世界遺産、「北海道・北東北の縄文遺跡群」日本で一番新しい世界文化遺産を2週連続放送!

昨年7月に世界文化遺産に登録が決定した「北海道・北東北の縄文遺跡群」。
毎週日曜午後6時放送の『世界遺産』では、この日本で一番新しい世界文化遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」を10月2日(日)、9日(日)の2週にわたって特集する。
北海道と青森県、岩手県、秋田県の一道三県に所在する17の遺跡(大平山元遺跡、垣ノ島遺跡、北黄金貝塚、田小屋野貝塚、二ツ森貝塚、三内丸山遺跡、大船遺跡、御所野遺跡、小牧野遺跡、入江貝塚、伊勢堂岱遺跡、大湯環状列石、キウス周堤墓群、大森勝山遺跡、高砂貝塚、亀ヶ岡石器時代遺跡、是川石器時代遺跡)で構成されている「北海道・北東北の縄文遺跡群」は、北海道、北東北に広がる大自然の恵みの中で、1万年以上にわたって採集・漁労・狩猟により定住した縄文時代の人々の生活と精神文化を伝える貴重な文化遺産であることが認められ、日本で25番目となる世界遺産に登録された。

今回、番組では青森県の三内丸山遺跡など、1年かけて遺跡群の春夏秋冬を撮影。北海道・北東北の縄文人が季節ごとにどのような生活をしていたのかを掘り下げる。
さらに、人類史においても珍しい1万年以上にわたって続いた縄文時代・・・津軽海峡を越えて交易していたことなど、最新の研究で分かってきた驚異の縄文人の姿を紹介する。

(C)TBS

■放送内容/みどころ
10月2日(日)放送「日本の一番新しい世界遺産!縄文遺跡群」

1.日本最大の縄文集落 ~青森県・三内丸山遺跡~
縄文時代の最大の特徴は、人々がそれまでの移動生活をやめ、集落を作り定住を始めたこと。その中でも日本最大の集落が、青森県青森市にある三内丸山遺跡だ。当時は海の水位が今よりも高く、陸奥湾に面した集落には大通りが走り、居住域や墓域、巨大な建造物が立ち並ぶエリアなど区域ごとに画然と配置が分かれていた。その最盛期の三内丸山の姿を実写とCGを交えて描く。

2.縄文遺跡の四季、北国の冬をどう乗り越えたのか ~岩手県・御所野遺跡と北海道・大船遺跡~
農耕が始まる前、狩猟採集を主な生活手段としていた縄文時代。2つの遺跡を舞台に、当時の暮らしぶりを紐解く。
岩手県の御所野遺跡は、細長い台地の上にある集落跡。発掘状況から屋根に土をかぶせた住居もあったことが初めて分かり、それが再現されている。今でも遺跡住居内の炉で薪を燃やしているが、それは煙によって虫やカビが防止されるという、生活の知恵である。北海道函館市の大船遺跡は、大規模集落の跡。近くの大船川では秋になると鮭が遡上する。こうした自然の恵みをどのように狩猟採集し、食物を貯蔵したのかを出土物から解説する。
四季折々の景観、特に秋と冬の印象的な映像が、当時の生活を彷彿とさせる。

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3.縄文の「ストーン・サークル」と儀礼の場 ~青森県・小牧野遺跡と二ツ森貝塚~
青森県の小牧野遺跡には、石を組み円を描くように並べた環状列石、いわばストーン・サークルが残る。
ここは縄文人の墓で、さまざまな儀礼が行われていたと考えられている。二ツ森貝塚は小川原湖近くにある遺跡。小川原湖は元々は内陸に入り込んだ湾で、やがて海水と淡水が入り交じる汽水湖に変化したため、貝塚から見つかるものもホタテやハマグリなど海生生物からシジミなどの汽水域の生きものに変化している。
この貝塚からは食べ物だけではなく、土器や道具、腕輪などの装飾品が見つかっている。こうしたことから貝塚は一般的なイメージである「食べ物の廃棄場」ではなく、さまざまなものを「あの世に返す場」という儀礼的な意味を持つ場所だったのではと近年は考えられている。

10月9日(日)放送「北海道・北東北でなぜ?縄文遺跡の謎」

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1.日本最大級の縄文ストーン・サークル ~秋田県・大湯環状列石~
直径40メートル以上のストーン・サークルが2つ並んでいる秋田県の大湯環状列石。縄文時代のストーン・サークルとしては日本最大級である。大量の石はどこから運んできたのか、そして発掘されたさまざまな出土物から、何のために作られたのかを解く。

