、軍、英国国教会などに伝えられ、メディアではBBCと国内通信社のPA通信に初めに情報が伝達される。その際に極秘の暗号として、マザーグースの代表的な童謡を想起させる「ロンドン橋が落ちた」という言葉が使われることになっていた。死去の公式発表、新国王即位の手続き、葬儀の段取りなど全てが綿密に練られ、あらかじめ周到に計画されていた。

 私は、日付が変わって9日の午前2時前、女王の容体が気になりながら床に就いた。朝になったら、「その時」が来ているかもしれないとの予感は的中した。起床後真っ先に確認したアプリの速報は午前2時32分だった。ロンドン橋が落ちたのだ。

▽英国の「ロック」だった女王

 在位70年ということは、70歳以下の英国民はエリザベス2世以外の君主を知らないことを意味する。エリザベス女王はかけがえのない、唯一無二の存在だった。女王や王室は、南アジアやアフリカ、カリブ海など旧植民地の国々にルーツを持つ国民も多い多様な英国をまとめ上げる統合の象徴だった。女性の社会進出が今ほどではなかった時代には「働く女性」のロールモデルとなり、王室外交を通じて英国の外交の重要な一翼を担った。今、シンボルを失った英国社会には大きな空洞が生まれ、国民は計り知れない喪失感と深い悲しみに包まれている。

2022年9月9日、ロンドンのバッキンガム宮殿前に手向けられた花束を見るチャールズ新国王とカミラ王妃(AP=共同)

 英国の政治や外交、社会がいかに混迷しようとも、女王は常に変わらない「安定」を意味し、国民にとっては「安心」の源だった。わずか2日前に、女王に任命された英国3人目の女性首相、エリザベス・トラス氏は8日夜、首相官邸前で発表した追悼声明で、女王について「現代英国が築かれた礎」だったと表現した。「礎」と翻訳されたのは「ROCK」という言葉だ。エリザベス女王という存在は、英国社会が寄って立つ、岩のように揺るぎない、心の支えであるとの意味がにじみ出ていた。

6日、英北部スコットランドのバルモラル城で、トラス新首相(右)を迎えるエリザベス女王(AP=共同)

 女王が即位した20世紀半ば以降の英国は、かつて大英帝国として「七つの海」を支配した超大国の地位を失った時代として位置付けられる。第2次大戦後、基幹産業の国営化で競争力を失い、労働争議も頻発し「英国病」といわれる停滞に苦しんだ。英国初の女性首相サッチャー氏が導入した緊縮財政はインフレ抑制に一定の成果を見せたが、結果として多くの失業者が生まれた。ただ、超大国ではなくなっても、国連安全保障理事会の常任理事国、G7(主要7カ国)の一角を占め、世界的な影響力を維持している。特に、英語、音楽などの英国文化などを通じて英国はソフトパワー大国として揺るぎない存在感を示している。

 そのソフトパワーの一つが王室である。歴史と伝統を誇り、品格を持ち、世界から敬意を示される王室の存在は、現代の英国の強みであり、国の「ブランド」を支えてきた。王室を通じた外交、他国との友好親善関係の維持・発展に絶大な効果を発揮し、英国を訪れる観光客の多くはバッキンガム宮殿を訪れ、女王の肖像が入ったお土産を買って帰国する。英国にとっての王室の経済効果は10兆円規模との試算もある。

 独立を果たした旧植民地諸国とも、女王をトップとする各国の枠組みである「英連邦」を通じて緩やかなつながりを維持し、欧州連合(EU)離脱後の英国の外交関係の基軸の一つとなっている。

▽退位の可能性はなかったのか

 2016年、日本で当時の天皇陛下(現在の上皇さま)が健康を理由に退位の意向を示され、大きな議論が湧き起こった。同じように高齢で在位が長いエリザベス女王に退位の可能性はないのか、英王室に詳しい専門家たちに聞いたことがある。

1998年5月、両陛下主催の答礼晩さん会でエリザベス女王と話される天皇陛下(現上皇さま)=ロンドンのビクトリア・アルバート博物館

英国では1936年に、女王エリザベス2世の伯父に当たるエドワード8世が、離婚歴のある米国人女性との結婚を果たすために退位し、「王冠を懸けた恋」として騒がれた。欧州の王室では近年でもベルギーやオランダで国王や女王の退位の例がある。

 だが、専門家は口をそろえてエリザベス女王が退位することはないだろうと語った。仮に公務ができない健康状態になっても「摂政」を置き、女王が自ら退くことはない、というのが共通した意見だった。女王の父ジョージ6世を描いた映画「英国王のスピーチ」でアドバイザーを務めた作家ヒューゴ・ビッカーズ氏は当時、「天皇陛下(今の上皇)が退位したいと考えるのは理解できるが、エリザベス女王はそうしないだろう」と断言していた。

