安室奈美恵はスーパー・モンキーズから始まった!9月16日はデビュー30周年  どんな困難も安室ちゃんは自身の力で立ち上がり、完璧なパフォーマンスを見せてくれた

安室奈美恵 レジェンドとして語り継がれる芸能人

「“麻薬と芸能人” は三日やったらやめられない」という言葉をどこかで聞いたことがあるのですが、もしかしたら本で読んだフレーズだったかもしれません。麻薬も芸能人も経験がないので正直どういう感覚かはわかりませんが、スポットライトを浴びて多くの大衆の歓声を浴びた時に、脳内から特別な分泌物が出てきて、特別な快楽を得ることが出来るのだと思います。

一度でもその快楽を得た人は、仮に一度表舞台から退いたとしてもカムバックするパターンが多いと思います。それでも、人気の絶頂期に “引退” して、決してメディアに登場しない人たちもわずかながら存在します。そこでパッと出て来る名前は、やはり “山口百恵” と “安室奈美恵” の2人でしょうか。この2人は引退してから、決して公の場に顔を出さない “レジェンド” として語り継がれています。

百恵さんはご主人が俳優ですし、二人のお子さんも俳優とミュージシャンですから “伝説の人” 扱いされているとはいえ、この世に存在しているというリアリティがあります。しかし、安室ちゃんの場合は、本当の意味での “レジェンド” になってしまったような気がします。2017年9月20日にホームページ上で、「2018年9月16日をもって引退」と告知された時は、日本中がざわつきましたよね。昨日のことのように憶えていますが、あれから早くも5年の歳月が経過しようとしています。

1991年、ダンスパフォーマンスグループSUPER MONKEY'Sに選出

引退日である9月16日というのは、安室奈美恵が1992年に “SUPER MONKEY'S” (以下、スーパー・モンキーズ)名義でデビューした記念すべき日なので、25年の活動期間を持ってきっぱりと引退する決意をしたわけです。“安室ちゃん” の愛称で親しまれてきた安室奈美恵も、いつしかカリスマ的存在になり、多くのファンを熱狂させてきたわけですが、デビューをした当初は決して順風満帆だったわけではありません。彼女は皆さんご存じの通り沖縄出身のアーティストですが、「沖縄アクターズスクール」の出身です。のちに、SPEED、知念里奈、DA PUMP等のスターたちを輩出したということもあり、一躍有名になったスクールでもあります。

1991年、安室ちゃんが中学2年生の時にアクターズ内から選抜されたダンスパフォーマンスグループ、スーパー・モンキーズの結成メンバーに選出されることで、彼女の運命は大きく動きます。

デビュー当時は “安室奈美恵” 名義ではなく、あくまでもスーパー・モンキーズ名義で、20人から選ばれた、安室奈美恵、牧野アンナ、澤岻奈々子(Nana)、天久美奈子(Mina)、新垣寿子という5人のメンバーでした。

グループ名はスクールの校長が命名したそうで、「お前たちはまだタレントではなく猿の段階、でもただの猿(モンキー)じゃかわいそうだから “スーパー・モンキーズ” にしよう!」というエピソードが残されていますが、それほどまだメンバーは幼かったということでしょうね。当時は、まさかこのグループから国民的スターが生まれるとは誰も思わなかったでしょうから。

「恋のキュート・ビート / ミスターU.S.A.」でデビュー

そして、1992年9月16日に安室奈美恵はスーパー・モンキーズのメンバーの一人としてデビューするわけですが、デビュー曲は「恋のキュート・ビート / ミスターU.S.A.」の両A面曲で、J-POP時代に突入する絶好のタイミングでのデビューでした。つまり、今から30年前のデビューということになります。

「恋のキュート・ビート」の出だしのスロー部分は、まだ15歳のあどけない声の安室ちゃんが歌っていますが、歌唱力の高さはすでに確認できます。日本テレビ系『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』エンディングテーマに起用されてますが、正直当時、この曲を聴いた記憶がありません。それもそのはず、当時この曲はテレビで披露されていなかったそうです。

もう1曲の「ミスターU.S.A.」が実質上のリード曲だったようで、当時のMVを見るとすでに安室ちゃんはセンターでめちゃくちゃキレのいいダンスを披露しています。MV内ではメンバーがコスプレ(?)をしてダンスを披露しているのですが、安室ちゃんはジャングルのセットを背景に “ターザン” のコスプレをしています(これがとてもキュート!)。

30年前のMVですからもちろん時代は感じますが、なかなか凝った作りがされています。シングルの最高位は29位だったので、新人のデビューシングルとしてはまずまずの結果ではないでしょうか? ちなみに、ソロになってからは披露されてこなかった「ミスターU.S.A.」ですが、2017年9月16日に沖縄で開催された25周年記念野外ライブ『namie amuro 25th ANNIVERSARY LIVE in OKINAWA』で、22年振りに披露されています。

報われた努力。「TRY ME」が大ヒット

そんなスーパー・モンキーズですが、セカンドシングル「ダンシング・ジャンク」で、メンバーの一人が脱退したことで、グループ名が “SUPER MONKEY'S 4” に変更になっています。1994年に発売された4枚目のシングル「PARADISE TRAIN」からは、“安室奈美恵 with SUPER MONKEY'S” 名義になりますが、当時大ヒットした、ZOOの「Choo Choo TRAIN」を手がけた中西圭三の作曲だったにも関わらず、100位圏内にもチャートインできませんでした。

その後の安室ちゃんの活躍を思えば、この時代は25年のキャリアの中の暗黒時代だったかもしれません。翌1995年にようやく「TRY ME ~私を信じて~」が大ヒットするので、ようやくそれまでの努力が報われるわけですが…。

その次のシングル「太陽のSEASON」からは、実質上、安室奈美恵のソロ名義になっていくので、その後の活躍は皆さんご存じですよね。

安室ちゃんが教えてくれたこと

安室奈美恵の引退発表から早くも5年の歳月が経ち、世界は大きく変わりました。誰もがこの5年間に様々な苦難にぶち当たったと思いますが、そんな時に安室奈美恵の歌を聴いて、多くの人たちが背中を押されるような気持ちになったのではないでしょうか? 彼女が引退した後に解禁されたストリーミングの再生回数の多さが、それを物語っているように思います。

安室ちゃんの同世代以上の方は、まだあどけないデビュー当時から、妻になり、母になり、お母さまの死や離婚を経て、シングルマザーとして生きていく姿を、メディアを通じて垣間見てきたはずです。しかし、どんな困難にぶち当たろうとも、安室奈美恵というアーティストは、自身の力で立ち上がり我々に完璧なパフォーマンスを魅せてくれました。

そんな彼女が大きな覚悟を持って引退を決意した時には、“ロス” という言葉も多く使われたように記憶していますが、我々が、そんな安室ちゃんから学んだことは、「自分の人生は誰かに決めてもらうものではなく、自分自身で切り拓いていかなければいけない」ということだったのかもしれません。

こんな世界になってしまったからこそ、今改めて感じるのです。

カタリベ: 長井英治

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