2.巨大建造物のナゾ ~青森県・三内丸山遺跡~
日本最大の縄文集落にして、特に有名な三内丸山遺跡。ここには高さ15メートル、直径1メートルの巨木を6本使った巨大な建造物や、「ロングハウス」と呼ばれる長さ32メートルもある大型の建物が建っている。実は、両方ともクリの木で作られている。クリは
縄文人にとって建材であり、食料であり、燃料であったと同時に、その巨木は心のよりどころでもあり、重要な植物だった。さらに野生の動植物を狩猟採集していたとされる縄文人が、クリを自分たちで植え、栽培、管理までしていたという。その真相を解き明かす。

3.津軽海峡を越えた縄文人 ~北海道・大船遺跡と青森県・三内丸山遺跡~
元々はクリが生えていなかった北海道。しかし函館市の大船遺跡の建物は、クリの木を建材としている。こうしたことから北東北の縄文人が津軽海峡を渡り、クリを北海道に持ち込み、栽培したと考えられている。
さらに大船遺跡と青森県の三内丸山遺跡で同じ形式の土器も出土。それぞれの遺跡や出土物から、縄文人が津軽海峡を越えて行き来していたことを解き明かしていく。縄文遺跡は日本全国で発見されているが、その中でも北海道と北東北のものが世界遺産になった理由は、この地域が縄文時代にひとつの文化圏だったことにある。

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4.驚異! 1万年以上続いた縄文文化
~青森県・大平山元遺跡、北海道・垣ノ島遺跡、青森県・三内丸山遺跡と亀ヶ岡石器時代遺跡~
縄文時代の最大の特徴は、人類史においても希有な1万年以上という長期間にわたって続いたこと。
青森県の大平山元遺跡は、1万5000年以上前の土器片が出土している日本で一番古い縄文遺跡。土器や猟の道具などの出土物から、定住を始めたばかりの縄文時代の暮らしが分かる。
北海道の垣ノ島遺跡(かきのしまいせき)は縄文時代前期から断続的に6000年も続いた集落の遺跡。集落の中に居住域、墓域などの配置が行われるようになり、墓域からは副葬品として「子どもの足形がついた土版」が見つかるなど、死者を弔う様子が見られるようになってくる。
青森県の三内丸山遺跡は、縄文時代前期から中期の大規模集落。縄文時代草創期の大平山元遺跡では見つかっていない「土偶」が、ここでは国内最多の2000点以上も出土している。特徴的なのは板状土偶という、人を板のような形で描いたもので、プリミティブな迫力にあふれている。
そして縄文時代晩期の亀ヶ岡石器時代遺跡(かめがおかせっきじだいいせき)。ここからは有名な遮光器土偶が出土している。板状土偶と比べると、より立体的で複雑な造形へと変化している。このように縄文時代1万年の変遷を概観できることも、「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界遺産に登録された理由のひとつである。

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<担当ディレクター・福士真那コメント>
縄文時代=原始的というイメージを持たれる方が多いと思いますが、その時代の人々は住居の中に炉を作り、土器というキッチン用品も使って調理をしていました。植物を栽培し、肉や魚を食べるという暮らしは現代に生きる私たちと何ら変わらないことに驚きを覚えるかもしれません。
1年の取材を通じ、“自然があってこそ人は暮らせるのだ”という自然の大切さと、縄文人の発想力・技術力の高さを感じました。もし皆さんが縄文時代にタイムスリップしたら、「土器や装飾品作り」「植物の栽培」「狩り」どの分野を得意としていたのか、空想してみても楽しいかもしれません。これを機に、縄文を身近に感じていただけたらうれしいです。

<プロデューサー・堤 慶太コメント>
学校の教科書で習った縄文人の姿(ずいぶん昔になりますが)が、一変していることに驚きました。特に、クリの木を自分たちで植えて栽培していたというのは、野生の動植物を狩猟採集していたという従来のイメージを大きく変えるものです。他にも知的な驚きに満ちた「縄文人の姿」を、ぜひご覧ください。

■番組概要
[タイトル]『世界遺産』
[放送日時]10月2日(日)・9日(日) 午後6:00~6:30
[『世界遺産』番組公式サイト]
[『世界遺産』公式 YouTube チャンネル]
https://www.youtube.com/channel/UCiBzP94GzT4C_aZ6-lw8zSA/featured?view_as=subscriber

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