 エリザベス女王は本来、女王になるはずではなかった。王位継承順位は高くなかったのに、伯父エドワード8世が突然王位を放棄して退位、父ジョージ6世に国王の座が回ってきた。「リリベット」との愛称で呼ばれていた10歳の少女が、女王になるよう運命づけられた。英王室の長い歴史と伝統を守るため、父やリリベットはその重責を引き受けざるを得なかった。

 1947年、21歳の誕生日に、南アフリカ・ケープタウンでのスピーチで「私の人生が長くても短くても、皆さんや王室への奉仕にささげることを誓う」と語った。53年の戴冠式ではダイヤモンドなどがちりばめられた1キロ近い重さの王冠を頭に載せ、神から王権を授かることを象徴する儀式を行った。生涯をかけて国民や王室に奉仕することは、国民に対する非常に重い約束であると同時に、破ることを許されない「神への誓い」だった。そして何にも増して、女王自身が約束と誓いを生涯守ると固く決意していた。

1953年6月、戴冠式を終え、バッキンガム宮殿バルコニーから群集の歓呼にこたえるエリザベス女王と夫君エジンバラ公フィリップ殿下(AP=共同)

 立憲君主制国家の英国で、君主を表す言葉として「Sovereign」(ソブリン)という言葉がしばしば使われる。「主権者」との意味も持つこの言葉から分かる通り、英国において君主は国家そのものである。「君臨すれども統治せず」との原則があるので、実際には政治や行政に口出しはしないのだが、形式上、行政権を行使する英政府は、「女王(国王)陛下の政府」と呼ばれている。君主は首相を任命し、軍の指揮権を持つほか、英国国教会の首長でもある。新しい議会会期が始まると、政府が起草した施政方針演説を女王(国王)が読み上げるのが慣例になっている。議会のテレビ中継で、エリザベス女王が政府の役人が書いた原稿を読みながら「私の政府は●●の政策を実行し、●●を目指す」と言っているのに驚いた。日本の制度と比較すると英国の伝統や制度には違和感がぬぐえないが、要するに英国にとって君主の存在はそれだけ大きく、重いものなのだ。

▽最期まで国民に寄り添った

 「国民への奉仕」とは、慈善団体や各種組織のパトロンとして諸行事に出席することなど、女王としての公務を誠実に勤め上げるという意味だけではないのは明らかだ。

 女王は毎年12月25日にテレビを通じて恒例の「クリスマスメッセージ」を発表する。1年の出来事を振り返り、所感を述べながら、国民を勇気づけ、鼓舞し、希望を感じさせるような言葉を国民に伝える。2020年のメッセージでは、新型コロナ禍のためロックダウンによりクリスマスでも家族や友人と集まれない状況の中、「人と距離を取ることを余儀なくさせた1年が(逆に)人々を結束させた」と話し「暗い夜にも、新しい夜明けが訪れる希望」があると強調した。その言葉は人々を大いに鼓舞した。

 2017年6月、ロンドンの高層公営住宅で大規模な火災があり、70人以上が死亡した際には、エリザベス女王はすばやく現場近くの避難所を訪れ、焼け出された人々の声に耳を傾け、ねぎらいの言葉を掛けた。高い建物が炎に包まれる映像は英国民に強い衝撃を与える中、メイ首相(当時)が避難所を訪れながらも、「警備上の理由」で被害者に面会せずに立ち去ったのとは違いが歴然としていた。

 第2次大戦中に英陸軍の女性部隊に加わり、他の女性兵士と同じように車の整備や修理を担当したという逸話も有名だ。多くの国民に衝撃を与えるような悲劇や惨事が起きたり、国が苦境に立たされたりした時、いつもそこにはエリザベス女王の姿があった。国民に心の安らぎ、安心感を与えるものだった。

▽ダイアナ元皇太子妃事故死の「失敗」から学ぶ

 国民に寄り添う姿勢は、王室の危機を招いた過去の失敗から学んだ側面もある。1997年、「国民のプリンセス」と呼ばれたダイアナ元皇太子妃がパリで事故死した際、しばらく沈黙を守り、バッキンガム宮殿には半旗も掲げられなかった。国民から「女王は冷たい」という批判を受け、王室に対する国民の不信感が高まった。女王がすぐにロンドンに戻らなかったのは、ダイアナ元妃が既に王室を離れた存在であったこと、バルモラル城に共に滞在していた孫のウィリアム王子(当時)やヘンリー王子を気遣ってのことだったとされている。ただ、それは国民が求めていることとは違っていた。

 ロンドンのバッキンガム宮殿や元妃が暮らしたケンジントン宮殿には信じられないほどの市民が集まり、宮殿前は追悼の花束で埋め尽くされた。女王に姿を見せて国民に語りかけるよう求める世論が高まり、当時のブレア首相の助言もあって、テレビで追悼のスピーチを行った。この時が英国内で近年、「王室廃止論」が最も高まった時期だと言われている。

