「特急かもめ」から「新幹線かもめ」へ 長崎登場61年、足跡とこれから

開業に向けて訓練運転中の西九州新幹線かもめ(右)と、到着した特急かもめ=長崎市尾上町、JR長崎駅

 博多-佐賀-長崎の人々の往来を長年支えてきた在来線特急かもめが22日に廃止され、その名は翌日開業する西九州新幹線に受け継がれる。戦前から脈々と続く「かもめ」の足跡をたどり、新しい「かもめ」の横顔を紹介しよう。

客車「鷗」

 1937(昭和12)年、東京-神戸で特急「鷗(かもめ)」が産声を上げた。戦時下でいったん廃止されたが、53(昭和28)年に平仮名表記となって京都-博多で復活。それまで蒸気機関車(SL)にけん引される客車だったが、61(昭和36)年に気動車へと生まれ変わり、京都-長崎・宮崎に投入。これが長崎と「かもめ」の出合いとなった。76(昭和51)年には電車に進化、現在の博多-長崎に定着した。

電車(ボンネット型)
電車(エル特急)
古い時刻表や鉄道玩具「プラレール」を前に「かもめ」談議をする長崎きしゃ俱楽部の(左から)髙橋さん、吉村さん、岩沼さん=長崎市内

 87(昭和62)年、国鉄の分割民営化によりJR九州が発足。平成に入ると、開発して間もないハイパーサルーンが導入され、近未来的な外観などで耳目を集めた。従来型は再塗装され“赤いかもめ”にリニューアル。94(平成6)年に“黒いかもめ”、2000(平成12)年には赤との交代で“白いかもめ”がそれぞれ登場し、今に至る。

 長崎に初登場した61年の博多-長崎の料金は二等車(現在の自由席)で1230円。当時の大卒初任給1万3千円程度と比べても高価だった。「戦後しばらくは庶民にとって高根の花。日本の高度成長とともに大衆化し、旅行や出張のニーズに応えてきた」。県内鉄道ファンでつくる「長崎きしゃ俱楽部」の代表世話人、吉村元志(もとゆき)さん(65)は、特急かもめ史をこう振り返る。

「かもめ」の足跡

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