 その後、女王自らも含めて王室は、国民との距離を縮めるよう、意識的な努力を続けた。ダイアナ元妃の不幸な死から今年でちょうど25年。「開かれた王室」の実現に向けて、ホームページやSNSを使った情報発信に努め、そうした新しい取り組みにウィリアム王子(皇太子)らの若い世代が先頭に立った。

 

1949年4月、チャールズ王子を抱くエリザベス王女=ロンドンのバッキンガム宮殿(AP=共同)

70年の在位期間中には、国民の間に親しみやすいイメージも定着した。馬や犬を愛し、都会よりも田舎で自然の中を歩くことが大好きだった。ユーモアのセンスも抜群で、2012年のロンドン五輪開会式では、英国が誇る人気スパイ映画「007」シリーズで主人公ジェームズ・ボンドを演じる俳優ダニエル・クレイグさんと共に、女王がヘリコプターからパラシュートで飛び降りる映像が流され、観衆を驚かせた。在位70周年の祝賀コンサートでは、「くまのパディントン」と競演する映像も登場した。

 晩年はたくさんの孫やひ孫など家族に囲まれた「おばあちゃん」の顔を見せることも少なくなかったが、家族に関しては決して順風満帆ではなかった。チャールズとダイアナ元妃との離婚、最近では孫のヘンリー王子とメーガン妃が公務を引退して米国に移住、次男アンドルー王子の性的虐待疑惑も浮上し、相次ぐ醜聞に権威は再び傷ついた。昨年4月には長年連れ添った夫フィリップ殿下が99歳で死去、深い喪失感を味わった。

▽新国王チャールズ3世はレガシーを守れるのか

 新国王として即位したチャールズ3世は9日、国民へのスピーチで、献身、奉仕という女王の姿勢を引き継ぐと表明した。エリザベス女王という存在の大きさ、国民の追悼ムードを考えると、そのレガシーを守ることこそチャールズ国王の使命であり、驚きはない内容だった。

6月、在位70年を祝う行事「プラチナ・ジュビリー」で、バッキンガム宮殿のバルコニーに立つ英国のエリザベス女王とチャールズ皇太子=ロンドン(ゲッティ=共同)

 女王死去前に今年、英国内で実施された世論調査では、王室メンバーの中で人気のトップはエリザベス女王の75%だったのに対し、チャールズ皇太子(国王)は7位で42%と低迷している。ダイアナ元妃との離婚、その後のカミラ妃との結婚に対する国民の賛否、度重なる失言、過去の政治への口出しなどが影響しているとみられている。

英国のチャールズ皇太子と故ダイアナ元妃=1992年11月、ソウル(ロイター=共同)

 大英帝国時代の植民地主義と王室の結び付きから、旧植民地にルーツを持つ人々を中心に王室に好ましくない感情を持つ人々や「王室廃止論者」がいることは確かだ。身分の違いや特権を前提にした王室という古い制度は、万人の平等を前提とする現代の民主主義になじむのか、という問いもあるだろう。若者の王室支持率が低下しているとの報道もある。

 今後に関しても、王室メンバーが品格に欠ける不適切で言動をするケースは、これからも出てくるだろう。チャールズ3世はエリザベス女王のような、尊敬され、人気のある国王にはならないかもしれない。それでも、英王室の存続が真剣に議論させるような本当の危機が、ただちにやってくるとは考えづらい。王室は時代の変化に応じて巧みに自己変革してきた。英国社会もそれを受け入れ、英国自身の存在感を高めるためプラグマティックに王室を利用してきた歴史があるからだ。

 

初の国民向けテレビ演説をする英国のチャールズ新国王=9日、ロンドン(ゲッティ=共同)

英国では、国歌が「ゴッド・セーブ・ザ・クイーン」から「ゴッド・セーブ・ザ・キング」に早くも変わったほか、紙幣に印刷されている肖像画もエリザベス女王からチャールズ国王に変更されることになる。19日には国葬が行われるが、その舞台となるのは女王が戴冠式に臨んだのと同じロンドンのウェストミンスター寺院だ。皇室と英王室の長い交流の歴史を反映して日本から天皇陛下が参列する予定のほか、世界中から多数の元首クラスが姿を見せ、女王に最後の別れを告げることになるだろう。国葬とともに服喪期間も終わり、英国はチャールズ国王の下で新たな時代に本格的に突入していく。時計の針は前にしか進まないのだ。

 天に召された女王エリザベス2世は、重い王冠を降ろし、重責を果たした達成感と安堵の表情を浮かべながら、最愛の夫フィリップ殿下とともに、長男チャールズの国王としての振る舞いを心配そうに見守ることになるのだろう。

ギリシャ王室出身のフィリップ・マウントバッテン伯(エディンバラ公)と結婚式を挙げた英国のエリザベス王女=1947年11月20日

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